がじゅまるの樹の下で。

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琉球王とノロのラブ

2014年02月08日 | ・琉球史散策/第一尚氏


最近イラストUPしてないなーと思って
描いてみた古琉球ノロさん。
(※創作です。鮫川大主か思紹時代あたりのイメージ設定)

ところで尚巴志をはじめとする各王様について見てたら
側室のポジションに結構「ノロ」さんがいることが多いです。

それらはたいてい伝承などによるものなのですが、
例えば尚巴志だと読谷伊良皆の東松田ノロ、
尚泰久だと、江洲ノロ、
尚徳はもちろん国笠(久高島のノロ)、
尚円(金丸)も西原ノロに今帰仁崎山村のノロ、

王様ではないけど護佐丸も北山看守時代に
今帰仁ノロとデキてる、

という具合。


「考証・王冠を釣った金丸」(當真荘平/H8)
「琉球歴史夜話」(源武雄/S46)
「護佐丸一統繁栄記」(伊波盛誠著/1988)


いずれも「正妃」ではありません。

当時、正妃以外にも「妻」や「夫人」を置くのは普通のこととしても、
神女である「ノロ」さんが多いのは気になりませんか?

 

「月代の神々」(當眞荘平/S60)にこんな記述がありました。

 

王の出陣にはウナジャラ(妃)は同行しないので
ノロの家に陣屋を構えるのが決まりであった。

戦斗が長引けば滞在日数も伸びるわけである。

したがってノロとの間に子も生まれることになる。

 

うーむ。

確かにノロならその地方ではそれなりの格と言うか
ポジションにあっただろうから
それなりの家に住んでいたことでしょう。

で、王がその地方でそれなりの家に
宿をとるのは当然の事でしょうな。

そんで……
っていうのも、分からんでもない。


でも個人的に思ったのは、
単なる「そこにいた女だから」という単純なコトよりも
ノロだからこそ、
つまり神女としてのノロと交わることで
神の力をとりいれるというか
そういう意味合いもあったりして…?

と。

相変わらず古琉球偏愛なので
近世の例は分からないのですが
もし古琉球の時期に著しくみられる例ならば
戦世ならではのならわしとして
そんなことも考えられるかもしれません。

 


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