乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

桂林 夜の市場

2007-01-26 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

(写真は桂林。市場のあるとおりを曲がりくねった通りの出口に張られていた、求人広告です。)   

 

   

          桂林 夜の市場  

 

 

 バスの中で、ミスター桂林ガイドが、

 「雑技団に行きたい方はいませんか?」

 とたずねて下さった。  

なんていい人・・・

 「私たち三人も、行きます。」

と即答。  

 ミスター桂林はバレエ的な要素の濃い雑技団で、お勧めだと笑っていた。  

 

 

 劇場行きは夕食後。  

 行かない人たちをホテルに送り、観る人はバスの中に残る。

 

 

 劇場は結構近かった。

 開場まで少し時間があるということで、ミスター桂林は夜の市場に連れて行ってくれた。  

 

 

 公設市場はしまっていた。

 周りの店や道も思いのほか暗く、ほとんどの店が閉まっている。

 満州点心の店(売り専門)や果物屋、肉屋、菓子屋などが点在して、灯をともしていた。

 

 

  店も前の中国らしさの感じられるパンダの乗り物(デパートの屋上などにある子供用の乗り物)があったので、フラッシュ無しで写真を撮ろうとしたが、店主が睨みつけて店の外に飛び出してきた。

  何でも写真に収めようとする私もいけなかったのだが、怖かった・・・・・・

 これがきっかけとなり、以降夜は、カメラを持たずに出歩くことにした。  

 

 

 道は暗く、ほのかな匂いも漂い、豪快なゴミ箱のような通りもあった。  

 道には、ごみやビニールや練炭の灰が、潔く投げ捨ててあった。  

 初めてこの光景を見たならば、きっと閉口していたと思うくらいの量のごみの道だった。

 いかにせん、この光景は賀州でも見かけたことがある。

 中国では練炭の灰などは店の前に投げ捨てて、朝に掃除をするといったところも多いようだ。

  ただ、賀州の店の前は練炭の灰だけが投げ捨てられていたので、違和感は無かった。

 

 

 ミスター桂林ガイドは頭の良い方だった。

 バスの内外を問わず、彼が度々言っていたことばがある。

 「中国の本当の姿をみて下さい。」

 この市場も上のことばを付け加えて、つれてくださった。

 本当に貴重な経験をさせて頂いた。  

 ただ、この光景も中国人ガイドが案内できる範囲の中国であるといったことが、何冊かの岩波新書を読んで感じ始めている。

 中国は深い。

 私たちが想像を絶するくらい素晴らしく、またいろいろな顔も持つ国なんだな・・・・・・  

 

 

 練炭の 灰投げ捨てる 深き闇 

 

 

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桂林博物館

2007-01-26 | 美術・文様・展示物

 

             桂林博物館

 

 

 

 穿岩古榕で少数民族のバンブー・ダンスを楽しんだ後、月亭山を望む。

 写真は『月亭山』を車内から撮ったもの。

 

 

 思いの他時間が余ったらしく、桂林博物館に行く。

 この桂林博物館は、西山公園の中に位地する。

 この桂林博物館は全国五十を越える少数民族のうち、十七種の民族について紹介している博物館だという。

 しかしながら私たちが通されたのは一階の二、三部屋だけ。

 質問すると、みた部屋の広さは、桂林博物館全体の十分の三くらいの広さだと説明された。

 

 

 桂林博物館員の男性は流暢な日本語で、詳しく説明してくれる。

 

 

 まず入ってすぐ左には黒檀の飾りだな。

 中には十二個の壺が構えている。

 中国人は翡翠(ひすい)がお好きとあって、この壺を丹念に説明。

 他にも玉や青磁や青銅の壺が我も我もと 競い合っていた。

 壺や取っ手に輪を施した玉の壺など、いろいろあったが、そんなに気品や古さを感じない。

 鳥の臭みの残る筑前煮といった塩梅だ。

 

 

 私は説明もそこそこに、右側の棚を見て回る。

 右には古い時代のイランの青銅で作られた動物のような形の水入れが合った。

 形は面白い。

 

 

 漆塗りに貝をはめ込んだような飾り物。

 大きな派手な金持ちの好きそうな品々が所狭しと並べられていた。

 私はその秩序の無さは、夜のアム○テルダムを思い出していた。

 置き場のない空虚な感覚・・・・・・

 私はみんなを残し、奥へ奥へと進む。

 

 

 大きな空間の突き当りの壁に、『春夏秋冬』の掛け軸が二組あった。

 みていると今度は日本語の上手い女性が説明。

 ありがたいサービスだが、ゆっくりみたいといった気をはぐらかされる。

 よくみると日と君の方の『秋』と『冬』の掛け軸が反対になっていた。

 私は掛け間違いをそっと胸にしまって、その場を離れた。

 

 

 掛け軸の対角線上のところに、緑の玉で作られた大きな船が置かれていた。

 先にいいわけしておきたいのだが、私はこの手の飾り物は好みではない。

 好みは別として、船は細かい細工で、見ごたえがある。

 一日目に泊まった佛山のホテルには、もう少し大きなものが置かれていたが、鎖部分はアルミ。

 ホテルで見たときは固定或いは盗難防止のためと思い込んでいたが、桂林博物館の船は鎖部分も玉で掘られていた。

 私は不思議に思い、女性博物館員に問うてみた。

 彼女の説明では鎖部分はいかりをおろしてつなぐ部分であり、一般的には玉で作られているという。

『そうか、何かのトラブルで、鎖を失ったのか・・・』

 ひとり、妙に納得した瞬間であった。

 

 

 私はみんなが気になり、戻ってみた。

 十数分以上の時間がたっているのに、日本人はまだ入り口の飾り棚のところで説明を聞いていた。

 中には説明に疲れて、椅子に腰をおろしている方たちも多い。

 あまりにも桂林博物館員の男性が熱心なので、私も話を聞いてみることにした。

 

 彼は尚 翡翠の素晴らしさ、飾りだなの素晴らしさを強調していた。

 そして確信に触れる。

 

「桂林博物館所蔵のものとして長く保存してきた素晴らしいものです。送付時に税関も通れるように、証明書もおつけします。飾り棚と壺全部で150万円です。」

 要するに販売目的であった。

 説明はさらに続く。

「相当高価なものです。しかし鑑定を出すことはできません。桂林博物館所蔵の品だという鑑定書はおつけします。」 

 私の桂林博物館に対するイメージはこの時を境に、一気に萎えてしまった。

 

 

 少数民族の重要な展示室は、全く観ていない。

 ただ博物館といった公共の場で、中国風の販売を目の当たりにして、いい経験をさせていただいたと感謝の念で一杯である。

 

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