がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

テンペスト体感ツアー

2010年12月04日 | ・『テンペスト』徒然

いつネタにしようか思いあぐねていましたが…

沖縄では1週間ほど遅れましたが
やっとテンペスト文庫4巻が店頭に並びましたので
ご紹介いたします!!

池上永一氏公認!
「テンペスト」体感ツアー!!

↑↓のリーフレットは文庫4巻に挟まれているものです。

テンペストに登場するゆかりの土地や場所を巡るという
そう、まさに「テンペスト行脚」なツアー

首里城へは普通に沖縄観光旅行でも訪れるとは思いますが、
ただの首里城ではなく、
テンペストにちなんだ首里城散策ができます!

もちろん、首里城だけでなく、
切ない恋舞台・三重城や、
ベッテルハイムの居住地・護国寺、
徐丁垓を討った万座毛、
聞得大君就任式が行われた世界遺産・斎場御嶽などなど…

こゆ~いツアーコースが設定される…予定!

テンペストファンはもちろん、
テンペストを読んだことがない方も
楽しめて、ツアーをきっかけに本を読んでみる…

というようなどの立場の人も楽しめる企画になること必至★

もちろん、「ツアー」ですから、ちゃんとテンペストの世界へご案内するガイド付き♪

まだ細かい内容や申し込みは発表されていませんが、
ツアー公式サイトはオープンしており、
ここで詳細が決まり次第順次upされていくようです!

是非、

http://tempest.tabihatsu.jp/

をチェックしてみてくださいね

 

ってなことで、

実はワタクシ和々、
ひょんなことからこの企画立案に関わってございます(笑)ははっ もう笑っちゃってください(笑)

私自身、わくわくしていますので
絶対損はさせないツアーになること必至ですヨ

 

 にほんブログ村 歴史ブログ 琉球・沖縄史へ 歴史ブログ 琉球・沖縄史 
今日もご訪問ありがとうございます。ぽちっと応援お願いします♪


次の野望は…「百十踏揚」(与並岳生著)をもっとメジャーにして大河ドラマ化!(笑)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿麻和利斬首の地???

2010年12月04日 | ・琉球史散策/第一尚氏

なんとま~、衝撃的なタイトルをつけてしまいましたが…。

 

あくまでも語尾に「???」です。

阿麻和利の死に様そのものが謎ですから、
何かと「憶測」でしかないんで、
そこのところ踏まえて読んでくださいね。

 

読谷村の民話集(古老の口伝集)によると、
阿麻和利は首里軍に攻められ、
生まれシマ屋良村(現・嘉手納町屋良)へ逃げ、
そこから更に逃げ読谷山に入った。

しかし、ついに見つかり、
「マルチャバタキ(俎畑)」というところで斬首された。

と。

マルチャ(俎)とはまな板の意味で、
作物ができない平らな畑ゆえにそう呼ばれていたのだとか。

で、その俎畑の場所を
「闘牛場があった(作る予定だった?)場所」
と古老たちがおっしゃっていることから、

読谷出身の方々に聞いて
まとめた場所が、ここ…かな???ということです。
(この写真よりももっと下おりて右かもしれないけど、だいたいこのエリアっぽい)




 

で、すぐ近くに阿麻和利のお墓がある、ってね。

 

……前も書いたけど、ワタシ的には
阿麻和利は勝連グスクで死んだ説を取りたいですなぁ。

 

 にほんブログ村 歴史ブログ 琉球・沖縄史へ 歴史ブログ 琉球・沖縄史  
記事や写真がお気に召しましたらぽちっと応援お願いします♪

 


*追記*

この後、色々と本を読んでいると、俎畑、つまりウエンミモーエリアは
現在のトリイステーション内のようです。

「真説 阿麻和利考」(高宮城宏著)より引用↓

ウエンミモは昭和9年に大木原より楚辺876-968番地に地目編入、
原名として親見原の宛字が用いられており、
トゥクブサーモーグヮーより北方へ600米ほど離れている。
現在のトリイ通信施設内に位置している。
(P169)


※トリイ通信施設は徳武佐の北には位置していないため、
「南方へ」もしくは「西方へ」の誤字か?



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする