昨日も書きましたが、
創作琉球短編小説、(やっと)できました!
タイトルはとりあえず
「月下に語る」
(命名:シルフさん)
第2弾となる今回の小説の発端は
「読谷の人物もしくは史跡をモチーフにして創作をしよう!」
でした。
数ある偉人・史跡の中から選んだのが
「阿麻和利の墓(伝)」
(ちなみに他の候補としては泰期とかでした)
なぜここに阿麻和利の墓があるのか?
という謎の部分を完全創作しました!
(とりあえずの完成、ということで今朝、阿麻和利の墓を参ってきました)
さて、今回の小説は
「護佐丸・阿麻和利の乱」などの琉球の歴史を知らない人たちにとっても
それなりに理解でき小説として楽しめるように、
逆に、歴史や更にそれにまつわる様々な諸説を知っている人にとっては
「なるほど、これをこう入れてきたか」
と思えるようなストーリー作りを心がけました。
(おかげで超難航する羽目に…)
そして、阿麻和利はもちろん、
これまで割と悪役寄りの立場にあった(肝高の阿麻和利、花織の宴、小説・百十踏揚しかり)大城賢雄を
かっこよく(魅力的に)書く!!
というのが最大条件でした(笑)
これまで私が見聞きしてきた
「護佐丸・阿麻和利の乱」や阿麻和利の墓にまつわる
歴史書の記述や、数々の民話・伝説・通説を織り込んで
この小説はできております。
それらの諸説、一応、どんなものがあるのか書いておきます。
見たくない!!
っていう人は飛ばして下さいね。
1
「王の命令の元」行われた中城戦
2
百十踏揚と大城賢雄の勝連“脱出”とその直後の勝連討伐
3
勝連討伐直前に実際に阿麻和利が首里城に火を放ったという記述
4
そして首里城校外(弁ヶ岳付近とされているとか?)で一戦交えたが撃退され勝連に敗走したという話
5
賢雄が勝連グスクにて、阿麻和利を討ち取った(首を取った。斬った)という歴史書「球陽」などの記述
6
読谷にある、阿麻和利の墓とされている遺跡の存在。
7
それは昭和14年に地元の新聞で報道されたこと。
8
それまでは「屋良墓」などと呼ばれる隠れ墓であったこと。
9
その隠れ墓に人知れず線香を手向け、ひっそりと去っていく人たちがいたとの伝承
10
阿麻和利が勝連グスクから逃れたという別の説
11
生まれ島である現・嘉手納町屋良に逃げたが追われ、
更に読谷山にまで逃げそこで捕らわれたという推測
12
読谷で阿麻和利が「エンミ=降参」したとの伝説。
13
その場所がウエンミモーと呼ばれているという伝承。
(現在のその一帯の小字は親見原である)
14
さらにそこが俎畑(俎=まないたという意味)と呼ばれる
作物のできない不毛の平野であり、阿麻和利はそこで斬首されたという伝説。
15
読谷山が護佐丸の故郷であること(当時は現・恩納村も含めて読谷山であった)
16
賢雄の刀の1つは、実は阿麻和利の刀であったのではという説
17
賢雄と百十踏揚の再婚。
英雄・阿麻和利像
+
阿麻和利と百十踏揚ラブラブ説
という、ワタシの希望的妄想に筋を通すべく、
また、うまく小説に取り込むべく、これらと格闘いたしました!!
1番難点だったのが「賢雄と百十踏揚の勝連“脱出”」。
百十踏揚が阿麻和利から離れなければ、首里は勝連を攻撃しかねたであろうし。
阿麻和利・百十踏揚ラブラブ説を取りたい私としては、
なぜ百十踏揚が勝連や阿麻和利から離れたかは
どうにか処理しないといけない重要項目でした。
それと、阿麻和利が「実際に首里城に火を放って一戦交えている」という歴史書での記述。
小説「百十踏揚」ではそこんところがうま~く処理されているのですが(文句なし!)、
ワタシは「首里城」を「首里」にまで緩めて新解釈で切り込んでみました!
さらに、読谷に阿麻和利の墓があることに対して
「勝連から生まれ故郷の屋良に逃げたが追われて、更に読谷まで逃げてきた」という通説。
やっぱりこっちも腑に落ちない。
「阿麻和利は本当に屋良に逃げたのか?幼少の頃苦い思い出しかない屋良に、勝連を捨てて?」
ということで、屋良への逃亡説はバッサリ切り捨てです。
で、やっぱり首里に悪者になってもらいましたが、
金丸か尚泰久かは敢えて追求せずぼやかしておきました。
この小説はあくまでもフィクション。
「作りすぎでしょ」って思われるところもあるかもしれませんが
なるべく許容範囲内に収まるように努力しました。
著者は前回の「北山炎華」に引き続きPNシルフさんと、
それからそれを叩き台にして加筆したワタクシ和々でございます。
(割合だいたい5:5くらい?)
未熟な構成や文章も多々あるとは思いますが、
それは御愛嬌として楽しんでいただければ幸いです。
では本編につづく♪
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