がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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ナビィの恋

2009年09月06日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

私があなたに惚れたのは

ちょうど十九の春でした。

 

テンペスト行脚の記事を一休みして、映画の話。

「さんかく山のマジルー」の記事でちょこっと触れたけど、
今から10年前の名作、「ナビィの恋」
(もう10年なるの~!?

主演、オキナワの大女優平良とみさん

この映画を見るのは4回目くらいだけど、
やっぱり泣けてしまいました。

たぶん、コレまで見たラブストーリーの映画でナンバーワンだと思う。

ここ数年跋扈している刹那的で表面的でお涙頂戴的な
チャラいラブストーリーなんてへのカッパですよ。

ストーリー紹介

祖父母の暮らす沖縄県・粟国島に里帰りした奈々子(西田尚美)。
幼馴染みのケンジ(津波信一)が操縦する島への連絡船で、
奈々子は白いスーツの老紳士を見かける。

奈々子を迎えるナビィおばあ(平良とみ)とおじぃの恵達(登川誠仁)。
ひょんなことで恵達の家に滞在することになった風来坊、
福之助(村上淳)も交えてにぎやかな雰囲気に。

だがなんとなくナビィおばあの様子が落ち着かない。
奈々子が船で見かけた男性は、60年ぶりに島へ帰ってきた
ナビィおばあのかつての恋人・サンラー(平良進)だったのだ。

島から追放されたサンラーが戻ってきたことで、
東金城家一同はユタ(吉田妙子)を囲んで大騒ぎに。
サンラーの「60年前の約束を果たしに来た」という言葉の意味は?

Wikipediaより引用

平良とみさんと平良進さんの恋物語もいいけれど、

泣かせるのはこの登川誠仁さん演じる恵達の愛のカタチかな。
切な過ぎる。
そしてナビィへの深く大きな愛をひしひしと感じます。

 

尚、平良とみさんと平良進さんは実生活では御夫婦です

さんかく山のマジルー」でも2人揃って仲良く共演しています。

もう80歳越えていらっしゃいますが、
まだまだ元気で、第一線で活躍してほしいです


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テンペスト行脚~龍潭~

2009年09月06日 | ・『テンペスト』行脚

■龍潭(りゅうたん)■

竣工式から帰ってきた寧温を見つけた嗣勇は、龍潭に誘った。

「あなたは評定所の花当……」

「孫親雲上、お話がございます」

今まで絶妙な距離で妹を見守っていた兄が、
初めて寧温に声をかけた。

城郭の外にある池、龍潭は王宮の施設の中で唯一息抜きできる場所だ。

常緑樹の枝が覆う池のほとりは目隠しになる。

池の外周を散策する小径が囲み、親水公園の趣だ。

家鴨や鵞鳥が餌を求めて人のお尻をついてくる長閑さだ。

 

「テンペスト(上)」より

 

龍潭の畔で息を整えた寧温は、この危ない綱渡りが全うできないことを覚悟した。

そう思うと今までの努力が無駄に思えて無性に泣けてくる。

「どうして私は男に生まれなかったのでしょう。

どうして私は女で生きていけなかったのでしょう。

父上、兄上、私はもうすぐ壊れます……」

 

「テンペスト(上)」より

 

寧温は徐丁垓とともに龍潭の畔を歩く。

静かな池のほとりには鳳凰木が見事な花を咲かせて、水面に枝を伸ばしている。

「徐太監はこの池をどう思われますか?」

徐丁垓は龍潭を見渡す。
水と緑の豊かな調和が雅な音楽を奏でるようだ。

「琉球にしてはまあまあの造りだ。よく勉強したようだな」

寧温はありがとうございますと頭を垂れた。

「この龍潭は国相・懐機様がお作りになわれたのです。
国相・懐機様は琉球を明国に負けない国にしようと惜しみない努力を行いました。
私たちは国相・懐機様のご功績のお陰で豊かな生活を築くことができました。

なのに、同じ国相であられる徐太監は、琉球を解体しようとしています」

 

「テンペスト(上)」より

 

 

…その後龍潭で最大の悲劇が…!
テンペスト最大の問題シーン…(号泣)

ちなみに、こちらも龍潭。

龍潭側から首里城を望むの図。


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テンペスト行脚~玉陵~

2009年09月06日 | ・『テンペスト』行脚

■玉陵(たまうどぅん)■

 

