この写真も広東省佛山市にある『祖廟』内。
暮れに行った京都の三千院を思わせる医学資料。
漢方医学が中国から日本に伝わったことが感じられ、面白い。
この古くて興味深い本は、『冬の体の血のめぐり』について、詳しく書かれていた。
その絵図が私には面白く、しばらくその場を離れることができなかった・・・・・・
佛山市禅城区祖廟路21号
この写真も広東省佛山市にある『祖廟』内。
暮れに行った京都の三千院を思わせる医学資料。
漢方医学が中国から日本に伝わったことが感じられ、面白い。
この古くて興味深い本は、『冬の体の血のめぐり』について、詳しく書かれていた。
その絵図が私には面白く、しばらくその場を離れることができなかった・・・・・・
佛山市禅城区祖廟路21号
写真は広東省佛山市にある『祖廟』内。
『音楽の歴史室』に通じる真っ暗な階段を登ると、途中 猫の額のような踊り場がある。
見上げると『こうもりのような文様』が呪文のように話しかけてくるので、ぽちっとシャッターを押した。
この文様の意味合いはどう考えればよいのだろうか・・・・・・
また知らないことが疑問の渦となって頭にのしかかってくる。
知らないことが多すぎる・・・・・・
佛山市禅城区祖廟路21号
写真は広東省佛山市にある『祖廟』です。
佛山市には廟が多くあるそうですが、中でも最も歴史が長いとのこと。
1996年に全国重点文物保護単位に認定されました。
700年続く伝統芸術の宝庫ともいえます。
一歩館に入ると、歴代の写真やてんこ盛りの説明。
中国人のガイドもここ祖廟は誇りらしく、地味な写真に指差しながら、説明はやまない。
程よくその場を離れ、私たち家族は 興味深い形状の建築物を見学。
見ると特徴のある屋根の形。
写真1の屋根はなんと中華鍋をモチーフにかたどられた遊び心豊かなものでした。斬新なだけかと思いきや、
『中華鍋で料理をしたとき漂う香りのごとく、一体に思想が広まるように』
といった願いが込められているとのことで、妙に納得してしまいました。
というのもこの祖廟には『音楽の歴史室』がある。
庭では『粤劇』風に化粧をした男の子たちが 雑技をしたり 太鼓をたたいたり(写真2)・・・竜二体の見事な舞には、皆が見入っている様子。
普段なら生つば物で食い入るように見入っているはずでしたが、初めて来た祖廟の建築物に凝らされたオブジェ(写真3)に食いついてしまいました。
少し歩くと茶を飲ませてくれる喫茶店風の廊下。廊下の壁には有名俳優などの写真が掲げられ(写真4)、私の心はハイテンション・・・
『もう一度おいでなさいまし・・・』といった表情の粤劇風の女優は、妙に説得力がある。
「佛山はは面白いところですね。」
とガイドに告げると、
「粤劇は佛山が発祥の地で、ここ祖廟でも観ることができる。」
と教えてくれた。
佛山は度々水害にあった地域で、祖廟は1078頃に治水を願って建立されたらしい。
ということは庭で見た『粤劇』風に化粧をした男の子の雑技や太鼓や(写真2)や竜の舞は、日本の神事や神楽や三番叟の意味合いも兼ねているのだろうか・・・・・・
そういうと中国でも『鳳凰』と『竜』が好まれて使われていた。
ここでも古い太鼓(写真5)や壁画デザインでも『鳳凰』を描いたものが多い。
光を受けた廊下壁面(写真6)にも『鳳凰』が認められた。
中国の博物館でも『鳳凰』と『竜』が対にされ、外が『鳳凰』内が『竜』、或いはその反対で外が『竜』内が『鳳凰』に翡翠(ひすい)の宝飾物も見た。
『祖廟』見学は私にとって、有意義なものであった。
佛山市禅城区祖廟路21号
写真は広東省佛山市にある『祖廟』です。
佛山市には廟が多くあるそうですが、中でも最も歴史が長いとのこと。
1996年に全国重点文物保護単位に認定されました。
700年続く伝統芸術の宝庫ともいえます。
一歩館に入ると、歴代の写真やてんこ盛りの説明。
中国人のガイドもここ祖廟は誇りらしく、地味な写真に指差しながら、説明はやまない。
