夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

錦繍の北海道周遊記【2005.10.19. ~ 10.23.】

2008-04-23 20:29:33 | 
   序章  明日より、北海道へ・・♪

以前、『北海道へは、船て゜・・♪』で綴ったことはあるが、
明日より4泊5日の団体観光ツアーに出かける。

東京駅より新潟駅に新幹線で行き、
新潟港に移動し、この港から小樽港に向かい1泊し、
翌日の早朝に小樽港に着くフェリー船に乗船する。

このコースは私共夫婦のひとつの夢である事は、
『北海道へは、船で・・♪』で綴っている。

小樽を出た後は、芦別の三段の滝を観て、富良野から美瑛を抜けて、
旭岳の裾野のリゾートホテルに宿泊する。

翌朝、旭岳ロープウェイに乗り、周辺を散策する。
その後、天人峡の羽衣の滝を観た後、札幌の奥まった定山峡まで移動し、
宿泊する。

翌日は、豊平峡で電気バスに乗って、ダム周辺を観た後、
小樽市で観光し、札幌駅に行く。

夕暮れの札幌駅より『北斗星号』を乗車し、宿泊しながら上野駅に到着する。

私共は北海道には、心身の波長が合うので度々お訪ずれているが、
晩秋の道内は道東は訪れたことがあるが、
このコースは始めてである。

紅葉の終わりかけたこの季節、
どの様に私共の心に沁みる光景が、
のちの想いになるかは、解らない・・。

いずれにしても今回の旅行は、
私の定年退職記念旅行の敗者復活戦のひとつである。


   第一章  旅の始まりは、月の光・・♪

新潟港を10時30分に離れた『らいらっく号』は、
翌朝の4時10分に小樽港をめざして出港した。

専用のテラス付きの特等A個室は、想像したよりテラスが広めであった。
夕食はデイナー付きであったので、
昼食をラーメンとビールにし、家内はサンドイッチにした。

部屋に戻った後、テラスから日中の海は
雲の間に晴れ間が広がっているのを眺めながらビールを呑む。
朝、東京駅7時12分発の新幹線に乗る為、
早朝に家を出たので、眠くなり、ベットにもぐり昼寝をする。

午後4時過ぎに、大浴場で身体をさっぱりさせた後は、
喫煙室で煙草を吸っていたら、数多くのトラックのドライバーに会う。
フェリー船であるので、彼らは業務で休息のひとときで、
楽しげに話し合っているのに好感を持つ。

ディナーの際、小樽ワインの辛口を注文し、家内と呑みながら食事をする。
こうした旅先の夕食も私共は、長年楽しんできた。
齢を重ねる度に、食べ物にこだわりを持つのは、
多くの人が経験するのだろう、と思っている。

部屋に戻り、夜の海を眺めた。
月の光の帯が、遠方から波間を通して、
あたかもテラスに向かって部屋に差し込んでいるように思えた。

その後しばらくすると、月は空高く昇ると、
海上の一辺に月の光の溜(た)まり場となり、
この範囲に月の光を寄せ集めていた。


   第二章  やがて錦繍の世界に・・♪ ①

早朝の四時になると、小樽港の街の灯りが煌々と観えて来た。

フェリーは予定通り4時10分に接岸した。
港内はコンテナのトラックが百台前後あり、日本海の海上航路の要所であることを現していた。

私共の団体観光ツアーは、5時15分に下船し、バスで祝津にある食堂に向かう。

空は白く明け方の情景の中で、地元民も通う町外れの食堂で、
鰊(にしん)を私共の人数分を焼いてくれ、暖かなご飯と味噌汁で頂く。
素朴さであるが、これは最も贅沢な朝食である・・。

バスは高速道路を北上し、岩見沢を過ぎ、
三笠のインターチェンジで降りると、
やがて里山はナナカマドとカエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色で
錦繍(きんしゅう)の世界となった。

