ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

悪さ

2006-08-05 16:13:23 | 日記・エッセイ・コラム

青少年たちの健全育成を目指しロータリーが支援しているインターアクトクラブ(高校生対象)の年次大会が開かれた。発声に少し障害を持つ女子高生が会長として歓迎の挨拶をした。手話を交えての立派な挨拶に感動した。子供たち一人ひとりは素直で可愛らしい。すれ違えばちゃんと挨拶もする。それがどういうことか徒党を組むと悪さに走ってしまう。しかしよく考えてみるとこの現象は子供たちに限ったことではなく、大人たちにこそ深くはびこっている。「皆で渡れば怖くない」とばかり政界も官界も財界も皆で悪さをしている。それと比べると子供達の悪さなどまだまだ幼いものである。


丑の日

2006-08-04 13:42:01 | 日記・エッセイ・コラム

降った雨を返せとばかり炎帝が照りつける。照り付けられて紫陽花の葉はぐったり暑気中り。ノラの親子たちは植え込みの根元で涼み、詩人はぼんやりカルピスをかき回している。突如、電話が鳴って「いま蒲焼を食べてまぁーす」と友人の声。怒りと食欲は次元が違うとでもいうのか、それともこの暑さで何もかも蒸発してしまったか、昨日のあの愚痴は蒲焼とともに腹に落ちていったようす。


イエスタディ・ワンス・モア

2006-08-04 00:50:17 | 日記・エッセイ・コラム

深夜放送から流れ来るカーペンターズの「イエスタディ・ワンス・モア」・・・・・。1970年代に大ヒットした曲。僕は30歳の恋多き青年だった。今こうして曲を聴いていると、当時の人の顔や情景がよみがえってくる。出会った人はみんないい人、行った所はどこも美しい場所だった。ポップミュージックには珍しい彼らの切ない歌声は、アメリカの古き良き時代への郷愁だろうか。それとも遥か彼方に過ぎていった青春の日々への哀惜だろうか。     二晩泊まって、妹は東京に戻っていった。一陣のつむじ風のようであった。 


名前

2006-08-03 16:18:06 | 日記・エッセイ・コラム

僕が名付け親になっている青年が訪ねて来た。心も身体も大きくなるようにと願を込めて「大介」と名づけた。現在二十歳の大介は大学でアメリカンフットボールをやっていると言う。5歳の時以来、一度も会っていないのでその成長振りには驚かされた。名は体をあらわす・・・・まこと見事な青年に成長した。訳あって父親と別れたが、その後の世話をしてくれる人との出会いが彼ら母子に良い影響を与えたものと思う。それにしても他人の子の成長は早いもので、あらためて自分の歳を思い知らされる。


最後の晩餐

2006-08-03 00:41:49 | 日記・エッセイ・コラム

死の際で食べたいものを訊かれたら、妹は「とんかつ」と応えるそうだ。兄貴は? と訊くので「豚肉の生姜焼き」と応えた。どっちも手近にあるものでお互いホッとした。あちこち探しに奔走するのは厄介な事だし、なんといっても急いで間に合わせなければならないから・・・。妻は「黄な粉菓子」だけは絶対いやだ! と言う。そのくせ黄な粉のボタモチは好物なのだ。僕にとって「豚肉の生姜焼き」は祖母の味である。母の後祖母が僕の面倒をみてくれた。僕のために隣町まで行って肉を買ってくる。僕だけが甘やかされて育った。〈婆ちゃん育ちは三文安〉・・・まさにその通りなのである。