松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

いのちを思う

2011-04-28 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
いのちはセンサーのようなものなのかな。

いのちが脅かされそうな状態のときには
生きたいと願うけど
ふだんはほとんど意識していない


あの震災と原発事故発生以来
いのちのことを日常的に
考えずにはいられない状況が続くからなのか
ここへきて、心底くたびれてしまった。
いままでそういう習慣がなかったからなのかな。

日常的にいのちを意識することが
私には非日常なことだったのだろうか。
自分ではどちらかといえば
考えてる方じゃないかと思ってたのに。
というか、考え方(方向や質)が
ちょっと違ってたのかもしれないな。

漠然とでも自分なりに
思い描いたイメージはあった。
そうありたいと願う気持ちの方が
やはり強かったように思う。
無念な状況なんてことは
つとめて考えないようにしてたと思う。
仮に考えたとしても
まともに考えようとはしてなかったな。

何かしらの希望がなければ
日々前に進めないんじゃないかと思ってた。
だけど、もしかしたら
絶望と思われる状況から
再起しようするときにこそ
希望が必要になるのかもと思うようになった。

目指す方向がわからなくなったときに
標となるのが希望なのかなと。
そして標を照らす燈がいのちなのかなと。
いのちあることが希望そのものであり原点だ。

でも、いのちは消滅する。
いついかなる状況で消滅するのかはわからないけど
かならず消滅することだけは確かなこと。
でも燈を継ぐことはできる。
そうやってきたからいまがあるのだし。

これからもセンサーが働き続ける限り、
燈が揺らぐたびに立ち止まり
おろおろするんだろうな。
そうやって生きてきたんだものなぁ




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