この頃毎日、夜になると寒々している。暖房したくなるぐらい。
雨の日は少ないけれど曇り空の色は紛れもなく梅雨の色。
サツキもきれいに咲いている。
昼間はむっとして、花壇の草が蒸れそうなので
ハカタシダなども半分ぐらいに間引きした。
生い茂った草の中に何が潜んでいるかしれない。怖い怖い。
6月は仕事が多いけれど追いつかない。フキやら梅やら収穫したり
夏みかんを煮たり、朴葉寿司を作ったりと
やりたいことばかりだが、何とも体調がへなへなしていて
やれないのが残念。
しかし考えてみれば体調万全でがつがつやれてるときなんて
ほとんどないに等しいから、そこそこであきらめるしかないのだろう。
それでも畑の草など1本2本と抜き出すとつい止まらなくなって
こんなことしている場合ではないのにと思いながらも畑にはりついてしまう。
雨の後の土のやわらかい時、草をひょいっ、ひょいっと抜くのは
かなり心地いいのだ。
今日は「市内一斉清掃」で、中津川市中で朝8時から草刈りなどが行われている。
うちの地区では裏山の伸びてくる木を刈り込む仕事もあるのだが
アベマキやコナラ、クリ、その他リョウブやソヨゴなど、
刈られた枝を見ると本当に軟らかくておいしそうな感じのする葉がついていて
これを田圃に入れればいかにもいい肥料になりそうだ。
私の尊敬する粥川先生が、この時期の雑木の枝は1年で一番栄養があると言われていた。
昔はこれを柴といって、押し切りという刃物で短く切っては
田植え前の田んぼに入れて、足で踏みつけ、そのまま肥料にしたのだと聞く。
そういえば今日も70代ぐらいの人が、枝を運搬しやすいように短くしようと言って、
途中で、さびついた押し切りを取り出してきて、みんなから「そんなに短くしなくていいよ」と制されていたが、雑木の枝を見て反射的に押し切りのことを思い出してしまったのではないだろうか。
切られた枝は軽トラに載せられ市の焼却場に運び入れられた。もったいないことだ。
そこでプラスティックやら紙屑やらと一緒くたにして「ゴミ」として燃やされてしまうのである。何という野蛮で非文化的なことであろう。
市町村で出る草や木の枝、街路樹の剪定枝などは、絶対に別途分別して肥料にしたり自然に返すべきだ。草木を捨てる土地を確保すればいいだけのことだから、費用がそれほどかかるとは思えない。危険な産業廃棄物を捨てるよりは遥かに用地は得やすいだろう。それに草木は明らかに資源なのだ。資源をむざむざ捨てているどころか、お金をかけて焼却してあらたなゴミを作っているのである。
太陽の光と自然の水から植物が成長する。植物はそのように無機物から有機物を生産できる第一段階の画期的生物だから一次生産者と言われる。それがほかの生物の命の源となって、地球上の生物は生きていられるのである。
せっかくそのようにして生産した大切な有機物を、二度と使えないものにする処理をするなんて、地球への敬意がなさすぎる。
人類がこれまで知恵を絞ってギリギリのところで生きながらえてきた長い歴史の中でみると、このような行為は、知恵のかけらもないきわめて低レベルな恥ずべきものである。早急に改善しないと日本人はバカだということになるだろう。
写真/養命酒の芍薬畑と中央アルプス・駒ヶ根市
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