「月下に語る」(3/4) 予告編 はじめに 1/4 2/4
原案/和々 著者/シルフ+和々
◆ 五
――――なぜ俺は、こんなところまで…。…読谷山まで……。
下弦の月の明かりがひとり行く賢雄を照らす。
涼やかな虫の鳴き声が聞えてくる穏やかな夜だった。
眠れぬ夜に嫌気が差し、賢雄は結論の出ない疎ましい自己の思いと胸のざわめきを振り払うかのように、
人里を離れ、あてもなくひたすら歩いていた。
――――今だ定かでない阿麻和利按司の幻を追って…。なぜ、俺は…。
「………。」
例の胸のざわめきが、読谷山へ向かえと言っているような気がした。
―――俺は、このざわめきに従っているのだろう。無視しようとすればできるものだ。
…だができない。従わなくてはならないような気がする。
―――もしや……護佐丸公が呼んでいる?
「まさか。」
思わずつぶやく。
―――あの方は死んだのだ。
阿麻和利按司と、俺の仕掛けた戦……いや、実質的には“俺の仕掛けた”戦のせいで。
だが、一度そう考えるとだんだんそう思えてくる。
もしそうだとしても、なぜ俺をここに?
あの方にとって、俺は、まさに自身の死の原因ではないか。
そのような者を何故、自分の生まれ島に呼ぶのだ。
――――……仇を?
自分の思考にハッとし、我に返るといつの間にか広い平野に出ていた。
後に俎畑(マルチャバタキ)と呼ばれるこの場所は、作物ができない地質なのか、
農耕されている形跡はなく草が自然のままに伸びた荒れた土地だった。
賢雄がふぅ、とため息をつき、来た道を戻ろうとした時だった。
「……?」
向こうに人影が見えた。
月の淡い光の中だったが、確かにはっきりと。
どこか見覚えのある、その影の形。
「―――まさか……。」
◆ 六
賢雄は息を殺してその人影を見据える。
疑いは次第に確信へと変わっていった。月明かりに浮かぶ、見慣れた後ろ姿。
「……―――!」
思わず賢雄は我が身を隠そうと後ずさった。が、その反動で静かな空間に、がさりと草が割れる音が響いた。
その音に、人影が振り返る。
しばしの沈黙の後、人影の正体―――阿麻和利は声を発した。
「―――…賢雄…、大城…賢雄か…?」
その声に賢雄がハッと顔を上げる。
瞬間、阿麻和利と賢雄、二人の視線が絡み合う。
「…本当に……阿麻和利按司なのか…?」
幻ではないのか。賢雄は自分の名を呼ぶその声に、驚きを隠せなかった。
しかし、その実態は確かなものであり、阿麻和利按司の体には身に覚えのある傷――そう、勝連で賢雄が負わせた傷に他ならない――も見ることができた。
阿麻和利も一瞬驚いた顔で賢雄を見据えていたが、すぐに緊張を緩ませ自嘲気味に笑った。
「はは…。よりによって護佐丸公の故郷で再会するとは。…なんという運命の悪戯よ。
…いや、さては護佐丸公が我らを呼び寄せたのであろうか。」
お前もそうは思わぬか?と親しげな顔を賢雄に向けた。その顔に、敵に再会した緊張感や殺気は一片もなかった。
「やはり…生きていたか、阿麻和利按司…。」
賢雄は自分を今一度納得させるようにつぶやいた。
自分の勘は正しかったのだ。胸のざわめきが一層大きくなる。
と、その時。
草むらの向こうから物音がした。賢雄は目でその音の方向を追う。
そこには愕然とした表情をした津堅が立っていた。
人目を忍んで調達してきたであろう作物を抱えていた。
「…おぬしは……確か、津堅とか言ったか。」
百十踏揚の守役として共に勝連グスクで過ごしたとき、何度か顔を合わせたことがある。
親しく会話を交わすほどではなかったが、阿麻和利の側近の一人として見覚えがあった。
津堅は返事もせず賢雄を睨んだ。
「…なるほど。こやつのお陰で、傷を負いながらも勝連から逃げおおせたのか。」
そう言った時だった。
津堅は剣を抜き、問答無用で賢雄に向かって駆け出した。
否、駆け出そうとした。