程よくその場を離れ、私たち家族は 興味深い形状の建築物を見学。
見ると特徴のある屋根の形。
写真1の屋根はなんと中華鍋をモチーフにかたどられた遊び心豊かなものでした。斬新なだけかと思いきや、
『中華鍋で料理をしたとき漂う香りのごとく、一体に思想が広まるように』
といった願いが込められているとのことで、妙に納得してしまいました。
というのもこの祖廟には『音楽の歴史室』がある。
庭では『粤劇』風に化粧をした男の子たちが 雑技をしたり 太鼓をたたいたり(写真2)・・・竜二体の見事な舞には、皆が見入っている様子。
普段なら生つば物で食い入るように見入っているはずでしたが、初めて来た祖廟の建築物に凝らされたオブジェ(写真3)に食いついてしまいました。
少し歩くと茶を飲ませてくれる喫茶店風の廊下。廊下の壁には有名俳優などの写真が掲げられ(写真4)、私の心はハイテンション・・・
『もう一度おいでなさいまし・・・』といった表情の粤劇風の女優は、妙に説得力がある。
「佛山はは面白いところですね。」
とガイドに告げると、
「粤劇は佛山が発祥の地で、ここ祖廟でも観ることができる。」
と教えてくれた。
佛山は度々水害にあった地域で、祖廟は1078頃に治水を願って建立されたらしい。
ということは庭で見た『粤劇』風に化粧をした男の子の雑技や太鼓や(写真2)や竜の舞は、日本の神事や神楽や三番叟の意味合いも兼ねているのだろうか・・・・・・
そういうと中国でも『鳳凰』と『竜』が好まれて使われていた。
ここでも古い太鼓(写真5)や壁画デザインでも『鳳凰』を描いたものが多い。
光を受けた廊下壁面(写真6)にも『鳳凰』が認められた。
中国の博物館でも『鳳凰』と『竜』が対にされ、外が『鳳凰』内が『竜』、或いはその反対で外が『竜』内が『鳳凰』に翡翠(ひすい)の宝飾物も見た。
『祖廟』見学は私にとって、有意義なものであった。
佛山市禅城区祖廟路21号
写真は広東省佛山市にある『祖廟』です。
佛山市には廟が多くあるそうですが、中でも最も歴史が長いとのこと。
1996年に全国重点文物保護単位に認定されました。
700年続く伝統芸術の宝庫ともいえます。
一歩館に入ると、歴代の写真やてんこ盛りの説明。
中国人のガイドもここ祖廟は誇りらしく、地味な写真に指差しながら、説明はやまない。
程よくその場を離れ、私たち家族は 興味深い形状の建築物を見学。
見ると特徴のある屋根の形。
写真1の屋根はなんと中華鍋をモチーフにかたどられた遊び心豊かなものでした。斬新なだけかと思いきや、
『中華鍋で料理をしたとき漂う香りのごとく、一体に思想が広まるように』
といった願いが込められているとのことで、妙に納得してしまいました。
というのもこの祖廟には『音楽の歴史室』がある。
庭では『粤劇』風に化粧をした男の子たちが 雑技をしたり 太鼓をたたいたり(写真2)・・・竜二体の見事な舞には、皆が見入っている様子。
普段なら生つば物で食い入るように見入っているはずでしたが、初めて来た祖廟の建築物に凝らされたオブジェ(写真3)に食いついてしまいました。
少し歩くと茶を飲ませてくれる喫茶店風の廊下。廊下の壁には有名俳優などの写真が掲げられ(写真4)、私の心はハイテンション・・・
『もう一度おいでなさいまし・・・』といった表情の粤劇風の女優は、妙に説得力がある。
「佛山はは面白いところですね。」
とガイドに告げると、
「粤劇は佛山が発祥の地で、ここ祖廟でも観ることができる。」
と教えてくれた。
佛山は度々水害にあった地域で、祖廟は1078頃に治水を願って建立されたらしい。
ということは庭で見た『粤劇』風に化粧をした男の子の雑技や太鼓や(写真2)や竜の舞は、日本の神事や神楽や三番叟の意味合いも兼ねているのだろうか・・・・・・
そういうと中国でも『鳳凰』と『竜』が好まれて使われていた。
ここでも古い太鼓(写真5)や壁画デザインでも『鳳凰』を描いたものが多い。
