今日6月25日は22回目の母の命日、この辺りで言うところの「立ち日」です。
22年前の今日の朝、母は心筋梗塞で倒れ、二階に住む私に連絡しようと内線電話の受話器を握りしめたまま倒れていました。
その日は長男の少年野球の日で、支度をしようと早起きした妻が階下で倒れている母を発見したのでした。
その日は日曜日で、衆議院議員選挙の投票日でした。
今もその時の投票券が手元に残っています。
唯一私(達)が国政選挙の投票に行かなかった日でもあります。
先日、母の二十三回忌の法要を済ませました。
同じ月の五月に亡くなった祖母と一緒。
この親子は、亡くなった後の回忌法要の年もずっと一緒です。
亡くなった当時は周りから、
「祖母が寂しがって、娘(母)を一緒に連れて行った」
と、よく言われました。
何しろ、母が結婚していた数年間を除いて、実に70年間くらい一緒に生活していたのですから。
その祖母が長い看病の末に亡くなって、その一周忌の法要を終えた一週間後に、母は旅立ちました。
もともと持病があった母は、医者から「無理をしないように」と言われ続けていましたが、「どうしても一周忌だけは(自分の手で)やりたい」と、医師に懇願して、法要の準備を進めていました。
法要が終わった日の夜、「これでやっと同級生との旅行に行ける」とほっとしたように話していた母。
葬儀の返礼品の打ち合わせから始まった話し合いは、その後「自分が亡くなったら、(父母とは別の)新しい墓に入れて欲しい」なんていう話にも及びました。
離婚して、幼い私を連れて山梨に戻った母は、いずれこういうときが来ることを早くから考えていたのかもしれません。
母の新しい墓は、祖父母や先祖が眠る古い墓から少し離れた場所に建っています。
墓には、建立者としての母の名前が赤い文字で刻まれています。