「――――おのれ賢…!」
「来るなっ!!!!」
阿摩和利の剣幕に、津堅は思わず足を止めた。
「頼む。来ないでくれ、津堅。」
「阿麻和利様…!」
虫の声がぴたりとやみ、静寂が辺りを包んだ。
三人の間を吹き抜ける一陣の風。
阿麻和利は、津堅がとどまったことを見届けると賢雄に向き直って話しかけた。
「賢雄。頼みがある。」
「頼み?」
「……私を、斬れ。」
「「!?」」
賢雄と津堅は同時に驚きをあらわにした。
「阿麻和利様!?なにをっ!?」
「……どういう意味だ?」
真意を測りかねた賢雄は阿麻和利に尋ね返す。
阿麻和利はしっかり賢雄を見据え、落ち着いた口調で言った 。
「―――私はもう長くはない。お前につけられたこの傷が、思いのほか深くてな。……剣を振り回すことはおろか、立って歩くこともままならぬ。
…今だに生きているのが不思議なくらいだ。」
さすがは鬼大城よ、と阿麻和利は苦笑いした。
「追っ手の兵や密偵ではなくお前がひとりで現れたところを見ると、私は勝連で死んだことになっているのだろう。
……しかし、王命に忠実なお前のことだ。生死があいまいなままにするはずはないと思っていたことだ。
お前とて、わたしの生死を確かめて殺しにきたんだろう?」
―――違う!
ざわり。
賢雄の胸のざわめきが高まる。
―――確かに俺は阿麻和利按司を探して、胸のざわめきのままここ読谷山まで来た。
しかし、阿麻和利按司の生死を確かめて殺すためではないのだ。
では、なんのためだ。
護佐丸公が俺をここ、読谷山に呼んでいると感じたのは、……俺と阿麻和利按司とを再会させたのは、一体、なんのためだ!
「さあ、何をためらうことがある。わたしに刃向かう力はもうない。」
「―――だとしても!!」
賢雄は阿麻和利に噛み付くように声を荒げた。
賢雄はやっと気づいたのだ。この胸のざわめきの理由を。
私情を殺した王の忠僕としてではなく、一人の人間、一人の男としての本当の気持ちを。
―――俺はこの男に、生きていて欲しかったのだ。この肝高き、強き男に…!!
「阿麻和利様!!」
耐えかねて津堅が口を挟む。
「死んではならぬと、天がその命を取るまでは生きろと!!そうおっしゃったのは阿麻和利様ではありませんか!!」
動揺を隠せない津堅に、阿麻和利は諭すように語りかけた。
「―――津堅。遠く離れた、それも護佐丸公の故郷である読谷山で賢雄と再会した。それこそがもう天命なのだ。
…天にいる護佐丸公が、按司としてけじめをつけろと、そうおっしゃっているに違いない。
わたしはやはり、按司として死なねばならぬ。」
「……っ!」
「賢雄。わたしはここで降伏しよう。このままのたれ死ぬよりも、今一度、鬼大城と名高いお前に斬られ死ぬほうが按司として名誉というものだ。」
「――しかし!踏揚様は……百十踏揚様は!!」
津堅はなおも食い下がる。
賢雄も津堅に同意して言葉を重ねる。
「……津堅の言うとおりだ。踏揚様のことはいいのか。」
踏揚と言われ、一瞬、阿麻和利の顔に哀愁の色が浮かんだ。
「……あの夜。…私は誓ったのだ。
護佐丸公の遺体を目にした時。中城の戦から戻ったわたしに恨み言一つ言わず必死に悲しみに耐えている踏揚の姿を見たあの時…。」
「戦を避けるためにも力がおよばず、護佐丸公を見殺しにした。
また、お前のようにゆるぎない信念を持って王命を遂行することさえもできなかった。
わたしはどちらも成し遂げられなかった中途半端な人間だ。それ故に踏揚に辛い思いをさせた。
この罪は、私が踏揚のそばにいて、踏揚を、私の一生をかけ、守りきることで償おうと…。」
津堅も賢雄も何も答えることができず、ただじっと阿麻和利を見つめていた。
「……だが……。首里で…踏揚を自ら手放した時から、それももう……叶わぬことだ。」
阿麻和利は遠い目をして首里の方角に目をやった。
脳裏には炎の中泣き叫ぶ踏揚の姿が浮かんでいた。
