南山グスク。
南山王、他魯毎の居城。
あがってすぐあるのが拝殿。
琉球のグスクは、戦前皇民化教育の一環として
「神社」と同一化されたものも多く
南山グスクにも鳥居がたてられていました。
南山グスクは高嶺小学校・高嶺中学校のすぐ隣にありました。
どれくらいすぐ隣かというと、
運動場の延長線上に南山グスク。
壁もフェンスも何もなくて、見事なバリアフリー(笑)
仕切りのない学校とは…めずらしい。
(証拠写真、撮っておくんだったな)
その運動場側のすぐそばある石碑。
戦前のもの。
「南山城跡」って書いてある。
その隣のプチ玉陵的なものは…お墓?拝所かな?
他にもいたるところに拝所が。
真黒い香炉!Σ(゜∀゜;)
城壁の後も所々に見られました。
ただ、南山グスクの城壁全てが当時のものというわけではなく
崩して移動してたり、リサイクルされていたりもするそう。
(入口付近の布積みの城壁とか)
でもこの辺の古い城壁は、当時のものかも、とのこと。
南山グスクについての案内板はこちら↓
南山のドラマはちょいと複雑。
まとまりがないんだもん、南山。
尚巴志も南山の佐敷の出ですが、
やはり「中山の尚巴志」としての印象の方が強いし、
中山・北山に比べるとまだ人物ドラマとしては影が薄いかな~とは思ってますが
(現代版組踊シリーズでもまだないし)
でもその分、隠れたドラマや人物像がまだまだ作れるエリアだとは思っています。
前から言ってますが、南山からもヒーローを!
(今のところワタシの中での候補は他魯毎の弟、南風原按司守忠さん(^ε^))
…じゃあ、ついでに守忠さん制作秘話(@琉球戦国列伝)
実は彼のモデルはたまたまそばにあった阿修羅像(写真)でした。
「なんか憂い顔のおっさん描けたんですど~」ってラフ送ったら
南風原さんが後からはめられたって感じです。
なので元々他魯毎の弟のつもりで描いた絵ではないので
他魯毎と意識して似せた絵にはなっていないのです
最初から他魯毎の弟を意識して描いてたら
体系は痩せ型だったとしてももっと毛を多くしてゲジ眉にしてたでしょう。
きっとお母さん似なのねってことで(笑)
でも
「他魯毎の弟ならせめてもうちょいひげは濃くしなきゃ!」ってことで
最初は全然ひげがなかったのですが、
剃っても残ってる(青ひげ?)ふーじーにしてみました(笑)