乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

中国でみた 『赤』

2007-01-06 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 中国では『赤』を目にすることが多い。

 家の前の『福』の逆さ文字。

 中国映画さながら、普通の民家でも、入り口の両脇の長い赤の紙に文字がかかれたものが張られている。。

 スーパーの袋も通常のものは赤。

 賀州付近で見られた赤土は、驚くばかりのレンガ色である。

 

 以前父の還暦祝いのときに赤のちゃんちゃんこを高島屋で購入したことが合ったが、この習慣も元を正すと中国にたどり着くらしい。

 詳しくは奈良時代にさかのぼる。

 還暦祝いは赤ちゃんに還るという意味をも含んでいる。 

 赤は『魔よけ』の意味合いを持つものと考えられ、赤のちゃんちゃんこ、ずきん、赤い座布団などを贈ることが多い。

 

 紅白饅頭もめでたさの表現の一つとして、赤系の色を使う、

 ひな祭りの毛氈も赤。

 芝居等で若い女性を表現する場合も、赤の着物を着る。

 母の日のカーネーションは『赤』、告白の時に送るバラも情熱の『赤』。

 赤は情熱、血潮をも感じさせる。

 

 写真は四川料理も得意な料理店『西江河鮮』に張られた料理の案内のようだ。

 このあたりは賀州の竹子で有名な土地。

 筍料理や鯉の料理、芋料理などが美味い。

 駐車場があるので観光客にも開放しているが、中国人の常連客も多く、どのグループも 1~2品の料理を頼んで食べておられた。

 食べることが好きな私たち家族は、ガイドに、

「この店がみんなで行った中で、一番美味しいですね。」

と話すと、こっそりと中国人対象の店であることを教えてくれた。

 

 店の前にはいけすがあり、中にはボラや鯰や鯉や鯉のような淡水魚が元気に泳いでいた。

 この店で私たちの食卓に乗った魚料理は身が引き締まり、ボラでも鯰でもなく、皓のように味の濃いうま味のある魚だった。

 魚は一度油で揚げられていた。

 豆の多い深みのある豆板醤で味付けされ、ピリ辛で美味い。

 同じテーブルのツアー客は中国の料理が口に合わないといって、ほとんど口にされない。

 魚料理はすこぶる美味く、みんなにも勧めたのだが一口食べていらないとおっしゃる。私たちは申し訳ないと思いながらも、一皿を堪能するまで頂いた。

 

 中国の料理にすっかりと魅惑されていた私たちに気を良くしたのか、ガイドは乾燥筍が美味いことを、こっそりと教えてくれた。

 水に戻し豚肉と炒めると美味で、そのガイドの好物だという。

 私たちは勧められるままに乾燥筍2袋と芋茎1袋を購入した。

 

 帰国後 おせちに紛らわせて昼食などで中国料理を5,6種ばかり再現してみた。

 純中華とはいいがたいものの、とても美味しく、満足がいく。

 料理のレパートリーも増え、家族も喜んでいるようだが、本日子どもの一人が下宿に戻り、心にぽかりと穴が開いたようで料理するのが少し寂しい。

 写真の鮮やか過ぎるほどの赤が、なんだか今の私には物悲しい・・・

 

 

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私のみた中国 『広州~賀州』

2007-01-06 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

写真は広州から賀州(車内から、ぽちっとシャッターを押した中国)です。<2006年12月下旬>

 

 

 中国でも日本同様、あちらこちらで、道路の舗装が盛んに行われていた。

 とはいえ規模の大きさに驚きを隠しえない。

 高校時代に読んだパール・バックの『大地』の文脈から感じる色彩を思い浮かべる。

 

 石はごろごろと転がり、コーヒー袋のようなものでぬかるみを補う。

 所によっては落石、穴ぼこ・・・

 レンガを運ぶ小型トラックは、がたごと道に耐え切れず、多くのレンガを道に落とす。レンガを拾い、積み上げる。その積み方は、分量が多く、イラン人の感覚のようにラフな感じで、私の心を和ませる。

 

