序章 明日から浜名湖畔、温泉滞在
明日から5泊6日の温泉滞在の旅行に出かける。
家内の母を含めて、3人で温泉滞在の旅行ツアーに参加する。
家内の母は、一昨年の秋に主人を亡くされ、一人住まいであるので、
ときおり私共の旅行に母を誘っている・・。
一昨年の晩秋に房総半島の中央部にある亀井温泉に3泊4日で始まり、
昨年の2月の下旬に、紀伊半島の南部の勝浦温泉に6泊7日に行ったりした。
その後、5月の中旬に那須塩原温泉に4泊5日に行き、
10月の上旬に房総半島の白浜温泉に4泊5日で出かけたりした。
そして、11月の中旬に東北の盛岡市の外れにある繋(つなぎ)温泉に5泊6日で、
東北の晩秋の状景を楽しんだりした。
このように母を含めて、3人で温泉滞在の旅行をしている。
そして、私共夫婦は旅行が共通の趣味であるので、
昨年も日本の各地を夫婦でお訪ずれたりしている。
家内の父が生前の時は、私共と家内の父と母の4人で、
私の現役時代の忙しさの合間、1泊2日か2泊3日で10数年続いていた・・。
明日は、家内の母を迎えに行くので、朝3時に起床する。
従って、本日は早めに夕食後、読書をした後、寝ることにする。
尚、旅行に伴い、ホテルにパソコンの貸し出し設備が無い限り、
3月3日(金曜日)このブログは休載します。
第一章 三ケ日温泉滞在
浜名湖の奥まった所に猪鼻湖があるが、
この湖畔沿いに幾つかのリーゾト・ホテルが点在する。
この中のひとつに三ケ日温泉があり、
2月の26日より本日の3日まで5泊6日で行ってきた。
この地方は、奥浜名湖と呼ばれ、
古くから人の営みが刻まれた歴史のある地域でもある。
このような処を散策したりしてきた・・。
第二章 旅の始まりは雨
温泉地に滞在して、ゆっくりと過ごせるのが私共の共通の趣味であり、
家内の母を連れ立って、温泉滞在の観光ツアーに参加した。
観光バスで現地に連れてって貰い、リゾート・ホタルに5泊するプランである。
先月の26日の日曜日、3時に起床し、
自宅を4時40分にに出た。
前日、タクシー会社に予約したが、断られ、
止む得ず駅までの20分の道のりを歩く為、早めに家を出たのであった。
歩き始めて数分後、幸いにタクシーに乗ることが出来、
成城学園前に始発の二番手に乗ることが出来た。
家内の母との待ち合わせの上野駅には、6時に着いて、
早朝の上野駅のまばらな状景を観たりしていた。
上野公園の集合7時半であったが、雨が降り出してきて、
バスに乗り込み、新宿の都庁の近くに向かった。
日曜日の都心は、雨のためか、平日からは予想できないくらい、静まりかえっていた。
この観光ツアーは、上野と新宿が集合場所であったので、
新宿からのメンバーと8時過ぎに合流した。
このツアーに参加するメンバーが揃い、
60代、70代のご夫婦連れが多かった。
私は団体観光ツアーに参加するたびに、
こうした人生の先達のご夫婦より、色々とご教示を頂いているので、
こうした旅のひととき、魅了させられるひとつでもある。
ときおり雨が激しく降る中、新宿を出て、首都高速で六本木、渋谷を通り、東名高速を走った。
富士P.A.で休憩し、牧之原P.A.に於いて昼食をした後、
ホテルには午後の1時時15分に着いた。
旅の始まりは、雨の中の一日となった。
部屋に入り、煎茶をひと口呑むと、
『これから5泊だから、ゆっくりしょうね・・』
と家内と家内の母に言った。
入浴後、湖面を観ていると、雨があがり、
靄(もや)が立ち込めてきた・・。
第三章 お香(こう)がただよう寺
湖上の朝は、晴れ渡っていた。
奥浜名湖の地域を散策しょう、とリゾート・ホテルを出た。
送迎マイクロ・バスで最寄駅まで送って貰う。
天竜浜名湖鉄道の『尾奈駅』より1両の電車に乗ったが、
この遠州地方は、湖岸から平地が開け、そして里山に向けてゆるやかな傾斜に、
蜜柑(みかん)をはじめ柑橘(かんきつ)類が育つ温暖な地域である。
車窓からは、白梅、紅梅、そして水仙を植えられた家並みが観られ、
長閑な日常を感じたりした。
『金指駅』で降り、奥山高原の昇竜型に造形されたしだれ梅を観る予定であったが、
莟の状態であると聴き、
東海地方の最大の鍾乳洞の『竜ケ岩洞』に行った。
2億5千年前の神秘の地底、と称されているが、
各観光地で鍾乳洞を観て来たので、私は心に残らなかった・・。
