松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

ブルース・ファートマンと学ぶアレクサンダー・テクニーク(2015.2.8)_02

2015-03-16 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
午後からのアクティビティ・ワークで
私は太極拳でワークを受けました。
ワークを受ける順番が
あらかじめ決まっているわけではなく
その場の流れによって決まっていきます。
というわけで私のワークも唐突に巡ってきました。

ちょっとドキドキしながら始めると
ブルース先生の声がかかって早々に中断。
先生が椅子から立ち上がり私の背後に立つと
先生の手が私の身体にそっと触れてきました。
そして静かに穏やかな声で"OK...yeah"と
繰り返し囁きながらアクティビティ・ワークが
始まりました。

自分の準備が整わないうちに
動き始めようとしていたなと我に返りました。
気づくことは我に返ること、
つまり気づく前の状態は我にあらず、
忘我の状態だったということになります。
慌てている、落ち着いていない、冷静でない。
平常ではない状態にありました。
それを陶芸の映像にたとえるならば
まだ粘土にもなっていない未熟な土をロクロに乗せて
つくり始めようとしてたようなものです。

自分で自分の状態に気づけていなかった。
準備にかかる時間は浪費ではない(無駄じゃない)。
まさに「急いてはことを為損じる」です。

私(陶芸家)が私の身体(土)を
ととのえきれてないままに
次の段階へと進もうとしたのを見て
ブルース先生(陶芸家)の手が
私の心身(土)に伸びてきた。
私が冷静になったところで
次へのきっかけとなる方向性を伝えてきた。
冒頭のシーンはそんな感じのワークだったのかなと
思いました。

その後も先生は太極拳を続けるよう促して
私の身体に触れ続け、ときどき動きを止めては
何かしら気づかせてくれるようなワークが続きました。
それは一方的に強制されたり
抑制されているわけではありません。
むしろ習慣化した身体の使い方や
意識の巡り方をしていることに
気づかせてくれてるような感触が残りました。

道は方法は一つじゃない。
もっといろいろ試してみてもいいじゃない?
そんなアドバイスをいただいたような感じがしました。


ところで、ひとつ謎が残っています。
土、ロクロ、陶芸家の手はわかりました。
では水とは何ものなのか?

ワークを受けていたときを思い起こすと、
陶芸家はブルース先生、粘土は私、
ロクロは…その場(もしかしたら地球?)。
そして問題の水ですが、それはもしかしたら
ブルース先生と私との間に交わされていた
何らかの(たとえば気持ち?)交流が
それにあたるのかなと思ってみたりしています。
相手を信じる思い、感情のようなものかな。

ブルース先生の言動からは
私がしたいことを理解してくれているように感じらた。
私の視線の向く方向を一緒に見てくれていると感じた。
共鳴、共感がそのベースにあったのかなと。
だから私は安心して先生の手を受け容れていた。
変化する自分を素直に受け容れられそうな気がした。
だから先生とともにチャレンジしてみようと。
そしてやってみたら、案外よい感じだった。
新しい自分に出会った気分になった。
思わず笑みがこぼれた。
そんな感じだったのかなと思いました。


それともうひとつ、
ブルース先生が水のように思えたこと。
水は冷静です。
少しの空気の流れにも水面は軟らかく揺れます。
些細な変化にも応じる備えができています。
そして水はどんな形にも変化する(受け容れる)
決まった形を持ちません。
水の性質は柔軟だけれども弱いわけではない。
表面張力は太極拳の掤勁のようでもありますし。

このへんは正直なところ、よくわかりません。
とりあえず今はそんなふうに感じています。
機会があればまた参加してみたいと思ってます。





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