山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

栃久保やら、地域材やら、聞き書きやら

2007-12-02 | 山里
先週後半からまたバタバタとすごした。
栃久保のことは、いずれまた詳しく書きたい。
30日は岐阜県森林文化アカデミー教授の原島さんと打ち合わせ。1月26日に行う木材見学ツアーのことで。
原島さんとは2003年に初めて、日本環境教育フォーラムの講座で清里でお目にかかった。どちらかというと、私が師としていた人の友達、としてみていたのだが、いつしかこんなふうに直接話をするようになった。(そういえば、その2003年の日に、山里文化研究所という名前が始まったのだった。)
とっても気のいい人で親切に教えてくれる。打ち合わせ済んでからも、林業について熱く語ってた。

この日は夕立山森林塾のリーフレットと、奥矢作森林塾のパンフレットの印刷が上がり、ちょっといい気分。
奥矢作まで納入に行った。紅葉が終わりかけだけどそれなりにきれいでした。

先週忙しく立ち回ったので疲れてしまったのか(飲んだからか?)土曜日の午前中は完全ダウンで、午後遅くのこのこと奥矢作のイベントに出かけていったら終わったところだった。どうせ終わりかけなのは分かっていたから、行くのをやめようかと思ったが、キコリンの楽しそうな顔が久しぶりに見られて、ほっとして、来てよかったと思った。
帰りに、「小沢先生を恵那まで送ってくれ」といわれ、はいはい、と応じたら、元林野庁長官ですって……
この人も熱い方で、車の中で40分ぐらいずっとしゃべり続けていた。京都モデルフォレストの話が多かった。森林塾という名前を最初に使ったのは小沢さんだそうです。恐れ入ります。
もう少しましな話し相手ができればと思いましたが、すみません。

その後、聞き書きのことで仲間のユッコさんと打ち合わせ。
まあいろいろ大変だけれども、たいした記録の残っていない恵那地域で、聞き書きは絶対必要なことだという結論。特に図書館司書のユッコさんの話は説得力がある。
この仕事は私たちこそしなければならないのだけど。
体が一つしかなく。

聞き書きをする私と、執筆をする私と、植物をめでている私と、山里都市交流をする私と、遊んでいる私と、5人ほしい。否、できれば、遊んでいる私は3人ほしいので、全部で7人ほしい。
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