少し失望感があり、
『この近くにお寺さんがあるので、
そちらに寄って行こう・・』
と家内と家内の母に提案した。
路線バスを乗り継いで、バス停から微風を受けながら10分程歩くと、
神宮が観え、その外れに『龍潭(りょうたん)寺』にあった。
横道から入ると、本堂の外れに受付を済ますと、お香の香りが漂ってきた・・。
鶯張りの二間程の廊下を歩き、座敷の客間、仏間を観たりしたが、
お香をたいている様子がなく、
この本堂全体が障子、襖(ふすま)、壁に香りがついていたことに気付いた。
本堂の前の庭園の白梅、しだれ紅梅、そして南天の樹木の景観に心を奪われた。
その後、小堀遠州の作と知られている庭園は、
東峰、中峰、西峰の三つの築山を設けており、
東西に心字を縁取った池が流れて、
幾多の石組みの枯滝を配し、臨済宗の伝統を引き継いでいた。
確かに景観は裏打ちされ、どなたが観ても満足させる庭園である。
その後、本堂の前の庭園に降りると、
南天の群生があり、奥まった杉林の中央に墓地があった。
受付の付近で、ベンチに腰を下ろし、煙草を喫しながら、
頂いた解説書を読み始めた・・。
今から1300年前、行基菩薩により開創作され室町時代、
黙宗端淵・禅師がご開山となられ、禅宗の寺となる。
井伊谷は、井伊家の元祖の共保が出生(1010年)の地であり、
24代の直政が彦根に出世されるまで、
当寺は元祖からの菩提寺として今日まで、
歴代の殿様に深く帰依されてきている。
と綴られていた。
そこで私は、遥か彼方の歳月を想い浮べた。
第四章 遠い歳月への想い
『龍潭寺(りょうたんじ)』の境内の外れのベンチで煙草を喫いながら、
遠い歳月を想い浮べた・・。
行基菩薩がこの遠州の里山の井伊谷に定めて、
開創したのが奈良時代の時であった。
平安時代になると、井伊家の始祖・井伊共保がこの地で生まれ、
素朴な寺を菩提寺と定め、
この地の遠江を各豪族を治め有力武士となり、
保元物語に名を連ねるまでとなった。
その後の歴代の井伊家は、鎌倉時代に於いて、源頼朝に仕えて、
南北朝時代になると、後醍醐天皇皇子の宗良親王を井伊城に迎え、
北朝軍と戦った名門のひとつとなる。
室町時代になると、20代の井伊直平に帰依された臨済宗の黙宗端淵・禅師が、
新たに『龍潭寺』の開山となり、
遠州地方に京都・妙心寺の流れをくむ臨済宗を広く、布教される。
その後、24代の井伊直政は徳川家康に仕え、
徳川の四天王の筆頭に出世され、関ヶ原の合戦後、彦根に移る。
幕末の時代になると、井伊直弼・大老として、開国の偉業をなし遂げて、
歴史の表舞台に登場することとなった。
この『龍潭寺』は、千年余りの長い歳月に於いて、井伊家の歴代の息遣いが感じる・・。
尚、彦根藩を治めた江戸時代には、
この彦根にも『龍潭寺』があり、庭園の愛好家としては、
この彦根の方が著名である。
私はこんな風に想い返していたが、
道路から一歩入ると、山門までの長い道の後、仁王門、境内の庭園、そして本堂に続くのに、
羨望は隠し切れなかった。
そして私は、歳月へのためいきを改めて感じたりしている。
私は山門を名残り惜しかったが、家内達が待つお土産店に急いだ・・。
第五章 旅先の酒
2月の月末は、朝から雨が降っていたので、ホテルの館内でくつろぐ事とした。
私は読書をし、お風呂に入り、そして日中はお酒と煎茶を呑んだりした。
昨日の帰路、酒屋さんで『花の舞』初しぼりを買い求めた。
選定している時に、偶然に目に留まった・・。
その箱の解説文が気に入り、下記のように記されていた。
米、水、杜氏すべてが地元産。
米は地元・遠州地方の契約農家をはじめ、
静岡県内で栽培された良質の酒造好適米を仕込み、
水は赤石山系の山々が蓄えた地下水を使用。
そして、蔵で育った杜氏・土田一仁と蔵人達の技によって、
花の舞のお酒がつくり出されています。
『初しぼり』
新酒しぼりたての新鮮な味と香りをそのまま瓶に詰めました。
香り高く、味わい深い、
まさしく、新酒の蔵出し期間しか味わえない、とっておきの生酒です。
と綴られていた。
のん兵衛の私は、見逃すことの出来ない心情で、
買い求めた次第である。
今回の旅行で、ぐい呑みを持参するのは忘れ、
やむ得なく茶碗に注(つ)いだ・・。
辛口の上、18度以上で19度以下で通常よりアルコール度が高く、
