がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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在りし日の勝連城―模型―

2011年11月04日 | ・『百十踏揚』を読ム

勝連グスク資料館にある、模型です。
(去年6月に撮った写真を発掘…

当時の面影を感じることができれば、
阿麻和利や百十踏揚、鬼大城、そしてそのドラマを
よりリアルにイメージできて楽しいですよね

というわけで、小説「百十踏揚」をベースに、
勝連グスクでのドラマをまとめてご紹介

すでにピックアップしている記事も多いので
現在のその場所を見てみたい方はリンクをクリックして下さい。

また、過去記事、在りし日の勝連城の絵も一緒にご覧くださいネ

南風原御門は百十踏揚が嫁入りした場所。

勝連討伐で王軍の進入を許したのが東の郭側。
現在はこんな状態

一番死闘が繰り広げられたであろうのが下グスクエリア(四の郭)。
勝連グスクの心臓部。
ああ屋慶名…壮絶すぎる。

四脚門は、鬼大城が女装して上グスク侵入を許した場所。
(四脚門は形状であり、門の名前ではありません)

勝連討伐後、戦利品として鬼大城が賜ったのもこの門であったか。

鬼大城VS阿麻和利が上グスク(二の郭)、按司館前の御庭。
鬼大城VS阿麻和利、かっこよすぎ

(ちなみに『月下に語る』も同じ位置設定です)

↑写真手前が一の郭。

阿麻和利が夢を描いた場所。

茂知附按司が酔っ払って落下死した場所。

百十踏揚と鬼大城が“脱出”した場所。

勝連討伐の際、真五郎が侵入して火をつけた場所。
(真五郎のバカー

ただ観光で漠然と見て周るだけだと、

「坂がきつい」とか「見晴らしがいい」とか、広いとか狭いとか、
ただの“風景”としか写らないグスクですが、

この場所で起きたドラマを知ることで、
ただの石積みが、ただの傾斜が、ただの広場が、
すごく魅力的に写ってきます。

歴史とは、ただの知識じゃなく、
歴史とは、私たちと同じ人間の営み。

人間の織り成す数々のドラマ。

それを知り、そしてその舞台(場所)を味わってほしいのです

 

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コメント (2)
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