(黄姚古鎮でであったこどもたち1~9の文章は同じ、10だけ違います)
学習する子ども
黄姚古鎮でであったこどもたちの中に、机を家の外に出して学習に励む子どもに出会った。
彼は観光客などは気にもとめていない様子で、勉強している。
見れば教科書とノート・・・
日本の学習風景と同じだ。
懐かしい光景・・・私は彼に親しみを感じた。
この『机を家の外に出して学習に励む子ども』スタイルは黄姚古鎮に限らず、今回訪れた中国のどこかしこで見ることができた。
共通しているのは必ずといってよいほど、勉強する子どもの近くにはお母さん或いはお父さんらしき方が、腕組みでもしながら、立ってみているということだろうか・・・
この教育熱心な光景は、日本のあちこちでも見られる。
現に日本でも多くの小学生は、3,4年にもなると電車を乗り継いで、大手塾に通い、勉強を楽しんでいることも多い。
全員とは言わないが、彼ら小学生は彼らなりに 将来を見据えた授業を受けることを楽しみ、自分の自信につなげていることも多い。
全員とは言わないが、小さい頃から塾通いさせてかわいそうといった暴言は、彼らには当てはまらないことも多い。
日本の教科書はどんどん薄くなっている。
しかし本当に自分の歩みたい道を選ぼうとする場合は、自主的に学習する以外には方法がない。
今のシステムでは本当にIQの高い努力家と金持ち以外は、熟した教育を受けられない。
しかしながら現実問題として、『ゆとりの教育』は分数さえ計算できない大学生をも生み出してしまう。
中国が国家をあげて、どういった教育方針の道をたどっているかは、私は知らない。
ただいえることは中国の大きな売店や食堂などで、日本語や英語を柳著に話す方たちが、あまりにも多い。
日本人として、少しあせった感じがする。
私たちの中国人ガイド嬢は、3年前に専門学校で日本語の勉強をしたという。
このガイド嬢も日本語がうまく、日本の難しい名詞などでも理解してくれる。見事な日本語。
今回の旅で、私たち家族は別の日に 広州の夜の繁華街に行った。
紀伊国屋くらいの大きさの書店に半時間ばかり立ち寄って、驚いたことがあった。
中国小学生用の英語の教科書が売られていた。
まず三年生用のものを手にしてみた。
結構長い文章・・・
ちなみに一年生用のものは、カラフルな林檎の絵などが載っていて可愛らしい。
六年生のものにいたっては、日本のセンター試験の英語を少し簡単にした程度の文章がつらねられていた。
これには夫も子どもも驚きを隠せない。
中国の英語教育はすごい・・・・・・!!
子どもは感心・・・
中国語の勉強をするために、六年生用の英語の教科書を購入した。
日本円にして、約150円(10元)。
計画を練って一人旅した中国好きの子どもにとっては、宝を探し当てたといった笑顔だった。