私は家を出るときは、旅の最後の行程で定山峡周辺で錦秋を期待していたが、
目の前で秋色が展開されたのには、
ちょっと驚き錦繍の光景に瞠(みは)った・・。

バスガイドさんの話に寄ると、
道内の紅葉は例年より2週間遅れで今は最盛期、
と伝えてきた。


   第三章  やがて錦繍の世界に・・♪ ②

その後の芦別の三段の滝、富良野の新プリンスホテルのニングルの森も、
秋たけなわの錦繍の光景であった。

ニングルの森は、ゆるい傾斜の雑木林の中にあり、
開園前の時間であったので、即売店は閉っていた。

私の理想は、このような環境に近いが、
見渡す限り雑木林の中で平屋建ての一軒屋に住み、
近くにはホテルがあり、ときたま食事が出来るところであった。

齢を重ねた今、私は自分の実力の拙(つたな)さを嘆いて、
煙草を喫いながら、夢の世界に近いニングルの森を見詰めた・・。

その後、美瑛を通り、旭岳の裾野にあるホテルに宿泊する。
部屋の窓辺からは、夕陽が山なみの沈むところであった。
空は水色で、陽の周辺は朱色、そして黄色を取り混ぜて、
そして山なみに消えていった・・。



   第四章  やがて錦繍の世界に・・♪ ③

旭岳の裾野は、落葉樹は葉を落とし終わっていた。
エゾマツ、トドマツの濃い緑が周辺を彩っていた。

朝陽の差し込んでいるレストランで朝食をした後、
ロープウェイに乗り、旭岳が展望できる高原登山道を散策する。

小さな池は凍り付いて折、道端は霜が陽に当たって溶け出していた・・。
旭岳から下方の旭岳温泉や
遙か彼方の遠方の山なみまで視界の開けた雄大なスロープであった。

その後、旭岳を下った所にある天人峡に行き、羽衣の滝を観に行く。
バスから下車し、遊歩道を散策したが、朱色、黄色に彩られた錦繍の中を歩く。
午前の柔らかな陽射しの中、ときおり黄色の葉が上空から舞い降りてくる。

こうした光景を観ると、まぎれなく秋を受容した思いが、心に沁みてくる。
多分、今後このようなことは、幻想しか実感できないだろう、
と思い返したりした。

その後、札幌のはずれにある定山渓に行き、宿泊する。



   第五章  雨の中の錦繍・・♪

定山渓温泉は、渓谷沿いに数多くのホテルが建っている温泉町であった。

窓辺で観ていると、渓谷の対岸を川べりから空に向かって
樹木が色付いているようだった。
ナナカマド、カエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色、
そしてエゾマツ、トドマツの濃い緑色の配色は、秋の盛りであった。