阿麻和利はしばしの沈黙の後、賢雄に向き直って静かに言った。
「……だから賢雄。…私は、お前に踏場を託したいのだ。」
「―――…!」
驚きに目を見開く賢雄を見て、阿麻和利はふっと笑った。
「先の中城戦に加えてこのたびの勝連戦。お前は総大将として立派に王命を果たしたではないか。」
阿麻和利は自分の刀を腰から引き抜き、賢雄に向かって差し出すように持ち上げた。
「今、わたしを確かに討ち取り、その証としてこの刀を持ち帰れ。
この阿麻和利の刀こそが、まことに阿麻和利を討ち取った証としてお前の地位は更に高くなろう。
己の地位を高くし、踏場の近くで、踏場を守って欲しい。そのためにも、わたしを斬り、わたしの刀を持て。
―――これが勝連按司としてのけじめでもあり、護佐丸公や踏揚に対する最後の償いでもあるのだ。」
「……本気なのか?阿麻和利按司。」
「ああ。」
落ち着いた様子を見せている阿麻和利に対し、賢雄はまだ気持ちの整理がつかないような複雑な表情をしていた。
同じ武将どうし、阿麻和利の言いたいことは頭で理解できても、心で踏ん切りがつかないというところだろうか。
賢雄は自分の気持ちを整理すべく、目を閉じ、黙想した。
阿麻和利按司に生きていて欲しいと願う、一人の人間としての情を自覚したとたん、その命を獲ることを求められた。
人間としての情を通したいと願いながらも、結局はそれを押し殺さざるを得ない。これも武将としての性なのか―――……。
私情を自覚した上で、武将として生きる覚悟が求められた。
私情を殺して武将として生きるよりも、なんと辛いことか。
護佐丸公が俺に伝えたかったのはこれなのか。
按司として、武将として、そして一人の人間として大きな存在であった護佐丸公。
ここ読谷山で二人を引き合わせたのは、やはり護佐丸公によるものだったのだ。
阿麻和利には按司としてのけじめを、
賢雄には武将としての性を―――……。
「…相分かった……。」
長い瞑目の後、賢雄は覚悟を決めて目を開いた。
「……よし。…これでこそ、琉球一の武将、鬼大城だ。」
阿麻和利は満足そうに頷いた。
「阿麻和利様!」
津堅が刀を投げ捨てて阿麻和利に駆け寄った。
―――ああ、阿麻和利様は、本当に、死ぬおつもりだ。
顔こそ穏やかなものの、その目から、意志の強さがうかがい知れた。
「……津堅。」
阿麻和利は津堅の頭に手を置き、穏やかに言った。
「お前は、私にとって一番の従者だ。お前ならきっとどのようなところでもやっていける。」
「嫌です。言わないで下さい…っ、そんな、今の際みたいなこと!!」
阿麻和利の着物を握り締め、諦めきれぬように阿麻和利の体を揺さぶった。
「言ったであろう、お前も武士の端くれなら覚悟を決めろ…!」
叱責するような阿麻和利の声に、津堅はハッとして身を引いた。
…が、阿麻和利はすぐに優しい笑みを浮かべると津堅を見つめ最期の言葉を伝えた。
「今までありがとう。達者で暮らせ。」
そして阿摩和利は、賢雄殿に背を向けて座った。
「さあ、斬れ。」
「………津堅。下がっておれ。」
賢雄はすらりと刀を抜いた。
「賢雄殿!!」
「……では、よろしいか。」
阿摩和利は、ははっと笑った。
「なぜお前がそんなに辛そうな顔をする。」
「……しておらぬ。」
短く答えたその声は、心なしか潤んで聞こえた。
「後ろを向いていても、気配でわかるぞ。」
賢雄。と阿麻和利は呼びかけた。
「踏場を、頼んだぞ。」
「承知……っ!」
そう言うと、賢雄は刀を上に振り上げた。
刀に月明かりが反射する。
「―――ああ。」
阿麻和利は穏やかな顔で、その眼(まなこ)に月を映す。
「真に、……いい月だ。」
シュッ
刀が、振り落とされた。
(4/4につづく)
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