光を受けた廊下壁面(写真6)にも『鳳凰』が認められた。
中国の博物館でも『鳳凰』と『竜』が対にされ、外が『鳳凰』内が『竜』、或いはその反対で外が『竜』内が『鳳凰』に翡翠(ひすい)の宝飾物も見た。
『祖廟』見学は私にとって、有意義なものであった。
佛山市禅城区祖廟路21号
写真は広東省佛山市にある『祖廟』です。
佛山市には廟が多くあるそうですが、中でも最も歴史が長いとのこと。
1996年に全国重点文物保護単位に認定されました。
700年続く伝統芸術の宝庫ともいえます。
一歩館に入ると、歴代の写真やてんこ盛りの説明。
中国人のガイドもここ祖廟は誇りらしく、地味な写真に指差しながら、説明はやまない。
程よくその場を離れ、私たち家族は 興味深い形状の建築物を見学。
見ると特徴のある屋根の形。
写真1の屋根はなんと中華鍋をモチーフにかたどられた遊び心豊かなものでした。斬新なだけかと思いきや、
『中華鍋で料理をしたとき漂う香りのごとく、一体に思想が広まるように』
といった願いが込められているとのことで、妙に納得してしまいました。
というのもこの祖廟には『音楽の歴史室』がある。
庭では『粤劇』風に化粧をした男の子たちが 雑技をしたり 太鼓をたたいたり(写真2)・・・竜二体の見事な舞には、皆が見入っている様子。
普段なら生つば物で食い入るように見入っているはずでしたが、初めて来た祖廟の建築物に凝らされたオブジェ(写真3)に食いついてしまいました。
少し歩くと茶を飲ませてくれる喫茶店風の廊下。廊下の壁には有名俳優などの写真が掲げられ(写真4)、私の心はハイテンション・・・
『もう一度おいでなさいまし・・・』といった表情の粤劇風の女優は、妙に説得力がある。
「佛山はは面白いところですね。」
とガイドに告げると、
「粤劇は佛山が発祥の地で、ここ祖廟でも観ることができる。」
と教えてくれた。
佛山は度々水害にあった地域で、祖廟は1078頃に治水を願って建立されたらしい。
ということは庭で見た『粤劇』風に化粧をした男の子の雑技や太鼓や(写真2)や竜の舞は、日本の神事や神楽や三番叟の意味合いも兼ねているのだろうか・・・・・・
そういうと中国でも『鳳凰』と『竜』が好まれて使われていた。
ここでも古い太鼓(写真5)や壁画デザインでも『鳳凰』を描いたものが多い。
光を受けた廊下壁面(写真6)にも『鳳凰』が認められた。
中国の博物館でも『鳳凰』と『竜』が対にされ、外が『鳳凰』内が『竜』、或いはその反対で外が『竜』内が『鳳凰』に翡翠(ひすい)の宝飾物も見た。
『祖廟』見学は私にとって、有意義なものであった。
佛山市禅城区祖廟路21号
(記録文章は祖廟1~6まで同じです)
写真は広東省佛山市にある『祖廟』です。
佛山市には廟が多くあるそうですが、中でも最も歴史が長いとのこと。
1996年に全国重点文物保護単位に認定されました。
700年続く伝統芸術の宝庫ともいえます。
一歩館に入ると、歴代の写真やてんこ盛りの説明。
中国人のガイドもここ祖廟は誇りらしく、地味な写真に指差しながら、説明はやまない。
程よくその場を離れ、私たち家族は 興味深い形状の建築物を見学。
見ると特徴のある屋根の形。
写真1の屋根はなんと中華鍋をモチーフにかたどられた遊び心豊かなものでした。斬新なだけかと思いきや、
『中華鍋で料理をしたとき漂う香りのごとく、一体に思想が広まるように』
といった願いが込められているとのことで、妙に納得してしまいました。
というのもこの祖廟には『音楽の歴史室』がある。
庭では『粤劇』風に化粧をした男の子たちが 雑技をしたり 太鼓をたたいたり(写真2)・・・竜二体の見事な舞には、皆が見入っている様子。
普段なら生つば物で食い入るように見入っているはずでしたが、初めて来た祖廟の建築物に凝らされたオブジェ(写真3)に食いついてしまいました。
