山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

奥矢作水源・山里の聞き書き その3

2008-09-25 | 山里
今回もう一つ、ものすごく面白いと思ったこと。
それは、参加者(書き手)の(多分)誰もが、聞き書きの魅力にはまってしまってること。
もちろん、ある程度の魅力を感じるからこのプロジェクトに参加表明しているには違いないのだけど、そこには「聞き書きって、果たしてどうなんだろう?」という疑いの空気がなくて(それがいいことなのかどうか分からないけど)、誰もが「早く地元に帰って聞き書きを始めたい!」と思っているように見えた。みんながわくわくしていた。

「聞き書きの効用」ってのは能書きがない、いまだ明文化されていない(されていたとしても知られていない)のだけど、みんな直感で「これ面白い!」と思って、何も疑わずつき進もうとしているのである。
それって不思議でした。

やっぱり聞き書きってどこか人をひきつける力があるんだなぁ、と思った次第です。

奥矢作水源・山里の聞き書き その2

2008-09-25 | 山里
私がこの活動がまずは大成功だと感じたのは、20、21の聞き書き塾を終えた参加者の顔を見たときである。
奥矢作水源・山里の聞き書きでは、聞き書き塾2日目の21日に、15名がそれぞれ取材相手の家を訪れ、取材を行った。
私はそのうちの3名を、取材後、迎えに行った。その誰もがびっくりするような晴れやかな笑顔で戻ってきたのである。そして、彼女達を見送る地元の話し手のおじいちゃん、おばあちゃんのうれしそうな顔!
周りにほかの家なんか何にもない奥深い山里の屋敷の裏で、都市から来た「聞き手(=書き手)」と山里の人は、いつまでも手を振り合って別れを惜しんだのである。
この日初めて会って、わずか2、3時間お話をしただけで。

恵那駅でそのほかの皆さんにも会った。みんな同じようだった。野菜やお漬物をお土産にもらった人も何人かいたし、今度来るときは泊まる約束をしたり、中には親戚の息子の嫁に来てくれと頼まれた女子もいる。

とにかく帰り際のみんなのあの笑顔を見ただけで、私はすべての疲れがふっとび、このプロジェクトをやり始めたことの意義を実感した。何か大きな波に押し寄せられているように感じた。やはりこれはやらなければいけないことだったのだと思った。

聞き書きは手段に過ぎない、と一人の参加者が言ってくれた。まさに私はそのことが伝えたかった。けれどもそれを私が言葉で言う必要はない。参加する書き手は、きっと誰もがそのことをやりながら感じるはずである。
聞き書きとは話し手の生きる様ををうやまう作業。そして交流の一手段であることを、みんなの笑顔から再確認した。
このことは、聞き書きしてみないと分からないだろうし、逆に聞き書きしてみればすぐに分かってしまうこと。今回の参加者の皆さんは、早くもそのことが体に入ってしまったようだ。

書かれた作品はすばらしい。その作品集を多くの人に広めて読んでもらうことも大事だけれど、書くことそのこと自体の、その活動の中から、たくさん生まれるものがある。書かれた作品は、話してくれた人やその地域にお返しとして置いていきたい。

渋沢さんがいつも言われるのは、聞き書き作品は、生きた証だということ。その生きた証は、ちっちゃい名もない星屑みたいに感じる。誰にも気づかれなくても光っている。あるいは誰かが光を当てたとき光るのかもしれない。
書きとどめなければ消えていってしまう。それが消えたからといってもしかしたら誰も困らないのかもしれないけれど、たくさんの生きた証が集まって、何かの意味をもつときもくるだろう。

プロのライターをしている一人の参加者は、「普通の人の暮らしのお話を聞くことがこんなにすばらしいってことを知った」と言われた。
本当に、山里で暮らす人の話は、どういうわけか実感が伴って、面白くてたまらない。たまに都会で環境系の会議なんかに参加すると、妙に空虚に思えてしまうように最近なってきた(本当はそういうわけではないんだろうけど)。しかし、そんな会議に出席しているヒマがあったら山里の人に会いたいと思ってしまうのである。

今回、全国の聞き書きリーダー養成を狙ったのだけれど、私の想像以上に、目的に向かって進みつつあると感じる。講義を受け、実習をしながら、自分の活動で聞き書きをどのように生かせるかということを、誰もがイメージしながら参加してくれたからである。単純に聞き書き作品集を作るということではない。そこには私の想像をはるかに超えた(想像の及ばない、気づくことのできない)活動展開がある。

ハードな講座の間のわずかな休み時間や懇親会などで、みんなが「私はこんなふうに生かしたい」と互いに語り合っていた。またその展開の仕方を澁澤さんや私に相談していた。
聞き書きをして何になるの?何のためになるの?という質問をときどき受ける。
「聞き書き活動をする」ところまで私達はやってきたが、その後の展開は、おのずと切り拓かれていくだろう。それも全国各地で。
これは私の想定を超えていたのだから、これこそがすばらしいワークショップとである。

案ずるより生むが易し。私は聞き書き活動についてただ伝えることをしようと思っただけだけれど、集まった人たちが活動をどんどん創造してくれるようだ。
多くの人に伝えることで、大きな可能性が生まれることを実感した。

事態は勝手に動き出している。
私の手を離れて、いっぱい花が咲く予感がする。
これから今以上の交流がうまれ広がっていくのだと思うと、わくわくしずにいられない。