琉球古道を歩いてみようシリーズ。
前回、中頭方西海道(尚寧王の道)をレポしましたが、
途中でちょっと道をそれると
「末吉宮参詣道」になります。
はい、じゃあ、テキスト58ページを開いて。
準備OK?
首里城を出発して、耳切り坊主の立つ中城御殿の側を通り、
下之道を通って儀保交差点へ。
浦添と首里の境目であった太平橋までは
前回の中頭方西海道と一緒。
しかし郵便局の所から森に向かって小さな脇道に入り
末吉宮を目指すと「末吉参詣道」ルートになります。
末吉宮に行くにはもちろん82号線沿いの
末吉公園入口の駐車場から行く方法などもありますが、
参詣道としてはこのルートが本来の道。
では写真レポ。
[おことわり]
前回の中頭方西海道もそうですが、この日撮った写真はデキがあまり良くありません;
天気がよろしくなかった上、じっくり構えて撮っていないためぶれてしまっているのが多く、
また、設定など「αカメラ」を充分に使いこなせていないトコがあります。
ゴメンナサイ。
石畳が残る末吉宮参詣道。
石畳道と言えば金城町の石畳や当山の石畳(テンペストロケ地)が有名ですが
ここの石畳道も王国時代を感じる古道として
雰囲気抜群だと思います。
道沿いにちょこちょこ墓はありますが、
鬱蒼とした木々をもうちょっとキレイにして風通しを良くすると
もっと人が来やすい、いいお散歩コースになると思う。
(今のもこれはこれで雰囲気あるんですが、人気もなくちょっと薄暗いので一人歩きはちょっと躊躇する人もいるはず…^^;)
入ってすぐの右手には高平山(たかでーらやま)があります。
組踊「万歳敵討」に出てくる悪役・高平良御鎖の屋敷があったと設定される山だそうです。
(↑クリックで拡大します)
組踊「万歳敵討」の舞台写真とあらすじはこちらから。
途中、右手の藪の奥へ行くと、
琉球五偉人の一人、羽地朝秀のお墓があります。
羽地朝秀(1617~1675)は琉球を代表する政治家で
日琉同祖論を唱え、これまでの古い風習を見直すなど
薩摩侵攻後の新しい琉球の国造りのため、様々な改革を行った人。
琉球初の王府編纂の歴史書「中山世鑑」を書いた人でもあります。
末吉宮に曲がる道の近くに遍照寺跡があります。
組踊「執心鐘入」の舞台でもあり、
テンペストにも出てくる遍照寺。
以前も記事にしているので今回は写真だけ。
末吉宮はもうすぐそこ。
こちらも以前に行ったこともあり、
この日のメインは尚寧王の道だったので上までは登らず。
末吉宮参詣道、ということで末吉宮に至るまでの
石畳の道のりを簡単にご紹介しました。
しかし末吉公園エリア内には
以前記事にもした鮫に助けられた漢那親雲上之墓碑や
まだ記事にしてないけど宜野湾御殿家之墓、玉城朝薫生誕300年記念碑など
見どころがまだまだたくさんあるので
じっくり時間をかけて散策するのもおススメです
参/「琉球古道」(上里隆史著)
テキスト58ページ(笑)
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浦添グスクの為朝岩、なんかしてない?
って書いたけど、この間みたら足場がなくなってた!
そのかわり、今度は中城のペリーの旗立岩に
同じような足場(?)が!!
なんだなんだ???