少し歩くと茶を飲ませてくれる喫茶店風の廊下。廊下の壁には有名俳優などの写真が掲げられ(写真4)、私の心はハイテンション・・・
『もう一度おいでなさいまし・・・』といった表情の粤劇風の女優は、妙に説得力がある。
「佛山はは面白いところですね。」
とガイドに告げると、
「粤劇は佛山が発祥の地で、ここ祖廟でも観ることができる。」
と教えてくれた。
佛山は度々水害にあった地域で、祖廟は1078頃に治水を願って建立されたらしい。
ということは庭で見た『粤劇』風に化粧をした男の子の雑技や太鼓や(写真2)や竜の舞は、日本の神事や神楽や三番叟の意味合いも兼ねているのだろうか・・・・・・
そういうと中国でも『鳳凰』と『竜』が好まれて使われていた。
ここでも古い太鼓(写真5)や壁画デザインでも『鳳凰』を描いたものが多い。
光を受けた廊下壁面(写真6)にも『鳳凰』が認められた。
中国の博物館でも『鳳凰』と『竜』が対にされ、外が『鳳凰』内が『竜』、或いはその反対で外が『竜』内が『鳳凰』に翡翠(ひすい)の宝飾物も見た。
『祖廟』見学は私にとって、有意義なものであった。
佛山市禅城区祖廟路21号
(記録文章は祖廟1~6まで同じです)
写真は広東省佛山市にある『祖廟』です。
佛山市には廟が多くあるそうですが、中でも最も歴史が長いとのこと。
1996年に全国重点文物保護単位に認定されました。
700年続く伝統芸術の宝庫ともいえます。
一歩館に入ると、歴代の写真やてんこ盛りの説明。
中国人のガイドもここ祖廟は誇りらしく、地味な写真に指差しながら、説明はやまない。
程よくその場を離れ、私たち家族は 興味深い形状の建築物を見学。
見ると特徴のある屋根の形。
写真1の屋根はなんと中華鍋をモチーフにかたどられた遊び心豊かなものでした。斬新なだけかと思いきや、
『中華鍋で料理をしたとき漂う香りのごとく、一体に思想が広まるように』
といった願いが込められているとのことで、妙に納得してしまいました。
というのもこの祖廟には『音楽の歴史室』がある。
庭では『粤劇』風に化粧をした男の子たちが 雑技をしたり 太鼓をたたいたり(写真2)・・・竜二体の見事な舞には、皆が見入っている様子。
普段なら生つば物で食い入るように見入っているはずでしたが、初めて来た祖廟の建築物に凝らされたオブジェ(写真3)に食いついてしまいました。
少し歩くと茶を飲ませてくれる喫茶店風の廊下。廊下の壁には有名俳優などの写真が掲げられ(写真4)、私の心はハイテンション・・・
『もう一度おいでなさいまし・・・』といった表情の粤劇風の女優は、妙に説得力がある。
「佛山はは面白いところですね。」
とガイドに告げると、
「粤劇は佛山が発祥の地で、ここ祖廟でも観ることができる。」
と教えてくれた。
佛山は度々水害にあった地域で、祖廟は1078頃に治水を願って建立されたらしい。
ということは庭で見た『粤劇』風に化粧をした男の子の雑技や太鼓や(写真2)や竜の舞は、日本の神事や神楽や三番叟の意味合いも兼ねているのだろうか・・・・・・
そういうと中国でも『鳳凰』と『竜』が好まれて使われていた。
ここでも古い太鼓(写真5)や壁画デザインでも『鳳凰』を描いたものが多い。
光を受けた廊下壁面(写真6)にも『鳳凰』が認められた。
中国の博物館でも『鳳凰』と『竜』が対にされ、外が『鳳凰』内が『竜』、或いはその反対で外が『竜』内が『鳳凰』に翡翠(ひすい)の宝飾物も見た。
『祖廟』見学は私にとって、有意義なものであった。
佛山市禅城区祖廟路21号
広州、賀州近くの陶磁器工場(仏山)の壁に豚のポスターがはってありました。
あまりにも可愛らしいので、ぽちっとシャッターを押しました。
よくみると『家肥屋潤』という言葉。
なんともユーモアの富んだ素敵なこと。
まだ調べてはいませんが、豚或いは家畜は繁栄の象徴なのかしら・・・などと一人でほくそ笑んでおりました。
佛山市新湾美木陶芸歴有限公司 『家肥屋潤』ポスター
