『奥矢作・水源の里に生きる』という聞き書き集を発刊する。
秋からやってきたプロジェクトで作成したもの。原稿は、このプロジェクトの参加者の人達が書いてくれた。
私はコーディネート役である。
話をしてくれたおばあちゃんの一人に昨日電話した。
「私はうれしかったよ、話を聞いてもらえて。ありがとうね」
その人はしみじみと言った。
その言葉を聞いて、心から、このプロジェクトをやってきてよかったと思った。
うれしかった。
そうして、そういう言葉を私に対してかけてくれる思いやり、気配り、余裕のあるそのおばあちゃんがすばらしいと思った。
刊行記念会を中止したことをお詫びするために電話をしたのに
私は逆に励まされてしまった。
「本はくれなくてもいいよ、あんたたちも大変だろうから、私はお金を払って買うからね」とも
「こんなおばあちゃんは記念会には行けないから、気にしなくていいよ」とも。
今回のプロジェクトでは私自身が書く機会をもてなかったことが、私にとっては不満の残るところだったけれど、15人の都市の人と15人の山里の人を結び、話をする、それを聞いて書く、という行為がそこで行われることに対して、私が小さな力を貸すことができたことに、大きな喜びと満足を感じている。
もちろん地元の人たちや奥矢作森林塾の人たち、ほか大勢のみなさんにに大変なご協力をいただいたおかげでできたことある。
そして、私が作ったこの活動が、逆に私自身を励ましてくれている。
山里の聞き書きを書いたり、あるいは編集したりするとき、決して媚びたり脚色したり偽ったりするわけではないけれど、お話ししてくれた人がそれを読んでうれしく感じるように、誇りに思えるように(恥ずかしくなったり悲しくなったりしないように)書く、というのが私の中の一つの基準になっている。
とにかくその一心で進行しているといってもいい。
決していいことをしようなどという大それた気持ちはないけど、ただ山里に生きている人たちに喜んでほしいと思う。
自分がどうしてそれほどまでに強くそのことを思うのか、自分でもさっぱり分からない。
人にはそれぞれ、理由のない動機やよろこびがあるのだろうと思う。
私が山里を思う気持ちは、善意とか社会的良心とか、そういったものではなく、ただ好きだから、いとおしいから、それだけなのである。理由なんかなくてもいい。
NPOの代表者としては、それではいけないのだろうけど。
そうして、どうしてか知らないけれど、山里の美しい風景は、いつも私を元気付けてくれる。
写真は、奥矢作の渓谷。矢作川最上流部。
秋からやってきたプロジェクトで作成したもの。原稿は、このプロジェクトの参加者の人達が書いてくれた。
私はコーディネート役である。
話をしてくれたおばあちゃんの一人に昨日電話した。
「私はうれしかったよ、話を聞いてもらえて。ありがとうね」
その人はしみじみと言った。
その言葉を聞いて、心から、このプロジェクトをやってきてよかったと思った。
うれしかった。
そうして、そういう言葉を私に対してかけてくれる思いやり、気配り、余裕のあるそのおばあちゃんがすばらしいと思った。
刊行記念会を中止したことをお詫びするために電話をしたのに
私は逆に励まされてしまった。
「本はくれなくてもいいよ、あんたたちも大変だろうから、私はお金を払って買うからね」とも
「こんなおばあちゃんは記念会には行けないから、気にしなくていいよ」とも。
今回のプロジェクトでは私自身が書く機会をもてなかったことが、私にとっては不満の残るところだったけれど、15人の都市の人と15人の山里の人を結び、話をする、それを聞いて書く、という行為がそこで行われることに対して、私が小さな力を貸すことができたことに、大きな喜びと満足を感じている。
もちろん地元の人たちや奥矢作森林塾の人たち、ほか大勢のみなさんにに大変なご協力をいただいたおかげでできたことある。
そして、私が作ったこの活動が、逆に私自身を励ましてくれている。
山里の聞き書きを書いたり、あるいは編集したりするとき、決して媚びたり脚色したり偽ったりするわけではないけれど、お話ししてくれた人がそれを読んでうれしく感じるように、誇りに思えるように(恥ずかしくなったり悲しくなったりしないように)書く、というのが私の中の一つの基準になっている。
とにかくその一心で進行しているといってもいい。
決していいことをしようなどという大それた気持ちはないけど、ただ山里に生きている人たちに喜んでほしいと思う。
自分がどうしてそれほどまでに強くそのことを思うのか、自分でもさっぱり分からない。
人にはそれぞれ、理由のない動機やよろこびがあるのだろうと思う。
私が山里を思う気持ちは、善意とか社会的良心とか、そういったものではなく、ただ好きだから、いとおしいから、それだけなのである。理由なんかなくてもいい。
NPOの代表者としては、それではいけないのだろうけど。
そうして、どうしてか知らないけれど、山里の美しい風景は、いつも私を元気付けてくれる。
写真は、奥矢作の渓谷。矢作川最上流部。