がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

具志川按司の娘

2014年01月16日 | ・琉球史散策/第一尚氏

  

昨日アップした、第3の具志川グスク(INうるま市)のこと。

どうやら、尚徳の妃は具志川按司の娘、らしいですね。
(参/「新琉球王統史4」 wikipediaにもあった)

もちろん糸満の具志川按司、と考えられないこともないですが
うるま市の具志川按司が、昨日書いたような
安慶名按司一族(というかその1つ上の伊波按司から派生した門中)だとすれば
その一族に護佐丸も賢雄も連なっており(阿麻和利については保留)
中頭地区でそれなりのポジションにある…ということになるので
その関係のような気がします。

っていうか、糸満の具志川グスクに住んでいた按司は同じく「具志川按司」なんだろうか?
○○按司という名称の○○には地名(領地名)が入るはずだが、
糸満の具志川グスクの場合、具志川という名称はどうなんだろ。
伝承にあるように久米島の具志川からの流れで同名にしたのであれば
具志川按司とはならない(呼ばれてない)ような?

だとしたら、クーデターの際に京の内のガマで殺されたのは
幼き頃この具志川グスクで育った女だった…ということになります。

そう考えると、この具志川グスクを見る目も
ちょっと変わるような気がします。

 

 イラストは2010年の秋、
8年のブランク間もない頃に描いた尚徳(一部修正)。

尚徳に関しては最初から“出来上がっている”キャラでした。

 


今日もご訪問ありがとうございます。
ぽちっとクリックで応援お願いします♪


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする