徐脈の傾向はあいかわらずのようですが
少し落ち着いてきたようです。
徐脈の程度は要経過観察とはいえ
いますぐ医療対処が必要ということではありません。
それにしても…です。
徐脈はあまり気持ちのよいものではないです。
血圧が低く脈拍数も60あればよい方なので
血の巡り方もゆっくりで
心臓から押し出す圧力も弱いために
全身を巡る血流も弱く滞りやすくなる傾向に。
そこで筋肉を緊張させ血管に圧をかけて
巡り力を何とか補おうとしてるのかもしれません。
これまで課題としてきた緊張についても
少し見直してみることにしました。
緊張感は体の反応と心の反応があります。
おもにコントロールできるのは
心、感情の動きですね。
コントロールというのも
観察に近いニュアンスかもしれません。
感情のコントロールといいながら
つい力づくで導いてしまいそうになります。
意識的に高揚させたり
抑制させてしまうこともありがちです。
それとは違ったやり方、
たとえば感情の流れを利用しつつ
意のままに仕向けていくというか…。
そこらへんを目指してます。
感情の流れぐあいを観察した上で
目標と流れとのつりあいどころを
探りつつ辿っていくみたいな。
体の通常な状態をわかってるのは
体自身だと思います。
徐脈は体のリズムのひとつであり
体調の持ち味と(私は)考えています。
私はこの体で生きてきたのだし、
これからも生きていくのだから
体の変化についていくことも
私の生き方の一面でもあるわけで。
この世のものには対になる対象があって
その両者間のバランスの移ろいが
さまざまな様相をうみだしているとする
考え方があります。
易という文字は日と月からできていると
聞いたことがあります。
日と月も対の間柄であり
陰陽の理に基づくつりあいの変化の妙を
みせてくれます。
徐脈は拍動リズムのひとつの状態です。
それ自体が自然の理から
外れているわけではありません。
徐脈という環境のもとで
私の体はそれなりのバランスを
とっていられるのだからOKなのです。
体に無理させる必要はないと思いつつも
心の手綱捌きには手を焼いてます。
やりすぎたり不足したりと失敗続きです。
これもまた自分と向き合う練習ですね。
最後に最近チェックした野口晴哉氏のことばを
記しておきます。
《異常を除いて正常であろうと考えている
養生人は多いが、 問題は異常ではない。
問題は異常の中に正常を保っている
体のはたらきである。
それがどのように働いているのか、
それを確かめることに養生の道がある。》
少し落ち着いてきたようです。
徐脈の程度は要経過観察とはいえ
いますぐ医療対処が必要ということではありません。
それにしても…です。
徐脈はあまり気持ちのよいものではないです。
血圧が低く脈拍数も60あればよい方なので
血の巡り方もゆっくりで
心臓から押し出す圧力も弱いために
全身を巡る血流も弱く滞りやすくなる傾向に。
そこで筋肉を緊張させ血管に圧をかけて
巡り力を何とか補おうとしてるのかもしれません。
これまで課題としてきた緊張についても
少し見直してみることにしました。
緊張感は体の反応と心の反応があります。
おもにコントロールできるのは
心、感情の動きですね。
コントロールというのも
観察に近いニュアンスかもしれません。
感情のコントロールといいながら
つい力づくで導いてしまいそうになります。
意識的に高揚させたり
抑制させてしまうこともありがちです。
それとは違ったやり方、
たとえば感情の流れを利用しつつ
意のままに仕向けていくというか…。
そこらへんを目指してます。
感情の流れぐあいを観察した上で
目標と流れとのつりあいどころを
探りつつ辿っていくみたいな。
体の通常な状態をわかってるのは
体自身だと思います。
徐脈は体のリズムのひとつであり
体調の持ち味と(私は)考えています。
私はこの体で生きてきたのだし、
これからも生きていくのだから
体の変化についていくことも
私の生き方の一面でもあるわけで。
この世のものには対になる対象があって
その両者間のバランスの移ろいが
さまざまな様相をうみだしているとする
考え方があります。
易という文字は日と月からできていると
聞いたことがあります。
日と月も対の間柄であり
陰陽の理に基づくつりあいの変化の妙を
みせてくれます。
徐脈は拍動リズムのひとつの状態です。
それ自体が自然の理から
外れているわけではありません。
徐脈という環境のもとで
私の体はそれなりのバランスを
とっていられるのだからOKなのです。
体に無理させる必要はないと思いつつも
心の手綱捌きには手を焼いてます。
やりすぎたり不足したりと失敗続きです。
これもまた自分と向き合う練習ですね。
最後に最近チェックした野口晴哉氏のことばを
記しておきます。
《異常を除いて正常であろうと考えている
養生人は多いが、 問題は異常ではない。
問題は異常の中に正常を保っている
体のはたらきである。
それがどのように働いているのか、
それを確かめることに養生の道がある。》
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます