熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
送料込み5000円。
残部僅少ながら、注文受付中。

竹内淇洲書

2008-09-21 07:32:00 | 作品
出来上がったばかりの「淇洲書」。材は薩摩つげの孔雀杢です。
 (写真をクリックして出てきた映像は、何故か直線がぶれて表示されます。
 それが拡大マークをクリックすると、ぶれていない映像に戻ります。
 なぜですかね。知っている人、教えてください)

淇洲は山形県酒田市の将棋八段・竹内淇洲(たけのうちきしゅう)翁。
淇洲翁の「将棋漫話」によれば、
10代半ばの頃、祖父が鳥海山山麓に育つツゲを駒にし、筆に覚えのある者が代わる代わる文字を書いたが、気に入ったものが出来上がらない。
そこでようやく淇洲にお鉢が廻ってきた。

淇洲が書いた駒は絶賛され、やがて数組を作って内1組を家宝とし、もう1組は然るべき将来名を残すに託そうということになった。
今から100年ほど前、明治30年ころのことである。

数年後、七段・関根金次郎が諸国遊歴の途中、竹内家に立ち寄った。
酒田界隈は昔から将棋が盛んなところ。だが、その猛者たち誰もが関根には歯がたたない。この人こそと、将来の名人・若き関根に竹内家の夢を託し駒を贈った。

以来、関根はその駒を愛用して連戦連勝し、周りの者は維新で、刃向かう幕軍を蹴散らして進軍した官軍の「錦の御旗」になぞらえて、関根の持つ淇洲書の駒を「錦旗」と呼ぶようになったというエピソードは有名である。

なお、元アマ名人・土岐田さんは、淇洲翁の直弟子だそうです。
また、小生が使う「淇洲」の字母紙は、淇洲翁の六男・竹内六郎さんから昭和53年頃に直接いただいた物です。

追記」昭和58年頃だったと思いますが、木村名人が病気から回復されてしばらくして、木村義徳先生の依頼で、茅ヶ崎のご自宅で木村名人のコレクション駒を拝見した折、名人は「私が一番大事にしているのは淇洲書の駒だ」とおっしゃっていたのを思い出しました。



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