「兄上が奥書院奉行筆者を罷免された!なぜ?」

南電の廊下から荷物を纏めた嗣勇がしょんぼりと項垂れてやってきた。

「嗣勇殿、これはどういうことですか。不手際があったとありますが、まさか――?」

「茶会の不始末の責任を取らされたよ。これからは玉陵の墓主に命じられた…」

玉陵は王宮の西側にある石造りの王家の墓だ。

行事がなければ人ひとり近づかない役人の墓場と呼ばれる場所だった。

嗣勇の配属された玉陵は死者の王宮とも呼ぶべき、荒涼とした景色だ。

まるで古代に滅びた王朝の遺跡を眺めている気分だった。

歴代の王族の霊に仕えることになった嗣勇は、
霊の眠りを妨げぬよう、ひっそりと息を殺して勤務した。

嗣勇は月のきれいな晩に妹のいる王宮を偲んで歌を詠んだ。

 

わが玉陵に澄みわたる月の影に

覚出しゆるみやだいり

 

「テンペスト(下)」より

確かに王家の墓なので、首里城のすぐそばにあるとはいえ
ひっそりとした雰囲気でした。

でも、世界遺産の1つです。

規模こそ違えど、浦添ようどれ と雰囲気は似ていますね。

隣接する資料館には、琉球王朝最後の王、尚泰王の長男、
尚典が亡くなったとき(明治)の玉陵での葬儀の様子が写真パネルでみることができます。

(尚典の名前もテンペストにちらっと出てきます(笑))


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テンペスト行脚~首里城/木曳門~

2009年09月06日 | ・『テンペスト』行脚

■木曳門(こびきもん)■

尚泰王が去り、完全に王宮は封鎖された。

首里城を新たに囲んだ衛兵は熊本鎮台沖縄分遣隊の日本兵だった。
六尺棒の代わりにサーベルを携えた兵士達は、
王を偲んで王宮に集まった民たちを追い払うのが役目だ。

「帰れ帰れ。わけのわからん言葉を喋るな。おまえたちはもう日本人なんだぞ」

「臣民らしく天皇陛下を敬愛しろ」

「首里城は明治政府の資産だ」

厳重な警備の中をまた親子が王宮に忍び寄る。

「資材置き場の木曳門からなら進入できます」

「さすが母上様は何でもよく知っていらっしゃる」

警備の手薄な木曳門の低い城壁を越えた二つの影は真鶴と明だ。

 

「テンペスト(下)」より

 

建物の建設や修理のための資材を通すための木曳門。

普段は石を詰めていて出入りはできなかったそうですが、
現在は案内ルートの1つになっています。

西のアザナのすぐ近くの門です。

 

首里城から出ている写真集を見たら、復元したての頃の撮影だからか
城壁がとっても白い!!(驚)

こういうのを見ると、なんだかんだと首里城復元の頃から時は立っているんだなぁ~
としみじみします(笑)

(だって首里城復元&オープンの年の記憶あるもの~。
その時に学校で配られた首里城正殿をプリントしたブリキの鉛筆立てまだあるよ(笑))


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テンペスト行脚~首里城/京の内(昼)~

2009年09月06日 | ・『テンペスト』行脚

文章と写真で巡る、『テンペスト(池上永一著)』行脚シリーズ。

再開です。

太字が引用部分です。

一部引用でも意味が通じやすいように、場合によっては
文章を多少省いたり前後させている部分もあります。
御了承下さい。

■京の内■

王宮は三つの区域に分けられている。

思戸がいる御内原は王妃が管轄する女の世界、
評定所のある王が管轄する男の世界、
そして聞得大君が管轄するが京の内と呼ばれる聖域だ。

神職だけが立ち入りを許される京の内に女官が無断で入ることはタブーである。

しかし恐れ知らずの思戸は監視の目を盗み、京の内に潜入した。

「うわあ。森だあ」

鬱蒼と茂る原生林はここが城壁で隔絶された王宮だとは思えない。

人が主役の王宮の中で、京の内は樹が主人だ。

昼間でもほの暗い京の内は神々の息吹で緊張感が漂っている。

この中に首里十嶽と呼ばれる御嶽が配置されている。

思戸は御嶽の香炉の前に這った。

 

 

 

「テンペスト(上)」より

 

 

本来はもっともっと鬱蒼としたエリアだったのでしょうね。

京の内のテンペスト行脚はこちらにもあります。

闇夜に浮かぶ京の内の上壁、こちらのほうがイメージに合っているようです 。


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