がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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「翔べ!尚巴志」と佐敷グスク

2009年10月25日 | ・現代版組踊レポ

昨日の肝高の阿麻和利秋公演前に「翔べ!尚巴志」のアトラクションがありました。

「翔べ!尚巴志」とは肝高の阿麻和利の演出家である平田大一さんの手がける舞台で、
肝高の阿麻和利を始めとする“現代版組踊り”の比較的新しい舞台です。
(去年が初演)

肝高の阿麻和利がうるま市地域の中高生だけで演じているのに対し、
「翔べ!尚巴志」は沖縄全域からオーディションで選ばれた中高生で演じられます。

メンバーの一人に前々から“平田ファミリー”だったオシエゴがいて、
昨日の舞台にも出ていました。

しかし昨日のアトラクション、秀逸でした!

舞台に立ったのは30人くらい?のメンバーでしたが、
BGMは大太鼓一つを抱えた平田さんのみ。

まずその太鼓の音と歌の神秘さといったら!

ぶわぶわぶわ~~~って毛が総立ち!
トリハダトリハダ…

空手の型に始まり、
劇中の台詞の一部と、演舞。

ぎゃーーーーーっっっ!!!
でーじバージョンアップしてるぅぅ~~~!!!

実は去年、尚巴志の舞台を見ているのですが、
なんか、全然雰囲気が違う!

渋い!
かっこいい!!
神秘的!!!!

一気に尚巴志の世界へと引き込まれてしまいました。

これは…肝高の阿麻和利に引けをとらない大舞台になりそうな予感…

去年見たときは正直、
「うーん…。いかに肝高の阿麻和利がスゴいかが分かる…」
という感想だったのですが(ま、初演だったからネ)
今年はかなり期待できそうです!!

さて、では「尚巴志」について。

尚巴志の居城であったとされる「佐敷(上)グスク」の写真を見ながらご紹介。

尚巴志(しょうはし)とは、琉球版天下統一(“三山統一”)を行った人で
ここから「琉球王国(王統)」が初めてスタートします。

当時、琉球はいわゆる北部・中部・南部である、
北山・中山・南山の三山(さんざん)の“独立国”に分かれていました。

その尚巴志(と父・思紹)が中山の浦添城、北山の今帰仁城、
南山の大里グスクを武力だけでなく知恵も使いつつ攻略。

1429年三山を統一します。

その尚巴志と共に闘った武将の中には、

若き日の護佐丸の姿も。

(※肝高の阿麻和利の時代には護佐丸は70歳のおじいさんです)

「百十踏揚」を読んで、ああ、そうなのか!と思ったんですが、

肝高の阿麻和利の時代と
この三山統一の尚巴志の時代。

王様が何代も入れ替わっているので
だいぶ年月がたっているのかと思いきや、そうでもないんですよね。

数十年程度です。

肝高の阿麻和利の時代の王、尚泰久と尚巴志は父子関係にあたります。

ってことは、阿麻和利の妻である百十踏揚にとっては
護佐丸は母方のおじいさん、
尚巴志は父方のおじいさん、

ということになります。

 

           →→→→ 護佐丸⇔(主従関係)⇔尚巴志
           |         :             :            
           |         :             :
           |       護佐丸の娘=(結婚)=尚泰久----(討伐)-- ↓
           |                       :            ↓
           |                       :                       
           |                    百十踏揚=(結婚)=阿麻和利
          
|                                    |
           ------------------(討伐)-------------------------


う~ん、面白い!

この図に、尚泰久に仕えていた「策士」金丸や、大城賢勇も加えると
更に面白いことに…。

タマランデス!(゜∀゜)

首里城に行くと、「中山」と言う文字をよく見つけられると思います。
(チュウザンだよ。ナカヤマじゃないよ(笑))