香り高く、奥行きがある。
こうした折、私は充たされた・・。
私は旅先でその地の地酒を呑んでいるが、一期一会のような気持ちで封を切る。
未知の女性と知り合ったような期待感を持つが、
ときおり私の期待を裏切ることもあるが、
今回の酒は心の語り合いが進みそうであった・・。
第6章 早春の香り
里山を切り開いているが、起伏の斜面には
紅、濃いピンク、淡いピンク、そして純白の花びらをつけた梅の樹木が、
この公園の一面を染めていた・・。
その脇には水仙が咲き、松林の近くに菜の花が咲いていた・・。
旅先に於いて、偶然にこのような光景に出会うと、得も知れなく心を満たしてくれる。
小雨降る中、観光船に乗り、浜松市が市制60周年の記念として、
動物園とフラワー・パークをこの里山の一角に創設した処に、
家内達は動物園に行き、私はフラワー・パークに来ている・・。
雨の降りしきる中、傘をさして、デジカメを首に掲げ、散策した。
里山の起伏を下りかけた時、不意に黄色い花が目に止まり、
近寄ると、若樹のまんさくが雨の中、咲いていた。
まんさくの大木はよく見かけるが、
こうした5メートル前後の樹木は、私は初めてである。
この若樹が三本程、起伏の斜面を彩っていた。
こうした光景は、数年過ぎた頃に不意に想いだされると思う・・。
私は、のちのおもいに、かと呟いたりした。
何のとりとめなく自在に散策し、身をゆだねていたが、
雨が不意に強く降ってきたので、屋根のある休憩所のベンチに急いだ。
第七章 まどろむ午後のひととき
3月2日は、快晴となった。
家内の母は、館内でゆっくりしたいと言ったので、
家内と付近の大草山の梅園に行くことにした。
観光船に乗ったが、他の観光客は見当たらず、家内と二人だけのなり、
このような体験は初めてであった。
里山の丘陵の陽当たりの良い処に梅園があった。
昇竜の形に造形され、紅色、ピンク、そして白梅があって、
竹で作られたベンチに座り、冷酒を呑む・・。
こうして午前中の陽だまりの里山で、
家内と語り合ったが、目にしている昇竜型の梅は、
余りにも造形がかっているので、余情がなく私の心には残らなかった。
ホテルに戻る帰路、観光船を利用したが、他の観光客がいなく、
往復路とも私共となり、操縦員、補助員のお二人には気の毒に思ったりした。
ホテルに戻り、大浴場や露天風呂に浸かり、
光る湖上を見詰めた。
陽差しを受けた湖水は、キラキラと湖面を光が乱舞しているようだった。
その後、ビールを呑み、ホテルの正面先の近くには里山の一角に竹林があり、
微風で群生している竹が揺れている・・。
館内から流れてきたバロック音楽に身をゆだね、
とりとめないまどろみの3時過ぎを迎えた。
最終章 旅の終りは、一期一会
3月3日の旅行日の最終となった。
この間で、私共と同じツアー・メンバー方達と、
お互いに食事、入浴時、その横にある広いサン・ルームで、
言葉を掛け合ったり、目礼をしたりしている。
今回は5泊のためであったのか、
何処、何処は良かった、とか話し合っている。
お互いに60、70代のご夫婦連れが多いので、話がはずんだりする。
帰路のバスの中では、指定された座席に座り、
家内と今回の観光した中を寸評し、
『龍潭寺の本堂前の庭園は魅了させらけれど・・・
フラワー・パークで雨の中、独りで観て廻った時、
梅や水仙、菜の花・・まんさくの花を観れた時、
心に残ったよ・・』
と私は家内に言った。
前に座られた私より5歳上ぐらいのご主人が、
私に声を掛けられてきた・・。
『聴こえましたので・・』
とそのご主人は言った。
その後、他愛無い話をした後、さりげなくお互いの人生観を語り合った。
ご主人の奥様とも話し合い、お互いに笑いあったりした。
到着先になると、この奥様は、
『もっと早く、お知り合いになれたら・・
また何処かの旅行で、ご一緒に・・
お会いしたいですね・・』
と言われた。
私はこうした数時間、
さりげないその方達の人生観を語り合うのが好きである。
ただ一期一会が多く、お互い心の節度が前提となるのは、言うまでも無いことである。
私達は、このご夫婦に目礼をした後、
『私達も、また、お会いしたいですね・・
お気をつけて・・』
と私は言った。
自宅の門扉を開けて、玄関先に立つと、白梅が満開で迎えてくれた。