『ビービー』『ピビビーー』『ビイイー、ビビビー』・・・クラクションの音は町でも田舎でも常音である。

 町でのクラクション禁止の看板は必須のようだ。

 私たちの乗ったバスは結構なスピードで、クラクションを鳴らしながら、どんどんと 自転車や牛やリヤカーや他の車などを追い抜いていく。

 その運転の美味さはアクションさながらで、私はジャッキー・チェンを思い浮かべていた。

 また、中国も右側通行なので、日本人にとっては スリル感がたまらない。面白い・・・

 

 

 バス最後方座席中央に乗っていた私は、10センチばかり飛び上がり、首と腰が痛い。

 休憩時には腹部に鈍痛を感じる始末だ。

 だがこの最後方座席中央は 遊園地の急流下りのようで、誠に面白い。

 窓側左右には家族二人。彼らは心配顔で私を眺めていたが、当の本人はというと、左右の窓、前方の窓 そしてこの急な変化の楽しめるこの乗り物(バス)に喜びさえ覚えていた。

 

 

 中国という地も 変化に富んで面白い。

 両サイドはレンガ色の土の山肌があらわになるほどにけづられ、その色の美しさは見事だ。

 

 レンガを乾かす土地、採石場・・・

 緑豊かな田畑、柿を干す地域。

 今はかんきつ類も豊富で、金柑やみかん、ざぼんのようなみかんなどいろいろ買い求めては楽しんだ。

 予想を超える甘さ・・・美味い。

 竹が覆い茂り、『竹子』と書かれた看板のあるところ・・・・ここでは筍料理が美味く、帰りには乾燥筍2袋と日本で言う芋茎1袋を購入。

 二種類ともに帰国後料理を再現してみたが、なかなかの味で美味かった。

 

 土地のやせたサトウキビ畑。サトウキビを運ぶ車やリヤカー。10節1元で売られ、皮を剥き、短く切って手渡してくれる。その味は日本のものに比べて みずみずしさが増し、柔らかで美味い。

 

 突然突起物のように飛び出た山やなだらかな山が、畑の真ん中に飛び出ている。その変化の面白みは、まるで田んぼになった屋久島の花山歩道を縦断しているようだ。

 

 

 牛や鶏、犬さえも家畜として放し飼いされている土地を見た。

 やせこけた犬は 伸びやかに戯れていた。

 ごみの中に放り投げられた残飯をついばむ、丸々と肥えた鶏たち。

 畑やこんもりと盛り上げられた屋根の下でのんびりと過ごす数々の牛。

 牛を移動させる農夫たち・・・

 肩から両脇に竹をまたがせて、樽を担ぐ農民。

 一見のどかのようには思えるが、その現実の厳しさを垣間見た。

 

 やせ犬たちの横を通り過ぎる、高級外国車は予想以上に多い。

 日本と同様、富裕層の数は約一割で、中国全人口から考えるとその数と中容は相当なものと考えられる。

 格差が激しきことこの上ないのが現実の姿である。

 

 

 囲いのない肉を台の上で捌き、子どもたちはそばで親の手伝いをする。

 リヤカーや自転車で野菜を売る女たち。

 大人に混じって大きな包丁を手にして 手伝いをする多くの幼児を見た。

 彼ら(幼児)の目は、純真でかわいく無邪気ではあったが、どこか現実を見据えているようだった。大人の私は恥ずかしさを ぬるま湯生活になれた私は、黄を紛らわすために手を振り、笑いかけた。なさけない・・・

 

 

 昼間から丸テーブルに集い、トランプをする男たち、女たちを見た。

 和やかな雰囲気で中国マージャンをする老若男女もいた。

 家の前で卓球ならずビリヤードをする人々・・・。

 その人々の笑顔は、以前行った喜界島の

「二日に一度は草野球・・・」

と得意げに話してくれたそれっと似ていた。

 私は彼らの笑顔を快く感じた。

 

 

