6月14日(金)、雲多し晴れ。
6月というのに、昨日は最高気温37℃。
奈良も大阪も加茂もほとんど変わりはない真夏の陽気。
ということで、皆さんも体調維持には充分ご留意下さい。
映像は紅葉の幹で見つけたに「カミキリムシ」。
紅葉の木が好きなのか、よく来ます。
皮を食むので、枯らすことも。
まあ、樹木にとっては害虫ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/74/7cb8c3a51e4ead32d32ba39a3214f791.jpg)
ーーーー
久方ぶりに「谷川浩司書」を作っています。
去年、名人戦の静岡での折り、駅前の市立美術館で盤駒の展示会がありました。
大阪商業大学アミューズメント産業研究所蔵の「大局将棋」そのほか10点ほどが展示されました。
この時、同大学所蔵の「谷川浩司書」も展示される話がありましたが、生憎、他所へ貸し出し中。
で、結果的に展示は、他の駒と差し替えられることになりました。
そんなこともあり「もう一組、谷川浩司書を製作して、そんなときに使えるようにしておきたい」と思いました。
それを谷川さんにお話して製作の許諾を戴いたのが、丁度1年前。
以来、そう急ぐこともないので、ボツボツととりかかっておりました。
で、工程は、いよいよ終盤の盛り上げ。
あと1月くらいで出来上がるところまでに進んでいます。
ところで「谷川浩司書」。
最初の1組は、平成8年の夏の初め頃でした。
「王将位」を羽生さんに奪取されて無冠になり、数か月半年ほど経った時に製作依頼を受けました。
これは、その年の12月に納めました。
実は、この駒には「自身の駒で研鑽を重ね、いずれは復活したい」という思いが托されていたのです。
このことは、谷川著「復活」(毎日新聞社)を読んで、初めて知りました。
その思いと経緯が詳しく書かれています。
「谷川浩司書の駒は、本人の許可が無い限り作らない」ことを決めていました。
しかし、例外もあります。
最初の1組に続いて、密かにもう1組を並行して作ることにしました。
「谷川さんは、きっと復活する。その時に贈ろう」と思ったからです。
果たして、その年の竜王戦に勝利、「竜王」に復位されました。
で、その2組目の駒は「至龍ノ駒」と名付けて、就位式に贈りました。
10年ほどが経過した今から6年くらい前だったでしょうか。
再び谷川さんから5組の製作依頼がありました。
「お世話になった人に贈る駒」ということでありました。
このほか、何人かの方から「谷川浩司書」の駒の製作依頼も。
その時は、この駒の製作に至ったいきさつを説明して「むやみに製作は出来ない」ことを納得してもらっています。
だが、これにも例外が。
例えば、先ほどの大阪商業大学の谷岡学長からの依頼品。
この時は谷川さんの許諾を戴いて、喜んで作りました。
ところで、「谷川浩司書」を巡っては、過去に数回ニセモノ事件が発覚しました。
モラルが問われる、嘆かわしい事件です。
まだ露見していないものもあるでしょう。
昔は、密かに行われていたものが、昨今は、インターネットオークションで露見することが多いのです。
調べると、ある店と天童・富士宮がらみで、数組作られたようです。
本人は「分からないだろう」と、その時は思っていたことが、後になって露見する。
楽しむべき駒づくりで、ニセモノ作りの烙印を受けることはあってはならないでしょう。
この続きは、またいずれ。
6月というのに、昨日は最高気温37℃。
奈良も大阪も加茂もほとんど変わりはない真夏の陽気。
ということで、皆さんも体調維持には充分ご留意下さい。
映像は紅葉の幹で見つけたに「カミキリムシ」。
紅葉の木が好きなのか、よく来ます。
皮を食むので、枯らすことも。
まあ、樹木にとっては害虫ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/74/7cb8c3a51e4ead32d32ba39a3214f791.jpg)
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久方ぶりに「谷川浩司書」を作っています。
去年、名人戦の静岡での折り、駅前の市立美術館で盤駒の展示会がありました。
大阪商業大学アミューズメント産業研究所蔵の「大局将棋」そのほか10点ほどが展示されました。
この時、同大学所蔵の「谷川浩司書」も展示される話がありましたが、生憎、他所へ貸し出し中。
で、結果的に展示は、他の駒と差し替えられることになりました。
そんなこともあり「もう一組、谷川浩司書を製作して、そんなときに使えるようにしておきたい」と思いました。
それを谷川さんにお話して製作の許諾を戴いたのが、丁度1年前。
以来、そう急ぐこともないので、ボツボツととりかかっておりました。
で、工程は、いよいよ終盤の盛り上げ。
あと1月くらいで出来上がるところまでに進んでいます。
ところで「谷川浩司書」。
最初の1組は、平成8年の夏の初め頃でした。
「王将位」を羽生さんに奪取されて無冠になり、数か月半年ほど経った時に製作依頼を受けました。
これは、その年の12月に納めました。
実は、この駒には「自身の駒で研鑽を重ね、いずれは復活したい」という思いが托されていたのです。
このことは、谷川著「復活」(毎日新聞社)を読んで、初めて知りました。
その思いと経緯が詳しく書かれています。
「谷川浩司書の駒は、本人の許可が無い限り作らない」ことを決めていました。
しかし、例外もあります。
最初の1組に続いて、密かにもう1組を並行して作ることにしました。
「谷川さんは、きっと復活する。その時に贈ろう」と思ったからです。
果たして、その年の竜王戦に勝利、「竜王」に復位されました。
で、その2組目の駒は「至龍ノ駒」と名付けて、就位式に贈りました。
10年ほどが経過した今から6年くらい前だったでしょうか。
再び谷川さんから5組の製作依頼がありました。
「お世話になった人に贈る駒」ということでありました。
このほか、何人かの方から「谷川浩司書」の駒の製作依頼も。
その時は、この駒の製作に至ったいきさつを説明して「むやみに製作は出来ない」ことを納得してもらっています。
だが、これにも例外が。
例えば、先ほどの大阪商業大学の谷岡学長からの依頼品。
この時は谷川さんの許諾を戴いて、喜んで作りました。
ところで、「谷川浩司書」を巡っては、過去に数回ニセモノ事件が発覚しました。
モラルが問われる、嘆かわしい事件です。
まだ露見していないものもあるでしょう。
昔は、密かに行われていたものが、昨今は、インターネットオークションで露見することが多いのです。
調べると、ある店と天童・富士宮がらみで、数組作られたようです。
本人は「分からないだろう」と、その時は思っていたことが、後になって露見する。
楽しむべき駒づくりで、ニセモノ作りの烙印を受けることはあってはならないでしょう。
この続きは、またいずれ。
駒の写真集
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