それは、琉球王国を作った尚巴志が、
中山の浦添城攻略後、父を中山王に就け、
その中山の尚巴志(と父)が南山・北山を併合した、という歴史があるからです。

首里城は、中山王府ということになるのです。

アレ?
佐敷グスク自体の紹介が全くできませんでしたが…

グスクと言っても城壁があるわけでなく、
例によって御嶽と、社と鳥居のある
神社のような場所でした。

それでも琉球王国にとって重要な場所でもあり、
その時も御願(うがん)をささげている方の姿が見られました。

沖縄の線香と米粒。

(沖縄では米を弾いて占うウクジというものがあります。↑はウクジではなさそうですが…)

ともあれ。

「翔べ!尚巴志」の舞台までに、
尚巴志についてもうちょっと勉強しようかな。

 

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■現代版組踊「翔べ!尚巴志」 

日    時: 2009年11月23日(祝・月) 開場18時30分 開演19時
場    所: 那覇市民会館大ホール
料    金: 大人2,500円、小人(小中高生)1,000円
         *未就学児膝上無料。席の必要な未就学児は有料(当日券:500円増)
プレイガイド: リウボウ(パレットくもじ)、沖縄三越、コープあぷれ、譜久原楽器
         南城市文化センターシュガーホール
お問合せ先: 「翔べ!尚巴志」公演実行委員会(090-6869-7288)
公式ブログ : http://showthestage.ti-da.net

コメント (6)
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秋公演初日終了

2009年10月24日 | ・肝高の阿麻和利レポ

肝高の阿麻和利秋公演、行ってきました!

行く度にキャストは変わるし、
そのキャストによって演出も若干変わるし、
もう、いつ見ても新鮮です(笑)
(今日もキャストもこれはまた…)

最後の、クライマックスではいつにも増して
子どもたちのパワーとエネルギーのうねりと地響きを感じました。

もう、ビリビリビリー!!ってきます

くうぅぅ~~!これだからやめらんねーよっ!

って感じでした。

これはもう、映像では半分も伝えきれませんね。
その場で「体感」しないと分かりえません。

 

それに阿麻和利役のコが春公演や関東公演のときより
だいぶ演技が力強くなってたな~って感じました。
“最期”のシーンでは「うをぉぉぉ…ってビックリしました

まぁ、全体としてはいろいろあったみたいで課題点もちょこちょこ見受けられましたが、
それはまた今後の楽しみ、ということで。

きっと、明日の公演でもまたレベルアップしているんだろうな。

 

というわけで、明日も楽しみです

 

雨ということで、やっぱり公演後の外でのお見送り演舞はありませんでした
残念。

 

でも今日は「翔べ!尚巴志」メンバーによるアトラクションもあったの~
「ダイナミック琉球」も見られたし

それについては次の記事で

コメント (3)
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肝高の阿麻和利秋公演初日

2009年10月24日 | ・肝高の阿麻和利レポ

「しかし、志魯・布里の乱でこの首里城が焼け落ちたのはわずか5年前のこと。
わしはもう、骨肉の争いで血を見るのは嫌じゃ!」

という、肝高の阿麻和利での尚泰久王様の台詞が
「百十踏揚」を読んでから頭から離れない和々です(笑)

(あってる…と思う。たぶん(笑))

 

肝高の阿麻和利秋公演初日の昼公演、
もうそろそろ終わったかな。

私は夜公演を観劇させていただきます★

夏の関東公演以来、2ヶ月ぶりです


さっき、ウェブで公開されている肝高の阿麻和利ドキュメンタリーをみて
テンションをUPさせました。

これに関してはgreenbeeさんの記事で丁寧なリンクが貼られていますので
そちらからどうぞ~。
(会員登録は無料だし、すぐにできます)

 

さて、そろそろ準備しましょうか。

 

※写真は過去に撮ったものです。
今日は台風の影響で雨模様。
公演後の外での演舞は見れないかなー。


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仲村家その②

2009年10月24日 | ・琉球史散策/第二尚氏

国指定重要文化財「中村家」のご紹介その②

内部です。

台所。

展示紹介も兼ねているので沖縄の昔ながらの鍋やざるなど、
台所用品がたくさん。

母の世代まではこれらは「懐かしい風景」なのだそう。

この吊り下げ式のざる、いいなぁ。

も~、アリンコなどの虫が多くて
うかうかテーブルの上に食べものを置いておけません。
(ピーク時はあみもふたもラップも無駄…)

