今回のシリーズを視聴して
印象に残ったことや感想などをぽつぽつと。
老いの正体が解明されつつある現代。
アンチエイジングという考え方も
時代によりあるいは個々により
さまざまであるように思います。
究極のアンチエイジングは
不老不死といえるのでしょうが、
それはつまるところいきものとしての使命
(いのちを次代につなげること)を
否定することになるのではないかと
私には思えてきます。
たしかに体(細胞)は
加齢とともに衰えていくけれども
いのちは最後まで衰えていないのではないか。
このシリーズを通して
私はそのような思いを持ったように思います。
目に見える物質である体は
60兆個の細胞からできています。
細胞の衰えが肉体や精神の衰えとして
現れるのだけれど
いのちはエネルギーというかパワーのようなものだから
次代に引き継ぐ(死を乗り越えていく)ことが
エネルギーの本質であると思えるのです。
私は科学者ではないので
論理的には破綻してるかと思いますが、
直観的な考察というか思いを述べてみます。
いのちは根源だと思っています。
細胞が活動できるのは
いのちのパワーがあるからだと思います。
したがって細胞を若返らせたり
蘇生したり再生したりしてみても
もともとのいのちのパワーが衰弱していれば
一時的のものとなるのだろうと思います。
いのちのパワーは
親から受け継いだ先天的なパワーの他に
呼吸や食を介して自然界から
後天的なパワーとして補填していると
考えられます。
いのちのパワーは消耗と補填のバランスで
循環しているようなものです。
たとえば、いのちのパワーという表現が
なにがしかの胡散臭さを招くとするならば
「からだのエネルギーは呼吸と食事からつくられている」という
表現でもいいのかもしれません。
(たぶん科学的にもこれは間違いではないのかなと思います)
長寿ですこやかに生活している人達は
よく笑い穏やかな表情をして
ものごとを楽観的に考える余裕があるようです。
余裕とはすなわち無欲に通じるような。
「こんなに長生きするとは思っても見なかった」と
笑いながら話すかれらだって
平坦な人生を歩んできたわけではないでしょう。
もうダメかもと思うような出来事にも
何度も遭遇してきたのだと思います。
それでもなんとか生き延びてこられた。
頑張る細胞を支援し貢献している
ホルモンの存在も忘れることはできません。
成長ホルモンなどは体をつくりあげるために
幸せホルモンや癒しホルモンは脳神経系に作用し
安らぎと豊かな情感を醸し出してくれる。
老人は顔や体はしわくちゃでシミも多いです。
髪や歯もなかったりします。
外見や動作には年齢なりの衰えがみてとれます。
ですが瞳の輝きや話す内容や口調には
チャーミングなほどに何ともいえない活力を
みる者に感じさせていたように思います。
これがたぶんいのちのパワーなんでしょうね。
私が愛好している太極拳導引では
健康は生きる目的ではなく手段と考えます。
健康でいたい、健康になりたいのは
その先に実現させたい希望や目標があるからです。
自分の夢や目標を実現するためには
まずは心身の健康があってこそ。
健やかなときもそうでない状況に陥っても
いつも目標を見失うことなく意識し続けて
そのときどきに相応しいやれること、できることを
見つけ出しくふうしてみることが大事。
いってみれば、いのちの使い方を
学んでいるんだなと改めて思っています。
それがたぶん「益寿延年不老春」という
伝統養生の考え方なのかもしれません。
最先端の科学紹介番組が
じつは伝統的養生の説く世界の
再発見になったような気がします。
ということで、このシリーズのアップも
今回で完結かなと思っています。
印象に残ったことや感想などをぽつぽつと。
老いの正体が解明されつつある現代。
アンチエイジングという考え方も
時代によりあるいは個々により
さまざまであるように思います。
究極のアンチエイジングは
不老不死といえるのでしょうが、
それはつまるところいきものとしての使命
(いのちを次代につなげること)を
否定することになるのではないかと
私には思えてきます。
たしかに体(細胞)は
加齢とともに衰えていくけれども
いのちは最後まで衰えていないのではないか。
このシリーズを通して
私はそのような思いを持ったように思います。
目に見える物質である体は
60兆個の細胞からできています。
細胞の衰えが肉体や精神の衰えとして
現れるのだけれど
いのちはエネルギーというかパワーのようなものだから
次代に引き継ぐ(死を乗り越えていく)ことが
エネルギーの本質であると思えるのです。
私は科学者ではないので
論理的には破綻してるかと思いますが、
直観的な考察というか思いを述べてみます。
いのちは根源だと思っています。
細胞が活動できるのは
いのちのパワーがあるからだと思います。
したがって細胞を若返らせたり
蘇生したり再生したりしてみても
もともとのいのちのパワーが衰弱していれば
一時的のものとなるのだろうと思います。
いのちのパワーは
親から受け継いだ先天的なパワーの他に
呼吸や食を介して自然界から
後天的なパワーとして補填していると
考えられます。
いのちのパワーは消耗と補填のバランスで
循環しているようなものです。
たとえば、いのちのパワーという表現が
なにがしかの胡散臭さを招くとするならば
「からだのエネルギーは呼吸と食事からつくられている」という
表現でもいいのかもしれません。
(たぶん科学的にもこれは間違いではないのかなと思います)
長寿ですこやかに生活している人達は
よく笑い穏やかな表情をして
ものごとを楽観的に考える余裕があるようです。
余裕とはすなわち無欲に通じるような。
「こんなに長生きするとは思っても見なかった」と
笑いながら話すかれらだって
平坦な人生を歩んできたわけではないでしょう。
もうダメかもと思うような出来事にも
何度も遭遇してきたのだと思います。
それでもなんとか生き延びてこられた。
頑張る細胞を支援し貢献している
ホルモンの存在も忘れることはできません。
成長ホルモンなどは体をつくりあげるために
幸せホルモンや癒しホルモンは脳神経系に作用し
安らぎと豊かな情感を醸し出してくれる。
老人は顔や体はしわくちゃでシミも多いです。
髪や歯もなかったりします。
外見や動作には年齢なりの衰えがみてとれます。
ですが瞳の輝きや話す内容や口調には
チャーミングなほどに何ともいえない活力を
みる者に感じさせていたように思います。
これがたぶんいのちのパワーなんでしょうね。
私が愛好している太極拳導引では
健康は生きる目的ではなく手段と考えます。
健康でいたい、健康になりたいのは
その先に実現させたい希望や目標があるからです。
自分の夢や目標を実現するためには
まずは心身の健康があってこそ。
健やかなときもそうでない状況に陥っても
いつも目標を見失うことなく意識し続けて
そのときどきに相応しいやれること、できることを
見つけ出しくふうしてみることが大事。
いってみれば、いのちの使い方を
学んでいるんだなと改めて思っています。
それがたぶん「益寿延年不老春」という
伝統養生の考え方なのかもしれません。
最先端の科学紹介番組が
じつは伝統的養生の説く世界の
再発見になったような気がします。
ということで、このシリーズのアップも
今回で完結かなと思っています。