昨日の肝高の阿麻和利秋公演前に「翔べ!尚巴志」のアトラクションがありました。
「翔べ!尚巴志」とは肝高の阿麻和利の演出家である平田大一さんの手がける舞台で、
肝高の阿麻和利を始めとする“現代版組踊り”の比較的新しい舞台です。
(去年が初演)
肝高の阿麻和利がうるま市地域の中高生だけで演じているのに対し、
「翔べ!尚巴志」は沖縄全域からオーディションで選ばれた中高生で演じられます。
メンバーの一人に前々から“平田ファミリー”だったオシエゴがいて、
昨日の舞台にも出ていました。
しかし昨日のアトラクション、秀逸でした!
舞台に立ったのは30人くらい?のメンバーでしたが、
BGMは大太鼓一つを抱えた平田さんのみ。
まずその太鼓の音と歌の神秘さといったら!
ぶわぶわぶわ~~~って毛が総立ち!
トリハダトリハダ…
空手の型に始まり、
劇中の台詞の一部と、演舞。
ぎゃーーーーーっっっ!!!
でーじバージョンアップしてるぅぅ~~~!!!
実は去年、尚巴志の舞台を見ているのですが、
なんか、全然雰囲気が違う!
渋い!
かっこいい!!
神秘的!!!!
一気に尚巴志の世界へと引き込まれてしまいました。
これは…肝高の阿麻和利に引けをとらない大舞台になりそうな予感…
去年見たときは正直、
「うーん…。いかに肝高の阿麻和利がスゴいかが分かる…」
という感想だったのですが(ま、初演だったからネ)
今年はかなり期待できそうです!!
さて、では「尚巴志」について。
尚巴志の居城であったとされる「佐敷(上)グスク」の写真を見ながらご紹介。
尚巴志(しょうはし)とは、琉球版天下統一(“三山統一”)を行った人で
ここから「琉球王国(王統)」が初めてスタートします。
当時、琉球はいわゆる北部・中部・南部である、
北山・中山・南山の三山(さんざん)の“独立国”に分かれていました。
その尚巴志(と父・思紹)が中山の浦添城、北山の今帰仁城、
南山の大里グスクを武力だけでなく知恵も使いつつ攻略。
1429年三山を統一します。
その尚巴志と共に闘った武将の中には、
若き日の護佐丸の姿も。
(※肝高の阿麻和利の時代には護佐丸は70歳のおじいさんです)
「百十踏揚」を読んで、ああ、そうなのか!と思ったんですが、
肝高の阿麻和利の時代と
この三山統一の尚巴志の時代。
王様が何代も入れ替わっているので
だいぶ年月がたっているのかと思いきや、そうでもないんですよね。
数十年程度です。
肝高の阿麻和利の時代の王、尚泰久と尚巴志は父子関係にあたります。
ってことは、阿麻和利の妻である百十踏揚にとっては
護佐丸は母方のおじいさん、
尚巴志は父方のおじいさん、
ということになります。
→→→→ 護佐丸⇔(主従関係)⇔尚巴志
| : :
| : :
| 護佐丸の娘=(結婚)=尚泰久----(討伐)-- ↓
| : ↓
| :
| 百十踏揚=(結婚)=阿麻和利
| |
------------------(討伐)-------------------------
う~ん、面白い!
この図に、尚泰久に仕えていた「策士」金丸や、大城賢勇も加えると
更に面白いことに…。
タマランデス!(゜∀゜)
首里城に行くと、「中山」と言う文字をよく見つけられると思います。
(チュウザンだよ。ナカヤマじゃないよ(笑))
それは、琉球王国を作った尚巴志が、
中山の浦添城攻略後、父を中山王に就け、
その中山の尚巴志(と父)が南山・北山を併合した、という歴史があるからです。
首里城は、中山王府ということになるのです。
アレ?
佐敷グスク自体の紹介が全くできませんでしたが…
グスクと言っても城壁があるわけでなく、
例によって御嶽と、社と鳥居のある
神社のような場所でした。
それでも琉球王国にとって重要な場所でもあり、
その時も御願(うがん)をささげている方の姿が見られました。
沖縄の線香と米粒。
(沖縄では米を弾いて占うウクジというものがあります。↑はウクジではなさそうですが…)
ともあれ。
「翔べ!尚巴志」の舞台までに、
尚巴志についてもうちょっと勉強しようかな。
■現代版組踊「翔べ!尚巴志」
日 時: 2009年11月23日(祝・月) 開場18時30分 開演19時
場 所: 那覇市民会館大ホール
料 金: 大人2,500円、小人(小中高生)1,000円
*未就学児膝上無料。席の必要な未就学児は有料(当日券:500円増)
プレイガイド: リウボウ(パレットくもじ)、沖縄三越、コープあぷれ、譜久原楽器
南城市文化センターシュガーホール
お問合せ先: 「翔べ!尚巴志」公演実行委員会(090-6869-7288)
公式ブログ : http://showthestage.ti-da.net