用水の流れを調節するところ。
手前右側は田んぼの方に水を流す口。向こうの2つは、余った水を下の沢に放水する口。
山麓の集落の一番奥まで行ったら、用水があった。
とはいえ、一番奥まで行かなくても、用水はある。
ただ、こういった山奥の用水は、沢から取り入れた本当にきれいな水を流しているので、見ていて気持ちがよくなる。もう少し下の平地になったところでは、雨水や沢水を一旦溜池に入れて、そこから田んぼへ水を引いている場合が多い。が、この辺りには溜池はほとんどない。
恵那山からの水は絶えず流れっぱなしになっていて、とりわけ春先から5月頃にかけて水量が増えるのは雪解け水がどんどん流れてくるためである。また、雨の日の後も水量が多い。裏木曽や木曽では川がとても青いのだが、こんなコンクリート張りの水路でも水が青く見えるので驚く。水の中のミネラルの関係なのだろうか。
用水でも青い水。水色の棒に付いた板を上下させて、水の出入口を開けたり閉めたりする
山から来る沢はあちこちにあるが、こうしてこんな山奥から水路を引き田んぼに安定供給している仕組みを作った先人はすごい。今でこそコンクリート張りになったり黒い塩ビ?パイプを使ったりしているが、昔は重機もない中でツルハシを使って土を掘ったり石を積んだりしたのである。前に山形県の山奥の用水を見たことがあるが、山奥の大きな岩を穿ってトンネルを掘って用水を通してあった。こういったことが日本中の山里でくまなく行われてきたのだ。
奥から流れて来ている水を一旦この箱に入れて分配しているようだ。左側の上のパイプは道路の下を通って反対側に行っている。
田んぼというのは畑に比べてはるかに手間のかかるインフラが必要になってくる。田んぼ自体を作るのにも、斜面を切って水平面を作ってから、粘土を入れて踏み固め、さらに糸を張って厳密に高さを測って平らにして、畦を作って水が溜まるようにし、そこへ水が来るように水路を作らなければならない。
田んぼをやめるとか田んぼをつぶすというのはそういった手間暇のかかった設備を壊すということになるので、「先祖代々の田んぼを守る」という意識があるのは当然だろう。がその意識も今は受け継がれなくなって、田んぼなどない方がいい、さっさと売ってお金にしたいという人が多くなっている。米を出荷するときの価格が安すぎるのだから仕方がない。
日本中のこういった設備がなくなっていけば風景も変わってくる。
なんだか書いているうちに気分が落ち込んできた。私は農業者ではないので、文句を言う資格はない。
この用水で耕作している田んぼ
広い土手の草もきれいに刈られている。これだけ刈るのは気が遠くなるほど大変だと思う
川を隔てた反対側の用水は、途中に小水力発電所ができていた。ただ流していただけの用水の途中で発電して、使った水をまた用水として下流に流す(当然)。この発電所を作ったことで、用水に使っていた管などが更新され、用水自体がより良くなったと看板に書いてあった。
小水力発電所
発電所のすぐ下の用水