尚巴志やら大城賢雄やらの身長については
過去も何度かネタにしてきましたが、
新ネタをゲットしました!
第二尚氏王統の歴代の王様の平均身長!
それはなぜ分かるかというと、
第二尚氏王統の陵墓である「玉陵」(※世界遺産)。
この玉陵は詳しい調査も入っておりまして、
残っていた遺骨から推定身長を割り出しているのです。
…とは言っても、いかんせん保存状態がよくないものが多く
計測できなかったもののほうが多いのですが、
それでも第二尚氏の王様8名と、その兄弟2名の推定身長が
『重要文化財 玉陵復元修理工事報告書』
に記載されておりました!
分かっている中で1番時代が古いのが1500年代。
4代目の尚清王の155センチ。
でももしかしたらその前の、3代目尚真の可能性もあるとか。
(尚真は金丸の息子ですネ)
そして5代目、8代目と飛び飛びになりながら19代の尚泰まで。
(残念ながら、金丸の推定身長は測れなかったようです)
その平均身長、154.8~155.6センチ
ちなみにその頃の日本人の男性平均身長は
155.5㎝~157㎝くらいらしいので、
比較するとちょっと小さい、くらいかな。
一応、時代によって平均身長って結構浮き沈みがあるみたいで、
江戸・明治時代が1番平均身長低いらしいですね。
(参考サイトはこちら)
室町時代の日本の男性平均身長が157~158センチくらいだったとすると…
やっぱり尚巴志の「5尺(=150センチ)にも満たず」というのは
やっぱり特記事項になるくらいの小ささだったということなのですね。
とはいえ、今の私達がイメージするほどの極端な小ささではなかった、
ということも分かりますね。
他にも、
頭部はやや大きく、顔面の起伏が大きく、鼻部の隆起が目立つ、
ともありました。
つまり彫りは結構深い顔立ちということですね。
典型的なTHE☆うちなんちゅじらーだったのかもしれませんね~(笑)
ちなみに、同書によると第二尚氏王統王妃6名の平均身長は
144.8センチ。
…小さっ!
百十踏揚とかオギヤカ(金丸の妻)とかもこれくらいだったのかもしれませんね。
歴史上の人物像が、またちょっとリアルに捉えることができる
おもしろ情報でした!
歴史ブログ 琉球・沖縄史
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写真は玉陵、欄干のシーサー。
ゆるキャラじらー(笑)