鏡のような水面
桂林は心が洗われるような美しさでした。
鋭くとがった山や、なだらかな山の変化が楽しめ、水墨画のように見事な景観。
水は限り無く透明に感じました。
変化のある山々や生活する人々の姿を、すとんと水面に落としたように映る美しさは、口では言い表すことができません。
ただ、今も心に深く残っています。
もう一度いきたい。
そんな風に感じさせる、桂林の漓江下りでした。
鏡のような水面
桂林は心が洗われるような美しさでした。
鋭くとがった山や、なだらかな山の変化が楽しめ、水墨画のように見事な景観。
水は限り無く透明に感じました。
変化のある山々や生活する人々の姿を、すとんと水面に落としたように映る美しさは、口では言い表すことができません。
ただ、今も心に深く残っています。
もう一度いきたい。
そんな風に感じさせる、桂林の漓江下りでした。
少し大きな 筏船
これくらいの船ではいろいろな人々を見ました。
洗濯する人、料理をする人、魚や貝を観光船などに売る人たち・・・・・・
観光船からの短い時間でしたが、生活をするいろいろな人々。
このような素敵な景色と素敵な中国の顔を見せていただいて、感謝しています。
桂林の漓江下りにて
仕掛け場働く男性
筏に乗っている男性発見。
彼らは魚か何かの仕掛けの場所で、仕事をされていた。
そのうちひとりは、水中を覗き込んでいます。
筏の近くには竹の浮き。
1メートルくらいの長さの竹が浮かんでいます。
このような仕掛けがあちらこちらにあったが、何がかかるのでしょうか・・・
気になるなぁ・・・・・・
凛々しく筏に乗る男性
魚を捕るのでしょうか?
田螺などの貝を捕るのでしょうか?
桂林の漓江下りで、こんな男性を多く見かけました。
筏の形は日本で考える旗のような形でまっすぐなものではありません。
中国でよく見かける筏は、小船のように長くて、前後にカーブがあります。
川幅が驚くほど広いのに、見事な櫂さばきです。
この筏の形は、黄姚小鎮の小さな川でもつないでありました。
魚を捕る網
河原では網が干してあったり、大きな布が干してあったり・・・
どの干し方をみても、規則正しく、驚くばかりに美しい干し方。
中国の方の性格がうかがえる感じがいたしました。
そういうと南方陶磁器を例にとっても、好みは別として、驚くばかりの完成品。
日本のように、『面白み』とか『いびつの美』などは、中国では通用しない感じもいたします。
だから、窯元の窯も、室内の場合が多いのでしょうねか・・・
家鴨や鴨の放し飼い
桂林の漓江下りでは、家鴨や鴨の放し飼いを多く見かけました。
写真は家鴨。
家鴨や鴨の数はまちまち。
泣き声もにぎやかだったり鳴いてなかったり。
鴨の大群を見つけたときに、大きな声で、
「鴨屋!!」
と大向こうをはると、鴨たちはいっせいに泣き出してしまいました。
驚かせてしまって、ごめんなさ~~い。
牛を連れる女性
桂林の漓江下りの途中、牛を連れる女性を見ました。
おそらく近くの農家の方でしょうか・・・
この桂林の漓江下りでも多くの姿を牛を見ました。
水を飲ませてらっしゃる光景は、なんとものどかなものです。
佛山、賀州、桂林などのどこの畑でも、多くの牛を見ました。
働く牛、水を飲む牛、連れられて 移動する牛・・・
道路の横切っての複数の牛の移動には驚きました。
暫くはバスも車も停止。
少し渋滞になることもありました。
日本では時間が気になることもしばしばありますが、ここでは私もゆったちとした気持ちになります。
『牛さん、どうぞ どうぞ・・・』
といった、ゆとりさえ感じる 時間の流れでした。