 中国は私の期待をいろいろな意味で裏切ることはなかった。

 食事は美味い。だがその食材は観光客には明かされない。

 聞くと『猪(中国では豚)の俳』と教えてくれたが、どう考えても豚ではない。

 付近では家畜用の犬が走り回っているのが現実だ。

 日本では食用とされない『鳩』は堂々とテーブルに並ぶ。

 しかし『猪の俳』同様、『鳥肉』とだけ告げられる。

 日本人が犬や鳩を食べる文化圏にないことを気遣ってのことだ。

 頭から尻尾までが真半分に切られた鳥は、なさけない目で、こちらを眺めている。頭の形はやはり鳥の種類を隠しきれない。

 

 敏感な食通もどきの人間に限っては,「鳩か?」「犬か?」と名詞をこちらから言い、問いただすと、初めは顔をこわばらせながらも、魚であれ肉であれ、その事実(名前)は告げてもらえる。だが多くの観光客はその実態を知らない。

 

 日本人一般論として 家畜用とペット用を頭の中で整理できる人間ばかりではないことを考えると、旅行者はこの実態をどのように受け止めている野かといった点において、はばかりながら興味を覚える。

 

 このような実態が賀州の辺りでの一般庶民が頂く料理の一部で繰り広げられていると考えてよかろう。確証はできないものの、牛よりも家畜として飼われた犬の肉が狗として出回っていることは確かであったように感じる。

 その証拠に、夜、町を歩くとどこかしこに『狗鍋』や『火鍋』のかんばんの多くを目の当たりにする。

 また、店頭に並べられた野鳥や羊や豚に混じって、ミニチュアピンシャーをひとまわり大きくしたような形の物体までもがこんがりとローストされて、吊り下げられていた。

 但し中国人とはいえ 全員が犬を食べているとは、考えにくい。沖縄の人たちが生のせみの胴を全員が食べるわけではないのと同様である。

 

 このようなことを描いてはいますが、日本人の感覚で中国を非難するのは止めていただきたい。

 食は文化であり、その土地の歴史でもあると、私は考えています。

  日本も諸外国から見れば、『牛蒡』、『海苔』、『刺身』など、外人が真っ青になるような食材をも、私たちは日常食生活の中で、いただいているのですから・・・

 

 

 高級料理店や大衆食堂といった隔たりなく、人々は集い 騒いでいた。 

 しかし店で紹興酒を頼む中国人は少なく、ビールが多い。

  私たちも彼らにまぎれて各種の酒やビールを楽しんだ。

 賀州の辺りは鯰やボラや鯉も美味く、また各種の野鳥や鳥料理も美味かった。

 野菜は長いままで、『ウエィパー(中華味)』でさっと炒めたものも多い。

 

 

 スープは赤豆或いは白豆でベースで、ちんぴ(みかんの皮)やしょうが、肉の油などでこくや匂い付けを工夫されている。

 梨 或いは冬瓜、胡瓜がが入っている場合も多く、多くの日本人の方の口には合わなかったようだが、私たち親子はお替りまでして 食の斬新さを楽しんでいた。

 

 

 ホテルから抜け出しての朝の飲茶は美味かった。

 一人2元(30円)ももあれば美味い米粉麺(ビーフン麺)のラーメンや汁の少ない麺が楽しめる。

 暖められた豆乳や饅頭(飲茶)も美味い。

 ゆでられたとうもろこしや他他のあげパンも美味い。

 これらを毎日ホテルの食事前後に平らげ、昼も満腹、ホテルや別行動の夕食後に中国の屋台や大衆食堂でなにがしら喰らい、日本に帰るころにはバッファローの腹のように膨らんだ体系と化していた。

 

 中国は自然も歴史も美術も人々の笑顔さえもこと言葉では言い尽くせないほどに心に染みる。

 そして車内から、裏道から、人々の表情の奥から真髄に触れたとき、凍りつくほどに日本人としての過去の重々しい現実を目の当たりにさせられた。

 車から眠らずに目を凝らして外を眺めていると、全ては覆い隠せない部分まで見ることができ、有意義であった。

 観光地から少し外れて、裏道の生活の場を見ると、また違った中国を感じることもできた。

 

 色々なものを私なりに感じてきたが、テーマ別でないと、まとめることができない。

 あまりにもみたものが多すぎたので、おいおい整理も兼ねて、美術や自然、出会った人々を気長に書き込んでいきたいと思います。

 

コメント (3)
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