9月26日(土)、曇り。
「古水無瀬」の続き。
どこまで書いたか、確認のため、前回の分をコピイします。
水無瀬神宮に残る「八十二才」の駒を初めて見たのは、駒づくりを始めて2~3年が経った頃です。
410年前に書かれた、否、当時は確か380年前に書かれた気品ある古い駒を見て感動。
当時、伝統的文字として「水無瀬書」が市販されていましたが、ソレとは全然違う。
なぜかな、と思いました。
このような駒を作らねばと思ったものの、駒は作り始めたばかり、書の技量もありません。
書を勉強して、いずれは、と思いました。
丁度その頃、「駒づくりを楽しむ会」を立ち上げました。
立ち上げてみると、会員は、すぐに100人を超えました。
立ち上げ前に用意していた木地50組は、すぐに無くなりました。
会員が自由に使える字母紙として「無双・淇洲・菱湖」など数種を用意。
木地に付けることにしました。
「無双」は、小生の創作。
「淇洲「は、竹内淇洲の子息・六郎さんからいただいたモノを元に。
「菱湖」の参考は、高浜禎の萬憶え帳、巻菱湖の書道手本、豊島数次郎の遺品文字帳。
合点がいかないところを排除して自分なりに工夫。
後に、「駒書体創作コンテスト」を3回開催して、およそ70種類字母が集まりました。
著作権は会に帰属を応募規定に盛り込み、会員は誰でも使って良いということにしました。
小生が創作した「空蝉」は、その中の一つ。
「古水無瀬」は、これとは別に専ら小生が作る駒の文字として、創作。
欲しいとする何人かには、丁重にお断りしているモノです。
参考は水無瀬神宮「八十二才」の駒、木村家の二つの古駒、龍山字母帳の錦旗など。
「錦旗」はそれまで、後水尾天皇の真筆駒だと言われてきたもの。
しかしそれは大橋家の作りごとがそのまま世間に流布された結果だと推論。
実際は、水無瀬兼成が書いた、四百年前に肉筆で書かれた駒だと鑑定。
そのことは、将棋世界の「博物館だより」で、書かせていただきました。
今日も時間が無くなりました。
では、また。
「古水無瀬」の続き。
どこまで書いたか、確認のため、前回の分をコピイします。
水無瀬神宮に残る「八十二才」の駒を初めて見たのは、駒づくりを始めて2~3年が経った頃です。
410年前に書かれた、否、当時は確か380年前に書かれた気品ある古い駒を見て感動。
当時、伝統的文字として「水無瀬書」が市販されていましたが、ソレとは全然違う。
なぜかな、と思いました。
このような駒を作らねばと思ったものの、駒は作り始めたばかり、書の技量もありません。
書を勉強して、いずれは、と思いました。
丁度その頃、「駒づくりを楽しむ会」を立ち上げました。
立ち上げてみると、会員は、すぐに100人を超えました。
立ち上げ前に用意していた木地50組は、すぐに無くなりました。
会員が自由に使える字母紙として「無双・淇洲・菱湖」など数種を用意。
木地に付けることにしました。
「無双」は、小生の創作。
「淇洲「は、竹内淇洲の子息・六郎さんからいただいたモノを元に。
「菱湖」の参考は、高浜禎の萬憶え帳、巻菱湖の書道手本、豊島数次郎の遺品文字帳。
合点がいかないところを排除して自分なりに工夫。
後に、「駒書体創作コンテスト」を3回開催して、およそ70種類字母が集まりました。
著作権は会に帰属を応募規定に盛り込み、会員は誰でも使って良いということにしました。
小生が創作した「空蝉」は、その中の一つ。
「古水無瀬」は、これとは別に専ら小生が作る駒の文字として、創作。
欲しいとする何人かには、丁重にお断りしているモノです。
参考は水無瀬神宮「八十二才」の駒、木村家の二つの古駒、龍山字母帳の錦旗など。
「錦旗」はそれまで、後水尾天皇の真筆駒だと言われてきたもの。
しかしそれは大橋家の作りごとがそのまま世間に流布された結果だと推論。
実際は、水無瀬兼成が書いた、四百年前に肉筆で書かれた駒だと鑑定。
そのことは、将棋世界の「博物館だより」で、書かせていただきました。
今日も時間が無くなりました。
では、また。
駒の写真集
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http://blog.goo.ne.jp/photo/11726