今月の専科クラスは重心をテーマに各自が個人練習しています。
重心一つに絞って練習していても
身体操作が変わってきています。
目に見えてかどうかは自分ではわかりませんが
自身の中での変化は著しいものがあります。
・重心をどこで感じているか
現状では丹田かどうかは自分ではよくわからないが
下腹部の奥の方に何かあるのは感じる。
意識がそこにあると
さまざまなものが整いやすくなることには気づいている。
でも放っておく。自由にさせておく。
たとえば、これを使って動いてみようなどとは思わない。
存在を意識している(感じる)だけ。
動きの目的に従って生じる意念によって
ここは動いているのだろうなと、いまは思っている。
だから“なるがまま”にしておいて
内外のバランスなど状態の変化を観察している。
自分の現状はといえば、
動きによって重心の感じ方が左右されている。
丹田らしいところで重心を感じられる動きもあれば
体幹でないと感じられない動きもある。
そうした状況がなぜ起きてるのか
そこを考える。
重心を感じにくい動きについて
あれこれくふうして動いてみては観察(検証)する。
何度も何度も動いてやってみる。
ときには鏡面動作としてやってみたり
感じやすい動きと動き比べてみたりして
視点を変えてみたりもする。
それらの目的はなるべく中心の核や内部の動きの状態を
自分で確認しやすいような動き方をみつけるため。
目的がはっきりしてれば、日常動作でだって練習できる。
そうやって見つけた
新たな動き方(身体の使い方)のポイントを
さらに何度も繰り返すことでならしていく。
感じ方の弱かった動きが安定してくれば余裕がうまれ
さらに重心を感じることができるだろう。
動きがスッキリしない動作や
窮屈だったり不安定な動きというのは
重心の所在が感じ取れていないか弱いのである。
そりゃ当然だろうなと思う。
そういう当たり前のことを改めて確認している。
これまでも何度もやってきたこと。
その度に動きが変わってくる。
少しずつ少しずつ変わってくる。
楽しい、じつに愉快。
重心一つに絞って練習していても
身体操作が変わってきています。
目に見えてかどうかは自分ではわかりませんが
自身の中での変化は著しいものがあります。
・重心をどこで感じているか
現状では丹田かどうかは自分ではよくわからないが
下腹部の奥の方に何かあるのは感じる。
意識がそこにあると
さまざまなものが整いやすくなることには気づいている。
でも放っておく。自由にさせておく。
たとえば、これを使って動いてみようなどとは思わない。
存在を意識している(感じる)だけ。
動きの目的に従って生じる意念によって
ここは動いているのだろうなと、いまは思っている。
だから“なるがまま”にしておいて
内外のバランスなど状態の変化を観察している。
自分の現状はといえば、
動きによって重心の感じ方が左右されている。
丹田らしいところで重心を感じられる動きもあれば
体幹でないと感じられない動きもある。
そうした状況がなぜ起きてるのか
そこを考える。
重心を感じにくい動きについて
あれこれくふうして動いてみては観察(検証)する。
何度も何度も動いてやってみる。
ときには鏡面動作としてやってみたり
感じやすい動きと動き比べてみたりして
視点を変えてみたりもする。
それらの目的はなるべく中心の核や内部の動きの状態を
自分で確認しやすいような動き方をみつけるため。
目的がはっきりしてれば、日常動作でだって練習できる。
そうやって見つけた
新たな動き方(身体の使い方)のポイントを
さらに何度も繰り返すことでならしていく。
感じ方の弱かった動きが安定してくれば余裕がうまれ
さらに重心を感じることができるだろう。
動きがスッキリしない動作や
窮屈だったり不安定な動きというのは
重心の所在が感じ取れていないか弱いのである。
そりゃ当然だろうなと思う。
そういう当たり前のことを改めて確認している。
これまでも何度もやってきたこと。
その度に動きが変わってくる。
少しずつ少しずつ変わってくる。
楽しい、じつに愉快。
遅々として練習をしています。
ますます奥深さをしります
これからも勉強をさせてください。
そうですか、もうすぐ1年になるのですね。
慢慢走吧(ゆっくりゆっくり行きましょう)♪
私のメモやらつぶやきなんぞ
マユツバだと思っていてください。
あくまで自分を通して感じてることですから
間違ってることもあるし
身体や心は皆違うのですから
誰にでも当てはまるとは限らないし。
表現の仕方も違うでしょうし。
ただ、ほんとうに奥深いことは確かですね。
もしかしたら求めてるうちは
底知れないと感じるものなのかもしれませんね。