がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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テンペスト行脚~読谷村渡久地、船~

2009年09月11日 | ・『テンペスト』行脚

昨日、シゴトからの帰りに渡久地の浜(ビーチ)に寄ってみました。

涼しいそよ風、穏やかな波音、そして向こうから聞こえるサンシンを爪弾く音。
目の前の海をさえぎる障害物は何もなくて、
端から端まで、ただ海と、空と、夕日だけ。

セロトニン大放出で癒されました…。

はぁ~、最高。

小一時間くらい砂浜で波音を聞きつつぼ~っとしてました。

 

では、この読谷村(渡久地)が登場している
テンペスト行脚です☆

 

■読谷村渡久地■

「国王の名において、皆様を英国へ送還いたします」

「私たちをどうやって送還するというのだね。船はもう壊れてしまった」

「皆様の扱いは朝貢国同士の漂流民協定に準じて行われます。
まず積荷を全てお返しします・
同時に新たな船を建造し、皆様を広東まで送り届けます」

「いくらで?」

「王府は漂流民と契約を結ぶことはありません。
新造船は無償で与えます。
それと航海に必要な食料や水、物資についても無償です」

「どんな裏がある?英国はどの国とも取引しないぞ」

「裏などありません。王府の行政機構において無償で与えます。
わが国の海事法ではそう規定されております」

「我々は総勢70人だ。これだけの人数を運ぶ船を造るとなると
少なくとも半年はかかる」

「いいえ、40日もあれば十分です。
我が国の造船技術ではインディアン・ホーク号と同じ規模の船を造るのには、
さして時間はかかりません」

「40日!どんな魔法を使えばそんなに早く船が造れる!
欠陥品だったら承知しないぞ」

「船の材料に不満があれば、申し出てください。
さらに船が不適当だと思うのでしたら、お断りくださっても結構です。
もう一度、気に入るまで造ります」

 

王府が建造した新しい船は、清国式のジャンク船だ。

竜骨と隔壁構造を持つ船は、インディアン・ホーク号よりも構造的に優れている。

これでちょっとした嵐でも沈没することはないだろう。

読谷村の河口で建造中の船は、急ごしらえとは思えないほど美しい船で、
防水材の黒色が琉球人の瞳のように艶やかだった。

王府は本当に40日でインディアン・ホーク号以上の船を建造してしまった。

 

「テンペスト(上)182-」より

 

 

↑の写真は読谷村の河口、比謝川が海に流れでるところにある渡久地港、そして渡久地の浜です。

読谷村の渡久地港付近は天然の良港として造船所が設けられ、
船も多く行き来する、とてもにぎわっていたいたエリアだったそうです。

中国へ初めて使者(進貢使)として渡った泰期も読谷村出身。

そして進貢船。

よみたんまつりのクライマックスで泰期をのせて登場する船です。
(数年前にケータイで撮った写真です…)

 

くりっとした目のような船がオキナワの船の特徴的です。


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