赤くなったモミジの大鳥居と山門をくぐって、境内に。
山門を入ってすぐの左には、ポリタンクを抱えた10人を超える人の列。
「水無瀬に出でる水」を求める人たちで、これはいつものこと
正面が拝殿。左には社務所。その間が客殿で、今日の会場。
靴を脱いで、中に上りました。
今日の参加者は、23名ということで聞いていましたが、1時間以上も前なのでまだ、誰も来ていません。
奥の別座敷には今日のメインとなるお宝が準備されていて、前もって下見することにしました。こんな感じです。
30分前になると三々五々、少しずつ増え始めました。
まだ少し時間があるので、皆さんと雑談。
といっても、この雑談の双方向コミニケーションは貴重で、緊張が和らいで、今日の雰囲気づくりにも役立ちます。
14時きっかりに満杯になりました。
遠くは九州長崎、関東は群馬、東京、千葉からも。
やがて、主催者側の総合司会があって、いよいよ私の出番。
その時の映像ですが、中央最前列の方が、ニッコリと。
先ずは、参加者皆さんへの敬意の言葉から始めて自己紹介のあと、今日お渡ししている資料類は「水無瀬駒」の大写し映像コピー、島本町教育委員会発行の小冊子「水無瀬駒」等々で、その確認。
次に、「水無瀬神宮に遺されているお宝は何があるか」の再認識をして、その一つ一つの説明を約1時間。
その後がメイン、お宝の見学で、3組に分かれて、別室での対面でした。
その間、待ち時間を利用して、小生が「玉将」とか「観」とか、各人の希望を聞いて即席の墨筆も。
その後は、本物の「水無瀬駒」等を見ての感想等、質疑応答の時間。
これが活発に20分ほど。
織豊時代の研究を専門にされている学者先生も二人参加されていて、「水無瀬神宮にこのような貴重な馬日記があるのは知らなかった」など、ご感想もお聞きできたのは、小生、望外のことでもありました。
そんなあんなで、予定きっかりの16時。今日の「水無瀬駒見学会」が無事終りました。
終了後、みなさんの感想アンケート全てに目を通して、帰宅が20時。
皆さんの帰宅は、いつになったでしょうか。
やあ、お疲れさんでした。
新聞社、テレビ局の取材ですね。
そうですね、今回は余裕もなく考えもしなかったです。
若い時は、マスコミにも懇意な方も何人かいらして、声を掛けたと思うのですが、退職されたり、亡くなったりして、日ごろ連絡をすることも無くなりました。
ご参加なされた方々がお若い方や女性の方々もいらっしゃって、水無瀬駒の魅力と熊澤先生のご人徳を感じますね。
今回は、参加できずに、大変残念でしたが。こうして、「水無瀬駒見学会」の様子を拝見できて、感謝申し上げます。
とにかく、無事に和やかに皆さんと語られたのが良かったです。
テツさんは、出席予定されていたのですが、事情で欠席されて、さぞかし残念なことだとお察しいたします。今後ともお付き合いのほど、お願い致します。
ひとつの駒(書体)だけで、これだけの歴史、由来があることに改めて感動しました。
道具、工芸品を超えた本物の駒を、前日の工房訪問に続いて観ることができ、本当に得難い体験をすることができました。
同時にこのような"本物"を観る機会がどんどん減っていくことに、若干の危機感も感じました。
世に出回っている"水無瀬"書体を、巨匠と呼ばれている駒作者が何の疑問もなく作り、場合によってはタイトル戦にまで使われてしまうという…。
将棋駒の歴史や文化的な面を知れば知るほど、疑問が増えていくような気がしています。
少なくとも、水無瀬書体の駒を制作するには、本物の水無瀬駒を観ていることは必須ではないかとも思うのですが。
本物の水無瀬駒を拝見し、家康、秀頼などからも求められた歴史を目の当たりにし、感動と同じくらいの疑問も持ってしまいました。(講演でおっしゃっていた天童の件も含めて)
長々とすみません。(本当は書き足りないくらいです)
物事は、何事もしっかりと見なければいけない。
シッカリと見なければ行き先を誤る、ということだと思います。