そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

徒然草(#173 小野小町)

2006年08月26日 |  / 徒然草
8/26
「謎である小野小町の事蹟には時代が合わぬことのありしか()」
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大化の改新

2006年08月26日 | 字余り
8/26
中大兄皇子は田村皇子(後の舒明天皇)と宝皇女(後の皇極天皇)を父母にしている。宝皇女は恋人だか旦那だかがいたが、別れて田村と一緒になった。この田村皇子は他でもない蘇我入鹿に滅ぼされた山背大兄皇子(聖徳太子の子)に代わり天皇位に就いた舒明天皇である。馬子、蝦夷、入鹿と続く蘇我三代は入鹿の代になり滅びの道を歩み始めたと言えないだろうか。爛熟を極めるがもはや主流ではなく、地下でなにかが動きつつあった。上宮家の怨念のようでもあり単なる歴史の必然のようでもある。上宮家滅亡の後、舒明期は蘇我氏の傀儡のようになっていたのだろう。継者がいたのかいなかったのかわからないが、舒明が死んだ後を皇后が引継ぎ、皇極として即位する。皇極は公私とも入鹿と密になりながら、中臣鎌足・中大兄による乙巳の変を向かえる。変の後、軽皇子、斉明(重祚)と変遷するが、ここには何十年も前からの壮大なプランがあったようなきがする。もちろん後の藤原家の始祖やその周辺によるのだが、これをいうには論証がいる。あくまでも仮説だが、蘇我氏を滅亡させそれに代わるためのグランドプランを立てて着実に実行していた人が、かなり早い時期にいた。
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