仏山は南国陶磁器でも有名で、中国四大陶磁器とのことです。
私たちが案内された陶磁器工場には焼き窯が各種あり、大きさや仕様もまちまちでした。
大きな今使われているらしき焼き釜は中に入るととても広く、そのドアは重く、厚く、二重になっていました。
電気窯は二個見つけることができました。
私がとても素敵だと思った窯は 写真の薪をくべるタイプの物です。
近くには薪が積まれ、大型扇風機や乾かし中の器、壁には防火服なども常備されていました。
あたり一体は暗く、入り口の光がかすかに差し込んできます。
自然の焼き窯は日本のように雨ざらしの場に設置されてはおらず、あくまでも近代的なビルの中に作られていたのが不思議でした。
しかし温度や湿度面から考えると、安定した作品や品々が作れるのかも知れません。
但し、芸術作品として考えるならば、風吹く中、自然の中で焼き釜で焼いた作品は時として趣や面白さをかもし出してくれましょうから、どちらがいいとはいえませんね・・・・・・
芸術作品としての必然なる偶然美は、時々私たちに その威厳と美しさで包み込んだ優しさで、微笑みかけてくれることがあるでしょうから・・・・・・
窯をのぼっていくと、工場は迷路のようで、観光客は誰一人としていない。
廊下で絵付けする女性、器に削りを入れている職人さん、室内で器を移動させる男たち・・・
ある人は不審者を睨み諭し、あるものは快く微笑んで向かいいれてくれる。
工場敷地内には職人たちの宿舎のようなアパート。
昼間声高に部屋の中で携帯電話で商談をしている様子。
ここでも洗濯物が目立ち、くもの巣がはり、アパートにはひびが入っている。
南国陶磁器工場の正面には大きな池。池の中には中国らしい岩が置かれ,錦鯉が泳ぎまわる。
予想以上に大きな噴水、立派な看板。掃除された大きな駐車場。
流暢な日本語の陶磁器店員の満面の笑みが、どこか池を泳ぐ鯉の姿と重なって感じられた。
余談ですが、中国ではどの店に入っても日本語のできる店員が多い。
店員は熱心に中国製品を勧め、円を落とさそうとする。
その熱意はただものではなく、私は日本の将来に対して一抹の不安さえ感じた。
中国はえらい・・・・・・
広州から賀州に行く途中、南国陶磁器で有名な仏山による。
ここの陶磁器は中国四大陶磁器とのこと。
私たちが案内された陶磁器工場付近を後に、家族単独で仏山を散歩してみると、近くには写真のような陶磁器店が多い。
私の好みとは言いがたい器や置物ではあったが、ある意味とても中国らしく、興味を覚えた。
中国の焼き物といえば学生時代に青磁の少し年期の入った六角の香炉を買い求めたことがあったが、今はその焼き物は兄弟に差し上げてしまった。
仏山の工場の近くを散策していると、金物や鉄工所、自転車バイク修理場が多い。
店の中には人が椅子に座っている店が多く、日本人に対しての視線は鋭い。
中には店の前でトランプやマージャンをしているグループもある。
大道りに面してはいるが、歩く人の姿はまばらで、時折エリートサラリーマン風の男性が、信号待ちをしていた。
大道りを一歩踏み込めば、中国らしい民家。その横には少し痛んだアパート。
民家の前には赤の張り紙と福の文字が張られ、細い道の家前には洗濯物が所狭しと干されている。
民家は石段で段々畑のような形状。中央には長いすが置かれ三人の老婦人たちが昼下がりを集う。
アパートからはわめき声。
バイクの男が不審者の私たちを睨みつける。
私たちは急いで大道りにたどり着く。
信号・・・・・・
ここでもサラリーマン風の身なりの男性が、日本人を睨みつける。
仏山の一般地では観光客の恩恵を受けていないせいか、日本人(或いは外人)に対して寛大ではない。
ストレートな感情の投げかけは 過去の歴史から考えると、私にとっては心地の悪いものではなかった。
私たちは彼等の表情に後押しされて、陶磁器工場に戻った・・・そしてそこでは陶磁器店員の満面の笑みで、私たち家族を迎えて入れてくれた。