主は主たるもの、要なるもの。
ということは一なるものになるかと思う。
たとえば扇の要が一点であることで
扇の動きが成り立っているように。
しかし要そのものの存在は
あって当たり前感覚というか
その存在を主張してるようにもみえない。
バランスがととのうというのは
そういうことなのだろう。
自分の練習を振り返ると
主が出すぎているかもしれない。
主を主として意識しすぎているのか。
はたまた従を従せしめようとして
抑制する傾向にあるのか。
従本来の性質を活かせずにいるのか。
練習は実験であり検証の場であるのだから
そういうことはあって当たり前で、
むしろ実験課題を見出しているのだから
好ましいことなのかもしれないが。
それにしても…な感じ。
いかなる状況にあっても
意の主は心、動の主は体幹。
意が動を導くのだから
主の主たるものは心といえるのか。
主従というと
どうしても序列のようなイメージが
つきまとうように思える。
いわゆる主は従よりも優るみたいない印象。
これってなんだろう。
練習に限っていえば、
主が従よりも優るという考え方は
してないと感じている。
これはなにも主従の関係に限らず
部位や方向などといった関係についても
どちらがより優るかという比較評価ではなくて
共存協調をめざしているように思う。
共存するためには
互いの性質を知る(理解する)段階が要る。
互いの存在を認め合うには
共通点よりも相違点を認め合えるかどうかが
ポイントになる。
共通点とはいわば同質であり共感しやすい。
だが相違点はそう簡単にはいかない。
違和感や摩擦(受け容れがたい生理的感覚など)が
多少なりとも課題として上積みされる。
ここでも主は心ということかと。
意をどうやってはたらかせるかで
生理的な感覚でさえも和ませることができる。
どうやらそういうものらしい。
まだ自分の練習段階では
実証経験の記憶はないのだけれど。
それでも「こりゃ無理だ」と思っていたことが
いつの間にかできていたことはある。
共存の本質は自他それぞれの異質の存在を認め
活かし合うこと。
どちらか一方の質で均すことではない。
複数の異質があってこそ協調がうまれるのであり
その融和の妙が和みとなるのだと思う。
主は従あってこその主であり
従の活気が主の勢に活かされるのだろう。
従を顧みない主の一方的な意念には
おそらく従の足並みはそろわず
空回りな動きとか
緊張感のある動きとなってしまうのだろう。
ということは一なるものになるかと思う。
たとえば扇の要が一点であることで
扇の動きが成り立っているように。
しかし要そのものの存在は
あって当たり前感覚というか
その存在を主張してるようにもみえない。
バランスがととのうというのは
そういうことなのだろう。
自分の練習を振り返ると
主が出すぎているかもしれない。
主を主として意識しすぎているのか。
はたまた従を従せしめようとして
抑制する傾向にあるのか。
従本来の性質を活かせずにいるのか。
練習は実験であり検証の場であるのだから
そういうことはあって当たり前で、
むしろ実験課題を見出しているのだから
好ましいことなのかもしれないが。
それにしても…な感じ。
いかなる状況にあっても
意の主は心、動の主は体幹。
意が動を導くのだから
主の主たるものは心といえるのか。
主従というと
どうしても序列のようなイメージが
つきまとうように思える。
いわゆる主は従よりも優るみたいない印象。
これってなんだろう。
練習に限っていえば、
主が従よりも優るという考え方は
してないと感じている。
これはなにも主従の関係に限らず
部位や方向などといった関係についても
どちらがより優るかという比較評価ではなくて
共存協調をめざしているように思う。
共存するためには
互いの性質を知る(理解する)段階が要る。
互いの存在を認め合うには
共通点よりも相違点を認め合えるかどうかが
ポイントになる。
共通点とはいわば同質であり共感しやすい。
だが相違点はそう簡単にはいかない。
違和感や摩擦(受け容れがたい生理的感覚など)が
多少なりとも課題として上積みされる。
ここでも主は心ということかと。
意をどうやってはたらかせるかで
生理的な感覚でさえも和ませることができる。
どうやらそういうものらしい。
まだ自分の練習段階では
実証経験の記憶はないのだけれど。
それでも「こりゃ無理だ」と思っていたことが
いつの間にかできていたことはある。
共存の本質は自他それぞれの異質の存在を認め
活かし合うこと。
どちらか一方の質で均すことではない。
複数の異質があってこそ協調がうまれるのであり
その融和の妙が和みとなるのだと思う。
主は従あってこその主であり
従の活気が主の勢に活かされるのだろう。
従を顧みない主の一方的な意念には
おそらく従の足並みはそろわず
空回りな動きとか
緊張感のある動きとなってしまうのだろう。