序章 明日より、北海道へ・・♪
以前、『北海道へは、船て゜・・♪』で綴ったことはあるが、
明日より4泊5日の団体観光ツアーに出かける。
東京駅より新潟駅に新幹線で行き、
新潟港に移動し、この港から小樽港に向かい1泊し、
翌日の早朝に小樽港に着くフェリー船に乗船する。
このコースは私共夫婦のひとつの夢である事は、
『北海道へは、船で・・♪』で綴っている。
小樽を出た後は、芦別の三段の滝を観て、富良野から美瑛を抜けて、
旭岳の裾野のリゾートホテルに宿泊する。
翌朝、旭岳ロープウェイに乗り、周辺を散策する。
その後、天人峡の羽衣の滝を観た後、札幌の奥まった定山峡まで移動し、
宿泊する。
翌日は、豊平峡で電気バスに乗って、ダム周辺を観た後、
小樽市で観光し、札幌駅に行く。
夕暮れの札幌駅より『北斗星号』を乗車し、宿泊しながら上野駅に到着する。
私共は北海道には、心身の波長が合うので度々お訪ずれているが、
晩秋の道内は道東は訪れたことがあるが、
このコースは始めてである。
紅葉の終わりかけたこの季節、
どの様に私共の心に沁みる光景が、
のちの想いになるかは、解らない・・。
いずれにしても今回の旅行は、
私の定年退職記念旅行の敗者復活戦のひとつである。
第一章 旅の始まりは、月の光・・♪
新潟港を10時30分に離れた『らいらっく号』は、
翌朝の4時10分に小樽港をめざして出港した。
専用のテラス付きの特等A個室は、想像したよりテラスが広めであった。
夕食はデイナー付きであったので、
昼食をラーメンとビールにし、家内はサンドイッチにした。
部屋に戻った後、テラスから日中の海は
雲の間に晴れ間が広がっているのを眺めながらビールを呑む。
朝、東京駅7時12分発の新幹線に乗る為、
早朝に家を出たので、眠くなり、ベットにもぐり昼寝をする。
午後4時過ぎに、大浴場で身体をさっぱりさせた後は、
喫煙室で煙草を吸っていたら、数多くのトラックのドライバーに会う。
フェリー船であるので、彼らは業務で休息のひとときで、
楽しげに話し合っているのに好感を持つ。
ディナーの際、小樽ワインの辛口を注文し、家内と呑みながら食事をする。
こうした旅先の夕食も私共は、長年楽しんできた。
齢を重ねる度に、食べ物にこだわりを持つのは、
多くの人が経験するのだろう、と思っている。
部屋に戻り、夜の海を眺めた。
月の光の帯が、遠方から波間を通して、
あたかもテラスに向かって部屋に差し込んでいるように思えた。
その後しばらくすると、月は空高く昇ると、
海上の一辺に月の光の溜(た)まり場となり、
この範囲に月の光を寄せ集めていた。
第二章 やがて錦繍の世界に・・♪ ①
早朝の四時になると、小樽港の街の灯りが煌々と観えて来た。
フェリーは予定通り4時10分に接岸した。
港内はコンテナのトラックが百台前後あり、日本海の海上航路の要所であることを現していた。
私共の団体観光ツアーは、5時15分に下船し、バスで祝津にある食堂に向かう。
空は白く明け方の情景の中で、地元民も通う町外れの食堂で、
鰊(にしん)を私共の人数分を焼いてくれ、暖かなご飯と味噌汁で頂く。
素朴さであるが、これは最も贅沢な朝食である・・。
バスは高速道路を北上し、岩見沢を過ぎ、
三笠のインターチェンジで降りると、
やがて里山はナナカマドとカエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色で
錦繍(きんしゅう)の世界となった。
私は家を出るときは、旅の最後の行程で定山峡周辺で錦秋を期待していたが、
目の前で秋色が展開されたのには、
ちょっと驚き錦繍の光景に瞠(みは)った・・。
バスガイドさんの話に寄ると、
道内の紅葉は例年より2週間遅れで今は最盛期、
と伝えてきた。
