12月8日(日)、晴。
今日は、昨日より寒くなりました。
手元の「将棋ペン倶楽部・秋号」を読み返していると、水野保さんが書かれた「実力名人戦の発足ー関根金次郎十三世名人とその時代」という一文を見つけ、その中で、オヤッと眼についた下りがありました。
この中で下段に、関根名人が、当時の主催社学芸部長の阿部慎之助さんに贈った盤のことが書かれていて、それは小生が所有する将棋盤ですが、近年になって3回の名人戦に使われたことも書かれています。
チョッと宣伝がましいですが、記憶に従って少し書き足しておきますと、1回目は米長名人対羽生挑戦者戦(山口県湯田温泉)で、盤へは米長名人に「曙」の揮毫と対局者二人の署名をしていただきました。
それから12年の2回目は、森内名人対谷川挑戦者戦(石川県辰口温泉)。さらに12年経っての3回目は、佐藤天彦名人対羽生挑戦者戦(奈良県興福寺)。
1回目は、2週間前に行われた名人戦の控室で、担当記者の加古明光さんに「昨年、コレコレの名人戦創設に関わる将棋盤を手に入れた」と話したところ、「次の第3局に持ってこれるか」との誘いがきっかけで、山口県まで自分で運ぶことにしたところ、幸い、使われることになりました。
第2回目は、能美市にある北陸科学技術先端大学院大学(飯田先生)から、講演で呼ばれて日本旅館「まつさき」に泊まった時、社長に将棋タイトル戦に相応しいと説明し、「開催を希望してはどうか」と持ち掛けたのがきっかけで、幸運にも翌年の名人戦6局で、開催が実現した経緯があります。
第3回目は、地元の奈良県ということで、将棋連盟にお願いして使っていただいたきました。
以上のことはいづれも、出会いと幸運の女神がなされた結果であり、関係皆様と幸運の女神に感謝感謝、であります。
一般的に四方柾、天地柾、天柾と言う順位ですが、
私は、天地柾、天柾、四方柾と思っています。
ちゃんと乾燥させた場合は割れ、変形は関係ないので、木目をくっきり直角に出せる美観での順位です。
私は、正座が不自由なので、年輪の多い天地柾で4~5寸の板盤は無いのですか?
と30数年前に碁盤屋を回りましたが、ダメでした。
そんな盤は足つきにします、とのことでした。
やっと取手棋具の足のご不自由な店主が、
なんとかしましょう、とのことで3寸で280本の盤を作成してくれました。
それ以来、板版の天地柾を見ていますが、280本クラスはありません。
800本の5寸天地柾など夢のまた夢ですね。
直径1.2m~1.5m、1500年級の大木だったのでしょう。
年輪の数、800本は、虫メガネで数えました。
最近の木地では、見ることはありませんね。
5寸6寸の脚なしの板盤とは、どんな使い方をするのでしょうか??