コントラストの強い野外を隔てて
涼しい風が吹きぬける屋内。

風の音、葉ずれの音、鳥のさえずり。

穏やかな空間。

きっと皆さんが沖縄モノの映画やテレビでみた
沖縄の原風景。

居間。

仏壇と畳と柱と。

線香の匂いがするような、
こういった風景は“おばあちゃん家”って感じで懐かしい。

こういった家に住みたい。

 

さかだちシーサー。

 

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中村家その①

2009年10月24日 | ・琉球史散策/第二尚氏

琉球王国の史跡めぐり。

グスク関連が多かったのでちょっとティーブレイク

国指定重要文化財「中村家」です。

昔ながらの沖縄の住宅が文化財として保護されています。
中城城跡のすぐそこなのでセットで訪れることをオススメします

では、仲村家について、中村家の外観写真と共にご紹介します。

(解説は中村家サイトを参考にしました)

今から約500年前、中村家の先祖賀氏は、
琉球王国きっての武将であり、かつ、築城家としてもその名をとどめていた
護佐丸(中城城主)が読谷より城を中城に移したとき、
共にこの地にその師匠として移ってきたと伝えられています。

その後、護佐丸・阿麻和利の乱により、
護佐丸が勝連城主の阿麻和利に滅ぼされてしまうと、
中村家の先祖も離散の憂目にあいました。

1720年頃、ようやくその家運を盛り返し、
この地方の地頭職(本土の庄屋にあたる役職)に任ぜられました。

現存する建物は18世紀中頃に建てられたと伝えられています。

建築構造は、鎌倉・室町時代の日本建築の流れを伝えていますが、
各部に特殊な手法が加えられて、独特な住居建築になっています。


この遺構は、士族屋敷の形式に農家の形式である高倉、納屋、畜舎等が付随して
沖縄の住居建築の特色をすべて備え持っています。

屋敷は、南向きの緩い傾斜地を切り開いて建てられており、
東、南、西を琉球石灰岩の石垣で囲い、
その内側に防風林の役目を果たしている福木を植え、台風に備えています。

 

こちらはフールといわれる、豚小屋です。

そのほかにも、牛ややぎのための家畜小屋、
高倉、井戸、離れなどもあり、琉球の時代にタイムスリップしたかのような気分が味わえます。

これぞ、THE琉球のような(笑)

このときは夏に訪れたんですが、
すごい風通りがよくて、中村家にいくといつもすごく癒されます

遠くからサンシンの爪弾く音なんか聞こえてきたらもう最高。
風鈴の音とかね。

閑静な場所にあるのでとても静かに過ごせます。

そのままごろんと寝っころがりたいくらい…

内部の写真もあるので、その②に続きます…

 

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豆ぞう手ぬぐい

2009年10月24日 | ・手ぬぐいコレクション

台風が来ている沖縄です…
あ゛~、こりゃ、ぶつかるかなぁ~
今日、肝高の阿麻和利秋公演なのにー)

迷走しておりますな。しかも遅っっ!

昨日の午後、ショクバに雷がおちました(おちたらしいです)

助走もなくいきなり、
ドガンッ!!

って爆発音が。

めっちゃしかんだぁ~~~~

雨が降ってたわけでもないし、
ごろごろごろ…って雷の雰囲気もゼロだったのに、
いきなりの爆発音。

雷だって最初きづかなかったよ…
(本当に爆発物かと…)

その時私は2階にいたのですが(建物は3階まで)、
あとから聞くと、すぐ上の避雷針におちたらしいです。

向かいにいた人がそこが光ってたのを見たらしいです。

ぎゃー。

 

余談が長くなりましたが、手ぬぐい紹介。

濱文様の捺染手ぬぐい、「豆ぞう」です

ネットで出たとき一目惚れで。

東京に行ったとき江戸博のショップで購入しました

私の好きな豆絞りと、小さな像が並んでるー

かわいいのでお気に入りです

色違いでピンクとかグリーンとかも出てもいいかも…

 

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琉球舞台の大河ドラマ

2009年10月23日 | ・『百十踏揚』を読ム

唇の内側に口内炎ができて腫れてしまってイタイ和々です(涙)
ビタミン採らなきゃー。

昨日、同僚と
「テンペスト」やら「百十踏揚」やら琉球王国時代が舞台の本の話をしてました。

「テンペスト」はきっとドラマ化は無理だけど、
「百十踏揚」はイケる!

という話(笑)

女性が主人公で爆発的な人気を誇った大河ドラマ篤姫も
記憶に新しいところ。

是非、「百十踏揚」を大河ドラマでやってほしい

だって、そろそろ沖縄が舞台の大河ドラマがあってもいいんじゃない?

実は、昔、私がまだ子供だったころ、
「琉球の風」という琉球が舞台の大河ドラマがありました。

しかし、なかなか厳しい視聴率だったそうで…

ま、実在した歴史上の人物ストーリーではなかったそうなので
色々な波紋があったらしいのですが。

でもっ!

当時の沖縄はまだまだ日本の中では知名度も関心度も下の下。

しかし、その後、あの安室奈美恵の登場により沖縄が
全国的に大躍進する時代になってきます。

NHK朝ドラ「ちゅらさん」で沖縄ブームは更に加速。

それから現在に至り、みなさんご存知の通り、
アムロちゃんに限らず、ミュージシャンも女優もモデルも
全国的に活躍している人がたくさんいます。

全国的な知名度も関心度も(当時に比べると)だいぶUPしていると思います。

ましてや、百十踏揚なら、本土・海外でも評価の高い肝高の阿麻和利の舞台の影響で
他の琉球史や人物よりは知名度も高いと思うし。

今ならきっと、視聴率とれると思うけどナー。

で、与並岳生著の「百十踏揚」

琉球版戦国時代とその直後、
三山が統一(※琉球本島天下統一)されたとは言え、
まだまだ非常に不安定な状況。

首里王府とは別に、強大な権力を誇る中城の護佐丸と勝連の阿麻和利。
その2大勢力がいつ反乱が起きてもおかしくない状況に、
王府の権力基盤を括弧たるものにしようとする首里王府。

首里王府内では王位継承の争い

志魯・布里(しろ・ふり)の乱 に
首里城炎上。

明国との冊封関係に各国との貿易合戦。

政略結婚、戦に知恵比べ。

全然、日本の戦国時代や幕末のドラマに引けをとらない
ストーリー展開ができると思うんだけどナ。

見てみたいものです。

写真は夕暮れの勝連城跡。
(過去に撮った写真です)

 

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玉城城跡

2009年10月22日 | ・琉球史散策/神話・近代

本島南部、玉城にある玉城城跡(たまぐすくじょうし)です。

この間、遺跡の表示があったらとりあえず行ってみよう南部ひとりツアー
で訪れた城跡。

こちらも世界遺産ではないので、
だいぶ寂れてひっそりとした感じ。

しかも、その時雨が降ったりやんだりでどんより空…

でも実はこのグスクは一度行って見たいと思っていたので
迷わずGO

その理由は…

この、
大人一人が通れるほどの、岩をくりぬいた自然の門。

「琉球王国ぶらぶらぁ散歩」でもここの写真がとても印象的で、
一度見てみたいと思っていたのです。

しかしっ、この門の手前はかなり急な、しかも不安定な古ぅい石階段で、
手すりも柵も、ロープもないっ!

ちょっと怖かったです…

↓門を入った内側からの視点。門手前の斜面はこんな感じ…

では、玉城城とはどんなグスクなのか。

入り口にあった案内板を読んでみましょう。

この城は、別名アマツヅ城とも称され、築城年代や歴代の城主についてはさだかでない。

「島尻郡誌」では、「アマミキヨ」が築いた城であるとの伝説があって、
城主は、一の郭、二の郭、三の郭の三つの郭からなる
階段状の山城で天然の要害の地に築かれている。

(※解説※「アマミキヨ」とは沖縄の祖先神。ニライカナイという海の向こうの豊穣の楽土からやってきた)



城壁は一の郭のみよく原型をとどめていて、
二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材料として持ち去られ、
現在根石がかろうじて残っているにすぎない。