第三章 やがて錦繍の世界に・・♪ ②
その後の芦別の三段の滝、富良野の新プリンスホテルのニングルの森も、
秋たけなわの錦繍の光景であった。
ニングルの森は、ゆるい傾斜の雑木林の中にあり、
開園前の時間であったので、即売店は閉っていた。
私の理想は、このような環境に近いが、
見渡す限り雑木林の中で平屋建ての一軒屋に住み、
近くにはホテルがあり、ときたま食事が出来るところであった。
齢を重ねた今、私は自分の実力の拙(つたな)さを嘆いて、
煙草を喫いながら、夢の世界に近いニングルの森を見詰めた・・。
その後、美瑛を通り、旭岳の裾野にあるホテルに宿泊する。
部屋の窓辺からは、夕陽が山なみの沈むところであった。
空は水色で、陽の周辺は朱色、そして黄色を取り混ぜて、
そして山なみに消えていった・・。
第四章 やがて錦繍の世界に・・♪ ③
旭岳の裾野は、落葉樹は葉を落とし終わっていた。
エゾマツ、トドマツの濃い緑が周辺を彩っていた。
朝陽の差し込んでいるレストランで朝食をした後、
ロープウェイに乗り、旭岳が展望できる高原登山道を散策する。
小さな池は凍り付いて折、道端は霜が陽に当たって溶け出していた・・。
旭岳から下方の旭岳温泉や
遙か彼方の遠方の山なみまで視界の開けた雄大なスロープであった。
その後、旭岳を下った所にある天人峡に行き、羽衣の滝を観に行く。
バスから下車し、遊歩道を散策したが、朱色、黄色に彩られた錦繍の中を歩く。
午前の柔らかな陽射しの中、ときおり黄色の葉が上空から舞い降りてくる。
こうした光景を観ると、まぎれなく秋を受容した思いが、心に沁みてくる。
多分、今後このようなことは、幻想しか実感できないだろう、
と思い返したりした。
その後、札幌のはずれにある定山渓に行き、宿泊する。
第五章 雨の中の錦繍・・♪
定山渓温泉は、渓谷沿いに数多くのホテルが建っている温泉町であった。
窓辺で観ていると、渓谷の対岸を川べりから空に向かって
樹木が色付いているようだった。
ナナカマド、カエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色、
そしてエゾマツ、トドマツの濃い緑色の配色は、秋の盛りであった。
朝食後、雨の中を豊平峡を散策する。
電気バスに乗り、ダムを囲むかのように錦繍の世界が拡がっていた・・。
雨の中、濡れた朱色、黄色も良い光景である。
朝の川霧が立ち昇り、雨が舞うようにしっとりと降っている。
雨の中、傘を差して立ち竦んでいても、
飽きない光景であった・・。
第六章 そして小樽に・・♪
雨の中を豊平峡を後にし、
バスは札幌を目指して走路したが、周囲は錦繍に染まっていた。
札幌から小樽に抜けると、雨が止み、
観光客であふれた街が小樽であった。
3年前の冬、オホーツク海の流氷を観る為に、
網走の二ツ岩のホテルで2泊して流氷を待ち焦がれたが、
1週間前に接岸したが、沖に去っていた・・。
この間、斜里までノロッコ号に乗ったが、
海上は快晴の中、見渡す限り蒼い海原で、
止む得ず路線バスで知床半島のウトロまで行った。
ウトロに近づいた峠を越えると、海の彼方まで流氷であった。
その後、ウトロの海辺あたりを数時間散策した。
網走駅から特急『オホーツク号』で9時30分発で後にした後、
冬の道北、道央を抜けて、札幌駅着14時46分に乗車した。
これは私の長年の夢のひとつであった。
札幌駅から小樽駅に着き、ホテルにチェック・インした後、
雪の中を運河沿いのガス灯のある遊歩道を夕暮れ時に歩いた。
夜になると、居酒屋に行き、地酒を呑みながら、
地魚をふんだんに食べたりした。
こうした想いが私共にあったので、
晩秋の小樽は味気なく、運河沿いの地ビールを呑ませる料理店に入る。
ここの店は、ラムの骨付き肉を食べさせてくれる所で、
塩味と大根おろしの付いた甘いたれの2種類を注文する。
地ビールを呑みながら、かぶりつくのは満足させてくれるひとつである。
集合場所に戻る時、小樽ワインの店があった。
試飲させてくれた時、
『辛口で・・深みのある・・』
と私が言った。
店員さんは、店頭の試飲用の十種類から選定し、私に呑ましてくれた。
結果として、この銘柄を1本買い求め、
夜の駅弁を食べる時の友とした。
第七章 旅の終りは、寝台特急で・・♪
旅の終りは、『北斗星号』であった。
札幌駅を17時12分に発車し、上野駅に翌日の9時41分着である。
お弁当と煎茶のペットボトルを買い求め、B寝台の個室は想像したより狭かった。
家内と旅行バックと手荷物を置く位置を決め、私は浴衣に着替えた。
小樽ワインを呑みながら、お弁当を開く。
今回の旅は、日中は原則としてサッポロ・クラシックのビールで、
夜はホテルのハウス・ワインか富良野、小樽ワインのボトルを良く呑んだ。
私は旅先では、その地のアルコールを呑むことにしている。
その地の文化を知ることは、お酒もひとつの手がかりとなるからである。
疲れを覚えたのでベットに横たわり、直ぐに寝付く。
深夜の1時過ぎに目覚め、煎茶を少し呑んだ後、地酒を呑む。
その後、眠りについて朝の5時過ぎに目覚め、
ぼんやりと車窓から外の景色を眺めた・・。
東北地方を旅する時、殆んど新幹線を利用していることに気付いた。
今回の旅の最後は、在来線で上野駅に向かっているが、
在来線はその地をゆっくりと通っているので、
その地の風土を教示してくれる・・。
その点、新幹線は単なる通過の役割しかないことに、改めて気付いた。
上野駅より私の住む最寄り駅の成城学園前に着いた時、
懐かしさを覚え、安心したせいか旅の疲れが出た。
家の門扉を開け、玄関庭を見ると、花梨の大きな実が3つほど落ちていた。

以前、『北海道へは、船て゜・・♪』で綴ったことはあるが、
明日より4泊5日の団体観光ツアーに出かける。
東京駅より新潟駅に新幹線で行き、
新潟港に移動し、この港から小樽港に向かい1泊し、
翌日の早朝に小樽港に着くフェリー船に乗船する。
このコースは私共夫婦のひとつの夢である事は、
『北海道へは、船で・・♪』で綴っている。
小樽を出た後は、芦別の三段の滝を観て、富良野から美瑛を抜けて、
旭岳の裾野のリゾートホテルに宿泊する。
翌朝、旭岳ロープウェイに乗り、周辺を散策する。
その後、天人峡の羽衣の滝を観た後、札幌の奥まった定山峡まで移動し、
宿泊する。
翌日は、豊平峡で電気バスに乗って、ダム周辺を観た後、
小樽市で観光し、札幌駅に行く。
夕暮れの札幌駅より『北斗星号』を乗車し、宿泊しながら上野駅に到着する。
私共は北海道には、心身の波長が合うので度々お訪ずれているが、
晩秋の道内は道東は訪れたことがあるが、
このコースは始めてである。
紅葉の終わりかけたこの季節、
どの様に私共の心に沁みる光景が、
のちの想いになるかは、解らない・・。
いずれにしても今回の旅行は、
私の定年退職記念旅行の敗者復活戦のひとつである。
第一章 旅の始まりは、月の光・・♪
新潟港を10時30分に離れた『らいらっく号』は、
翌朝の4時10分に小樽港をめざして出港した。
専用のテラス付きの特等A個室は、想像したよりテラスが広めであった。
夕食はデイナー付きであったので、
昼食をラーメンとビールにし、家内はサンドイッチにした。
部屋に戻った後、テラスから日中の海は
雲の間に晴れ間が広がっているのを眺めながらビールを呑む。
朝、東京駅7時12分発の新幹線に乗る為、
早朝に家を出たので、眠くなり、ベットにもぐり昼寝をする。
午後4時過ぎに、大浴場で身体をさっぱりさせた後は、
