五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

蒲焼きの思い出

2005年07月28日 | 日々のつれづれに
今日は土用の丑の日、一年中で一番蒲焼きが売れる日です。
食文化の広まりとともに、夏のこの時期を乗り切るためのいろいろな食材が紹介されるようになりましたが、この日は断然蒲焼き。うなぎうなぎ。

我が家もどこか美味しいと評判の店にでも食べにいければいいのですが、東京と山梨に別れている関係上、それぞれ家庭で蒲焼きを味わうことになるでしょう(少なくても東京はそうです。山梨も同じだと思いますが...?)。

蒲焼きで思い出すのは、16年前に亡くなった祖父のこと。行商をしていた祖父は、山梨に戻ってくると必ず次の品物を仕入れに甲府に行きましたが、その時に小学生になったかならないかの私をよく連れて行ってくれました。
遊園地に行くでもなく映画を見るでもなかったのですが、祖父が2軒ほど問屋さん回りをするのを大人しく付きあっていると、3回に2回くらいは行きつけのうなぎやさんに食事に行くのが楽しみだったのです。

そこは小さいながらこ綺麗な店で、威勢のよい板前さんがうなぎをさばいていました。その前でいつも蒲焼きが出来上がるまでを食い入るように見ていたことを思い出します。
一度そこの主人が私を見て「そんなに(うなぎが)好きか?坊やはエライ人になるよ。」と言ったことを覚えています。エライ人にはなりませんでしたが、蒲焼きが好きになったのは確かです。

祖父は本当に蒲焼きが好きで、我が家の食卓にも良く出てきました。母や私のご飯茶碗にはうなぎが乗せられているだけでしたが、祖父のところにはお皿に盛られた蒲焼きが乗せられていて、それを肴に祖父はお酒をおいしそうに飲んでいました。

私にとって、うなぎ(蒲焼き)は不思議な食べ物で、大好きでいながら何時でも何処でもどうしても食べたいというほどの食べ物ではありません。
しかし、しばらく食べないと猛烈に食べたくなるもので、私に「よし食べに行こう」と決断させる食べ物の一番手であることは間違いありません。

しかしながら、家内はあまりそういうことには頓着せず、定期的に食膳に出すので、今は私にうなぎに対する猛烈な食欲を喚起させることはできないのです。
私の家族は5人そろって蒲焼きが好きなのは確かなのですが、実際のところ家内の本音はわかりません。買ってきた蒲焼きは、単純に料理しやすいからなのかもしれません。

土用の丑の日の今夜、我が家では先日スーパーで買ってきた蒲焼きが食卓に乗ることでしょう。それを食べながら、祖父とそれから祖父と行ったあのうなぎやさんの蒲焼きを思い出すことにしましょう。

蛇足:
そのうなぎやさんは、今でも市内にあります。店構えははるかに立派になって、値段もその当時よりずっと高くなっているみたい。
秘伝の味は変わってはいないかもしれませんが、少年の頃食べた感激は二度と味わえそうもないので、今後も暖簾をくぐることはないと思います。

思い出は思い出として...。
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一句ひねろう:日陰

2005年07月28日 | 一句ひねろう
台風が過ぎて、関東地方はフェーン現象のせいか昨日今日と猛烈な暑さに襲われています。

日差しの強い井の頭通り涼しい電車の中から駅(吉祥寺駅の公園口)の外に出ると、熱い日ざしが待ち構えています。駅からしばらくはビルの陰で日が差さないためにひんやりしているのですが、信号を渡って井の頭通りを歩いていくと朝の日差しがいやおうなしに背中から突き刺してきます。

ところどころの日陰を選んで歩くのですが、日なたと日陰でこんなにも温度が違うものかと思ってしまうほど、その差は顕著です。
テレビなどで発表される気温は、今でも[芝生の上・地上1.2~1.5m・日陰]で測定されるようですが、さすがに百葉箱などは使わず、より正確な温度計を使っているようですね。

それはさておき、昨日は日陰でも35度以上になるところが多かったのですから、日なたはそれ以上、40度に近いくらいになっていたに違いありません。
帽子をかぶっていても背中にあたる日差しはかなりのもの、どうしても日陰を選んで歩くようになってしまいます。

地面を見ると、日の当たるところと影の部分がくっきりと分かれていて、日差しの強さをあらためて思い知らされるようです。


 会社への道々 日陰を拾い行く

コメント (2)
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