4月18日(日)、晴れ。
風は強いが、暖かそう。
映像の「駒日記」は、文禄から慶長2年。
慶長元年を境にして、ある人物の表記に変化があることに注目願いたい。
上段の「甲午」は、慶長の2年前、文禄3年。この年の中将棋駒。
「久林」は秀吉ゆかりの武将、「落甚八」は落合甚八。その次が「家康」。
続いて「関白殿、白檀」、その次が「上」(天皇)。
いずれも、リピーターの面々でもあり、この時期、繰り返し水無瀬駒を手にしている。
下段は、慶長に移るところ。
右端が慶長元年の末尾で、中央から左が慶長2年。
ここにも「家康」と書かれているが、このページ以降、「家康」の名は出てこず、変わって「内府」。
この時期に家康は内大臣となり、それまで呼び捨てだった家康は、ここでも出世するわけで、身分制度厳しい公家意識を表しているのが面白い。
なお、ここには「幽斎」(熊本城主、細川藤孝)も、リピーターとして登場しています。