喫煙室で煙草を吸っていたら、数多くのトラックのドライバーに会う。
フェリー船であるので、彼らは業務で休息のひとときで、
楽しげに話し合っているのに好感を持つ。
ディナーの際、小樽ワインの辛口を注文し、家内と呑みながら食事をする。
こうした旅先の夕食も私共は、長年楽しんできた。
齢を重ねる度に、食べ物にこだわりを持つのは、
多くの人が経験するのだろう、と思っている。
部屋に戻り、夜の海を眺めた。
月の光の帯が、遠方から波間を通して、
あたかもテラスに向かって部屋に差し込んでいるように思えた。
その後しばらくすると、月は空高く昇ると、
海上の一辺に月の光の溜(た)まり場となり、
この範囲に月の光を寄せ集めていた。
第二章 やがて錦繍の世界に・・♪ ①
早朝の四時になると、小樽港の街の灯りが煌々と観えて来た。
フェリーは予定通り4時10分に接岸した。
港内はコンテナのトラックが百台前後あり、日本海の海上航路の要所であることを現していた。
私共の団体観光ツアーは、5時15分に下船し、バスで祝津にある食堂に向かう。
空は白く明け方の情景の中で、地元民も通う町外れの食堂で、
鰊(にしん)を私共の人数分を焼いてくれ、暖かなご飯と味噌汁で頂く。
素朴さであるが、これは最も贅沢な朝食である・・。
バスは高速道路を北上し、岩見沢を過ぎ、
三笠のインターチェンジで降りると、
やがて里山はナナカマドとカエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色で
錦繍(きんしゅう)の世界となった。
私は家を出るときは、旅の最後の行程で定山峡周辺で錦秋を期待していたが、
目の前で秋色が展開されたのには、
ちょっと驚き錦繍の光景に瞠(みは)った・・。
バスガイドさんの話に寄ると、
道内の紅葉は例年より2週間遅れで今は最盛期、
と伝えてきた。
第三章 やがて錦繍の世界に・・♪ ②
その後の芦別の三段の滝、富良野の新プリンスホテルのニングルの森も、
秋たけなわの錦繍の光景であった。
ニングルの森は、ゆるい傾斜の雑木林の中にあり、
開園前の時間であったので、即売店は閉っていた。
私の理想は、このような環境に近いが、
見渡す限り雑木林の中で平屋建ての一軒屋に住み、
近くにはホテルがあり、ときたま食事が出来るところであった。
齢を重ねた今、私は自分の実力の拙(つたな)さを嘆いて、
煙草を喫いながら、夢の世界に近いニングルの森を見詰めた・・。
その後、美瑛を通り、旭岳の裾野にあるホテルに宿泊する。
部屋の窓辺からは、夕陽が山なみの沈むところであった。
空は水色で、陽の周辺は朱色、そして黄色を取り混ぜて、
そして山なみに消えていった・・。
第四章 やがて錦繍の世界に・・♪ ③
旭岳の裾野は、落葉樹は葉を落とし終わっていた。
エゾマツ、トドマツの濃い緑が周辺を彩っていた。
朝陽の差し込んでいるレストランで朝食をした後、
ロープウェイに乗り、旭岳が展望できる高原登山道を散策する。
小さな池は凍り付いて折、道端は霜が陽に当たって溶け出していた・・。
旭岳から下方の旭岳温泉や
遙か彼方の遠方の山なみまで視界の開けた雄大なスロープであった。
その後、旭岳を下った所にある天人峡に行き、羽衣の滝を観に行く。
バスから下車し、遊歩道を散策したが、朱色、黄色に彩られた錦繍の中を歩く。
午前の柔らかな陽射しの中、ときおり黄色の葉が上空から舞い降りてくる。
こうした光景を観ると、まぎれなく秋を受容した思いが、心に沁みてくる。
多分、今後このようなことは、幻想しか実感できないだろう、
と思い返したりした。
その後、札幌のはずれにある定山渓に行き、宿泊する。
第五章 雨の中の錦繍・・♪
定山渓温泉は、渓谷沿いに数多くのホテルが建っている温泉町であった。