一の郭は、東北東に自然岩をくり抜いた城門を構え、



城内には「天つぎあまつぎの御嶽」(神名「アガル御イベ、ツルベ御イベ」)が祀られている。

昭和60年3月25日
玉城村教育委員会(玉城村は現在南城市玉城)
沖縄県教育委員会



いろいろなグスクを見てきたけど、
城壁がなくても必ず拝所はある(残っている)んだよね。

だとすると、やっぱり「グスクの本質」って
聖域のような気がするな

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虫たちの秋

2009年10月21日 | ・徒然日記

ちょっと木の多い場所に行くと、

み゛んょ、み゛んょ、み゛んょ……

と不思議な泣き声のセミがまだまだいます。

このセミ、なんだ?

赤とんぼ。

秋の虫はやっぱり赤とんぼ。

カメラをズームにしてファインダーをのぞくと、

そこには今まで気づかなかった小さな世界が広がる。

ほら、こんなところにも。

 

 

2枚目と3枚目のトンボの写真。
二匹が並んでいる写真はこちら。

…あ、とうとう降ってきた


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ドッド虹手ぬぐい

2009年10月21日 | ・手ぬぐいコレクション

にじゆらさんの手ぬぐい。

鎌倉の拭うで購入。

ドッドを並べた虹のフォルムがとてもかわいらしい

 

この間、この手ぬぐいみたいなきれいな半円の大きな虹を見ました

出勤途中の車中だったんだけど、

うわぁ~~~~~
すごいぃぃぃ~~~~~!!!

って叫んでしましました。

その虹の橋の下を通るような形で向かいあってたのー。
そのまま虹の橋の下を通り抜けられるような、そんな気持ちにもなりました

出勤途中じゃなかったら降りて写真撮ってたな。

コメント (2)
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初の進貢使・泰期像

2009年10月20日 | ・琉球史散策/グスク時代

残波岬の灯台のすぐそばに、銅像が立てられました。

泰期(たいき)像です。

進貢使として琉球で初めて中国へ渡った人です。

進貢とは、偉大なる帝国である中国に服従を誓うことで、
その使いとして派遣されるのが進貢使です。

服従を誓う、と書くとなにやら心穏やかな感じがしませんが、
当時の中国(もちろん当時は“中国”という名称ではないですが)
琉球のほかにも進貢国が多々あり、
それらは主従関係のようなものでした。

進貢国であるゆえに、中国との貿易が許され
文化的にも経済的にもプラスになっていったのです。

こちらがその進貢するための船を描いた

「進貢船の図」です。

最も、泰期の時代の琉球は、
まだ三山統一(琉球版天下統一)前の、“琉球王国”ができる前の話しですが。

この銅像の下にあった解説文です。

(前略)
読谷山(現読谷村)宇座の泰期は、1372年、察土王の御名代として、
中国への初の進貢使となった人です。
よって泰期は、中国の歴史に初めて名を留めた琉球の人物となり、。
「明史」に3回、「明実録」に5回も登場します。
中国へ進貢すると、莫大なみかえり品が贈られますので、
「おもろさうし」では唐商い(とう商い、中国との交易)としたのです。
泰期こそは、中国の文物を琉球に正式ルートで導入した先駆者だったのです。

 

 

指をさし、向こうに見えるのは中国大陸。

たとえ残波の海が荒れていようとも、

いざゆかん。

果報をもたらす夢の大陸へ。

 

 

なんだか、桂浜の龍馬像も思い出される銅像です。
(でも泰期像、思ってたよりも小さかったー。…いや、龍馬像がでかすぎるのか?


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オレンジ色の世界

2009年10月20日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

今日もシゴトが終わって…ほっと一息。

明日からまたお天気は下り坂というし、
よし、夕日を見に行こう!

というわけで車を西へ、ぶぃ~~ん

向かったのは読谷村の残波岬(ざんぱみさき)。

すぐそこの残波ロイヤルホテルには何度かランチバイキングを食べにきてたけど、
岬まで来たのはかなり久しぶり。

東シナ海向けの海は…

とにかく荒い。
(台風20号の影響もあるのかしら)

ざぱーーん

どぱーーーん

海しぶきが横殴りの雨のように降って来ます

風もかなり荒れてて さむーーーいっ!

