リンゴの木
「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」これはマルチン・ルターのことばだという。「リンゴの木」と題する項がサンデーモーニングにあった。
アメリカの影響力が弱まりロシア・中国・北朝鮮などが秩序(まとまり 例えばISへの対応)を失わせている。このようにデモクラシー(民主主義 民主政治制度)が力を失って来ている時、何を大事にしないといけないか。
日本は学校で近代史を教えていない。「どうして戦争をしたのか」体験者も話をしたがらなかった。負の遺産を教えていない。「権力(上官)」の命令で行った行為(例えば 殺人)を部下は自分の「良心」に照らして、発言することばを見つけられなかった。
こんな日本が育てた若者が、寄りかかる大木を失った時、どのような生き方をするか。どんな政治を「明日の日本にとって良い」とした選択(選挙)をするか。
「先輩は話し辛い経験をことばにして表現する」それにより、明日へのリンゴの木を植えよう。こんな内容だった。戦後生まれの私達が残せるものはどんなリンゴの木だろう。やはり長く生きて持った自分の意見を、積極的に表現することだ。「それしかない」と思う。
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