窓辺で観ていると、渓谷の対岸を川べりから空に向かって
樹木が色付いているようだった。
ナナカマド、カエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色、
そしてエゾマツ、トドマツの濃い緑色の配色は、秋の盛りであった。
朝食後、雨の中を豊平峡を散策する。
電気バスに乗り、ダムを囲むかのように錦繍の世界が拡がっていた・・。
雨の中、濡れた朱色、黄色も良い光景である。
朝の川霧が立ち昇り、雨が舞うようにしっとりと降っている。
雨の中、傘を差して立ち竦んでいても、
飽きない光景であった・・。
第六章 そして小樽に・・♪
雨の中を豊平峡を後にし、
バスは札幌を目指して走路したが、周囲は錦繍に染まっていた。
札幌から小樽に抜けると、雨が止み、
観光客であふれた街が小樽であった。
3年前の冬、オホーツク海の流氷を観る為に、
網走の二ツ岩のホテルで2泊して流氷を待ち焦がれたが、
1週間前に接岸したが、沖に去っていた・・。
この間、斜里までノロッコ号に乗ったが、
海上は快晴の中、見渡す限り蒼い海原で、
止む得ず路線バスで知床半島のウトロまで行った。
ウトロに近づいた峠を越えると、海の彼方まで流氷であった。
その後、ウトロの海辺あたりを数時間散策した。
網走駅から特急『オホーツク号』で9時30分発で後にした後、
冬の道北、道央を抜けて、札幌駅着14時46分に乗車した。
これは私の長年の夢のひとつであった。
札幌駅から小樽駅に着き、ホテルにチェック・インした後、
雪の中を運河沿いのガス灯のある遊歩道を夕暮れ時に歩いた。
夜になると、居酒屋に行き、地酒を呑みながら、
地魚をふんだんに食べたりした。
こうした想いが私共にあったので、
晩秋の小樽は味気なく、運河沿いの地ビールを呑ませる料理店に入る。
ここの店は、ラムの骨付き肉を食べさせてくれる所で、
塩味と大根おろしの付いた甘いたれの2種類を注文する。
地ビールを呑みながら、かぶりつくのは満足させてくれるひとつである。
集合場所に戻る時、小樽ワインの店があった。
試飲させてくれた時、
『辛口で・・深みのある・・』
と私が言った。
店員さんは、店頭の試飲用の十種類から選定し、私に呑ましてくれた。
結果として、この銘柄を1本買い求め、
夜の駅弁を食べる時の友とした。
第七章 旅の終りは、寝台特急で・・♪
旅の終りは、『北斗星号』であった。
札幌駅を17時12分に発車し、上野駅に翌日の9時41分着である。
お弁当と煎茶のペットボトルを買い求め、B寝台の個室は想像したより狭かった。
家内と旅行バックと手荷物を置く位置を決め、私は浴衣に着替えた。
小樽ワインを呑みながら、お弁当を開く。
今回の旅は、日中は原則としてサッポロ・クラシックのビールで、
夜はホテルのハウス・ワインか富良野、小樽ワインのボトルを良く呑んだ。
私は旅先では、その地のアルコールを呑むことにしている。
その地の文化を知ることは、お酒もひとつの手がかりとなるからである。
疲れを覚えたのでベットに横たわり、直ぐに寝付く。
深夜の1時過ぎに目覚め、煎茶を少し呑んだ後、地酒を呑む。
その後、眠りについて朝の5時過ぎに目覚め、
ぼんやりと車窓から外の景色を眺めた・・。
東北地方を旅する時、殆んど新幹線を利用していることに気付いた。
今回の旅の最後は、在来線で上野駅に向かっているが、
在来線はその地をゆっくりと通っているので、
その地の風土を教示してくれる・・。
その点、新幹線は単なる通過の役割しかないことに、改めて気付いた。
上野駅より私の住む最寄り駅の成城学園前に着いた時、
懐かしさを覚え、安心したせいか旅の疲れが出た。
家の門扉を開け、玄関庭を見ると、花梨の大きな実が3つほど落ちていた。