1番上の写真のように、夕日はある一定のところまでは
キレイに見えたのですが、
生憎、薄雲に邪魔されて海に溶けゆく様は見れませんでした

残波岬の灯台です。

まだ登ったことがないので今回は登ってみよう!

って思ってたのに…ちょうど昨日から修復作業があるとのことで立ち入り禁止に

夕暮れの空は刻一刻と色合いを変えていきます。

薄雲にすっかり姿を隠したはずの太陽の光が
瞬く間にあたり一面をオレンジ色に染めて行きます。

オレンジ色の世界。

オレンジ色の海。

暮れていくごとに

色は濃く

深く。

そしてまた 明日へ。

 

 


今回の写真は全てケータイ撮影。
レタッチなしです。
あ~、でもデジイチで撮りたかったなぁ~

鮮やかな夕焼け空だったけど、
心なしかかすんで見えるなぁ~と思ってたら
本日沖縄県でも黄砂観測、だそうです。

ああ、どうりで…。


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芸術の秋

2009年10月19日 | ・徒然日記

食欲の秋
読書の秋

でもやっぱり秋は

芸術の秋

ですねぇ~。

展示会に舞台にイベント、コンサート。
アートフェスに手作り市。

毎週毎週なにかとお出かけする機会に恵まれてます

今週末は、友人のピアノソロリサイタルに
沖縄産業まつり。

そして肝高の阿麻和利秋公演

再来週は待ちに待った首里城祭

楽しみです

 

じゃ、今週もがんばりますかー。

 

そういえば、

ネットでも紅葉のお出かけ情報などがちらほら目に付くようになりました。
嗚呼、京都行きたい~っ


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讃岐うどん自選式飯菜類図手ぬぐい

2009年10月19日 | ・手ぬぐいコレクション

香川の讃岐うどん手ぬぐい、
紹介し忘れていたのを発見!(笑)

自選式飯菜類図

とあります。

…なにそれ?

とりあえず、うどんのお供尽くしってことネ。

私は“おあげさん”が好きかなぁ~

そういえば本土はうどんとおでんがセットなのが多いですよね。

 

こちらはうどんじゃなくて沖縄そば。

10月17日は沖縄そばの日、ということで17日に食べにいきました。

以前紹介したこともある、うわちちそばのあぶりソーキ軟骨そば。
沖縄そばの日だからか、ジューシーがおまけでついてきました★

注*ジューシーのイントネーションはゴーヤーと一緒です。
Juicyじゃないよ…


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史跡巡りにオススメの本

2009年10月18日 | ・和心な本、琉球な本

私のグスク巡りのお供はこの本。

「沖縄 琉球王国ぶらぶらぁ散歩」(新潮社)

2009年出版

まず、写真がきれい(これ大きい!)

エピソードも豊富で勉強になる。

一覧地図もあって分かりやすい。

そのままガイドブックになります。

 ↑の表紙は勝連城跡。
このアングルで見るとすごいな
まさに要塞。

それから、家に帰ってからはコチラの本。

「グスクロード 沖縄の城ものがたり」(むぎ社)

1988年出版なんでだいぶ古い。
(もう絶版してるかも)

実はずーーーーっと前から家にあって、最近発掘しました(笑)

背表紙のところとか、すっかり色褪せてて
でも中身はキレイなまま(笑)

こちらは「ものがたり」とタイトルにあるように、
挿絵入りの物語やエピソードが主。

だけど、グスクにまつわる様々な写真や絵、発掘資料も豊富なので
そのまま資料集になります。

 

沖縄の城ものがたりはもう手に入らないかもしれませんが、
ぶらぶらぁ散歩はオススメです。

沖縄でグスクや史跡を巡ってみようかという方は
ガイドブックに是非どうぞ

ちなみに、“ぶらぶらぁ”散歩、
過去記事にも書きましたが
沖縄は語尾を伸ばす癖があります。


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