がじゅまるの樹の下で。

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尚徳王、投身自殺の裏口承

2014年01月21日 | ・琉球史散策/第一尚氏

史跡フォトも面白ネタも溜まっているのに、
紹介が全然追いつかない今日この頃デス

先日尚徳のイラスト載せたので尚徳繋がりで。

 

1469年の尚徳(享年29)の死については歴史ミステリーの1つですが、
首里で急逝した、というもののほかにも

久高島で国笠とラブラブしてる時に
首里でクーデターが起きて海に身を投げた
という説も有名ですね。

 

でもこの説には、
さらにこんな裏の口承があったらしい…!!

 

久高の海に沈んだ尚徳。

 

しかしそれは、

 


尚徳の着物を来て、
身代わりとして海に飛び込んだ家臣だった!

 つまり、影武者!

何ぃーーーーっ!? Σ(゜д゜;)

 

その家臣の名は仲程筑登之(なかほどちくどぅん)。

彼は首里上間村の七門墓のそで墓に葬られている…

というのは上間村の古老たちの口承だそうです。

 

参「考証・王冠を釣った金丸」(當真荘平著/1996)

 

 

尚徳(に見せかけた仲程筑登之)の投身自殺の報は瞬く間にひろがり、
その隙に尚徳は「北」に逃れ、足跡を残した…
ということでしょうか。

なるほど…。

(喜界島に尚徳の位牌があるといいますしね)

 

 

というわけで、写真は本島と久高島の間の海上より。

知念半島、斎場御嶽方面を眺むるの図。

 

実はこの海の底には。。。。。。

 


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