回想記・その13、85才象牙の水無瀬駒発見。
それは平成8年6月、名古屋での名人戦に現地の報道関係控室を訪れたときの事でした。
部屋に入ると、鬼頭さんが「熊澤さん、一昨日の前夜祭で、象牙古い象牙の駒を持ってきた人がいて、誰かこの駒が分かる人がいないかということでした。あいにく、分かる人がいなくて持ち帰りましたが、あの駒は兼成筆の書き駒ではないだろうか」と、耳打ちしてくれました。
「ナニナニ、象牙の駒。どんな感じでしたか。ウムフム・・」と聞き返してみると、どうやら400年ほど前に作られた水無瀬駒の可能性が高い。確か「将棊馬日記」には、象牙の駒が5組ほど記録されていたはず。おまけに玉将の尻には「八十五才」とあったという。「それは、鬼頭さんの言う通り、兼成さんが遺した水無瀬駒に違いない」と思った。しかも象牙製。ドエリャアモノが現れたのだ。
その夕方、帰宅した私は、わくわくして「将棊馬日記」を開いて見てゆく内に、慶長3年小将棋の項に「象牙、道休」の記述があった。慶長三年は、まぎれもなく兼成さん数えで85才の年。まさにぴったり。
興奮しつつ、駒は、これに間違いが無いと120パーセント、確信するにいたったのでした。
それから三日目、鬼頭さんと二人で、早速、福井県福井市の所有者の川井さん宅を訪問することに決めて、同時に、NHK福井支局報道部に、記者の派遣を要請しておいたのは、それほどの価値のある「世紀の大発見」と思ったからでした。
果たして、この続きは駒の映像を含めて、次章にて。しばらくお待ちください。