8月19日(月)、曇り。
熱波は引かず。
この夏の暑さは、特に特に格別。
来年のことを言うと鬼が笑うそうですが、今から来年が思いやられます。
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鬼頭孝生さんが大山康晴賞受賞されるとのことを先週の週刊将棋で知りました。
おめでとうございます。
早速、電話でお祝い申し上げました。
鬼頭さんには、いろいろとお世話になっている方は多いと思いますが、小生もその一人。
普段から私利私欲なく将棋界のために永年尽力されている様子を見るにつけ、尊敬する先輩です。
授賞式は9月9日とのこと。
本当におめでとうございます。
ーーーー
昨日仕事部屋を整理していると、懐かしいモノを見つけました。
表が「醉象」裏が「太子」墨書の薄っぺらな駒。
昭和57年だったでしょうか。
将棋博物館から「二中歴」に基づいて「平安将棋・平安大将棋」の推定復元を依頼されました。
「平安将棋」は、今の将棋から飛車角を除いた駒数が36枚の将棋。
「平安大将棋」は、「注人・猛虎・鉄将」などが加わった13路、駒数68枚と推定される将棋。
この二つは、開業間もない同博物館「将棋展」で展示するべく納めました。
ところでこの「酔象」ですが、この時、同じ材料で余分に制作したものです。
当時、同博物館学芸員だった小泉信吾さんから聞いたのは、福井県・一乗谷朝倉遺跡資料館のこと。
「酔象駒が1枚だけ発掘されているが、酔象を配置した朝倉将棋を1対で展示する時のためにもう1枚酔象駒が欲しいらしい・・」。
「分かりました。ついでに作りましょう」。
昨日見つけたのは、小泉さんを通じて資料館に納めた駒とは別の予備の駒。
文字が滲んでいない良い方を渡して、これはハネ品。
材は、台湾檜。
当時住んでいた大和郡山市の郡山城址に、大手門が復元されました。
この折に、日本各地のヒノキの大木を探したが、メガネにかなうものが見つからなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、台湾産ヒノキの大木。
丁度、大手門が出来上がった間際で、運よくこの端材をもらい受けることが出来ました。
そんな記憶が、この駒には秘められています。
同資料館では、ひょっとするとこれと同じものが、本物の出土駒に混じって観ることがあるかもしれませんね。
実は、小生自身、最近までこのことをすっかり忘れておりました。
何せ随分前のことですから。
7~8年前に「駒サロン」の皆と同博物館を訪れた時、どこかで見たような駒。
「ウーン」と良く考えると、20何年か前に自分が作って渡した駒でありました。
直接渡したのなら、忘れてはいなかった。
が、当方は間接的に人づてに渡したので、心と眼に止まらなかった。
いい訳ですが、そう言うことにしておきましょう。
熱波は引かず。
この夏の暑さは、特に特に格別。
来年のことを言うと鬼が笑うそうですが、今から来年が思いやられます。
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鬼頭孝生さんが大山康晴賞受賞されるとのことを先週の週刊将棋で知りました。
おめでとうございます。
早速、電話でお祝い申し上げました。
鬼頭さんには、いろいろとお世話になっている方は多いと思いますが、小生もその一人。
普段から私利私欲なく将棋界のために永年尽力されている様子を見るにつけ、尊敬する先輩です。
授賞式は9月9日とのこと。
本当におめでとうございます。
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昨日仕事部屋を整理していると、懐かしいモノを見つけました。
表が「醉象」裏が「太子」墨書の薄っぺらな駒。
昭和57年だったでしょうか。
将棋博物館から「二中歴」に基づいて「平安将棋・平安大将棋」の推定復元を依頼されました。
「平安将棋」は、今の将棋から飛車角を除いた駒数が36枚の将棋。
「平安大将棋」は、「注人・猛虎・鉄将」などが加わった13路、駒数68枚と推定される将棋。
この二つは、開業間もない同博物館「将棋展」で展示するべく納めました。
ところでこの「酔象」ですが、この時、同じ材料で余分に制作したものです。
当時、同博物館学芸員だった小泉信吾さんから聞いたのは、福井県・一乗谷朝倉遺跡資料館のこと。
「酔象駒が1枚だけ発掘されているが、酔象を配置した朝倉将棋を1対で展示する時のためにもう1枚酔象駒が欲しいらしい・・」。
「分かりました。ついでに作りましょう」。
昨日見つけたのは、小泉さんを通じて資料館に納めた駒とは別の予備の駒。
文字が滲んでいない良い方を渡して、これはハネ品。
材は、台湾檜。
当時住んでいた大和郡山市の郡山城址に、大手門が復元されました。
この折に、日本各地のヒノキの大木を探したが、メガネにかなうものが見つからなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、台湾産ヒノキの大木。
丁度、大手門が出来上がった間際で、運よくこの端材をもらい受けることが出来ました。
そんな記憶が、この駒には秘められています。
同資料館では、ひょっとするとこれと同じものが、本物の出土駒に混じって観ることがあるかもしれませんね。
実は、小生自身、最近までこのことをすっかり忘れておりました。
何せ随分前のことですから。
7~8年前に「駒サロン」の皆と同博物館を訪れた時、どこかで見たような駒。
「ウーン」と良く考えると、20何年か前に自分が作って渡した駒でありました。
直接渡したのなら、忘れてはいなかった。
が、当方は間接的に人づてに渡したので、心と眼に止まらなかった。
いい訳ですが、そう言うことにしておきましょう。
駒の写真集
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