朝食後、雨の中を豊平峡を散策する。
電気バスに乗り、ダムを囲むかのように錦繍の世界が拡がっていた・・。

雨の中、濡れた朱色、黄色も良い光景である。
朝の川霧が立ち昇り、雨が舞うようにしっとりと降っている。

雨の中、傘を差して立ち竦んでいても、
飽きない光景であった・・。


   第六章  そして小樽に・・♪

雨の中を豊平峡を後にし、
バスは札幌を目指して走路したが、周囲は錦繍に染まっていた。

札幌から小樽に抜けると、雨が止み、
観光客であふれた街が小樽であった。

3年前の冬、オホーツク海の流氷を観る為に、
網走の二ツ岩のホテルで2泊して流氷を待ち焦がれたが、
1週間前に接岸したが、沖に去っていた・・。

この間、斜里までノロッコ号に乗ったが、
海上は快晴の中、見渡す限り蒼い海原で、
止む得ず路線バスで知床半島のウトロまで行った。

ウトロに近づいた峠を越えると、海の彼方まで流氷であった。

その後、ウトロの海辺あたりを数時間散策した。

網走駅から特急『オホーツク号』で9時30分発で後にした後、
冬の道北、道央を抜けて、札幌駅着14時46分に乗車した。
これは私の長年の夢のひとつであった。

札幌駅から小樽駅に着き、ホテルにチェック・インした後、
雪の中を運河沿いのガス灯のある遊歩道を夕暮れ時に歩いた。

夜になると、居酒屋に行き、地酒を呑みながら、
地魚をふんだんに食べたりした。

こうした想いが私共にあったので、
晩秋の小樽は味気なく、運河沿いの地ビールを呑ませる料理店に入る。

ここの店は、ラムの骨付き肉を食べさせてくれる所で、
塩味と大根おろしの付いた甘いたれの2種類を注文する。
地ビールを呑みながら、かぶりつくのは満足させてくれるひとつである。

集合場所に戻る時、小樽ワインの店があった。
試飲させてくれた時、
『辛口で・・深みのある・・』
と私が言った。

店員さんは、店頭の試飲用の十種類から選定し、私に呑ましてくれた。

結果として、この銘柄を1本買い求め、
夜の駅弁を食べる時の友とした。



  第七章  旅の終りは、寝台特急で・・♪

旅の終りは、『北斗星号』であった。
札幌駅を17時12分に発車し、上野駅に翌日の9時41分着である。

お弁当と煎茶のペットボトルを買い求め、B寝台の個室は想像したより狭かった。

家内と旅行バックと手荷物を置く位置を決め、私は浴衣に着替えた。

小樽ワインを呑みながら、お弁当を開く。

今回の旅は、日中は原則としてサッポロ・クラシックのビールで、
夜はホテルのハウス・ワインか富良野、小樽ワインのボトルを良く呑んだ。
私は旅先では、その地のアルコールを呑むことにしている。
その地の文化を知ることは、お酒もひとつの手がかりとなるからである。

疲れを覚えたのでベットに横たわり、直ぐに寝付く。
深夜の1時過ぎに目覚め、煎茶を少し呑んだ後、地酒を呑む。
その後、眠りについて朝の5時過ぎに目覚め、
ぼんやりと車窓から外の景色を眺めた・・。

東北地方を旅する時、殆んど新幹線を利用していることに気付いた。
今回の旅の最後は、在来線で上野駅に向かっているが、
在来線はその地をゆっくりと通っているので、
その地の風土を教示してくれる・・。
その点、新幹線は単なる通過の役割しかないことに、改めて気付いた。

上野駅より私の住む最寄り駅の成城学園前に着いた時、
懐かしさを覚え、安心したせいか旅の疲れが出た。

家の門扉を開け、玄関庭を見ると、花梨の大きな実が3つほど落ちていた。



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皐月晴れの庭を眺めながら・・♪

2008-04-23 18:54:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨日に続き、
皐月晴れに恵まれている。

樹木の新緑の中、陽射しが燦燦と射しこみ、
若葉の彩(いろど)りが美麗である。

私はこのような情景を眺めながら、
この3日間、別ブログの『年金青年のたわむれ記』の投稿に
専念している。

本日の日中は、29通ばかり投稿したが、
新緑の木陰でビールを呑みたいと思ったりしたが、
生きている心の証(あかし)として、
文章を綴り、公開することに最優先としている。


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『秋桜(コスモス)』頃の想い出・・♪   《初出2005.10.15.》

2008-04-23 18:34:00 | 音 楽
東京の郊外は、薄日の陽射しを射し込み、穏やかな秋の日中となっている。

先程、庭先で樹木と空を見詰めていましたら、
山口百恵さんが歌った『秋桜』が想い出された。

♪淡紅の秋桜が秋の日に
 何気ない日溜りに揺れている

【『秋桜(コスモス)』 作詞・さだ まさし 】

さだまさし・氏の作詞であるが、
良き詞を提供してくれた、と思っている。

『いい日旅立ち』は谷村新司・氏が作詞しているが、この曲も双璧の名曲である。

改めて山口百恵さんは、恵まれたというより、
唄いきったこの方も素晴しいが、
綴られたこのお二人の感性に脱帽する。

この『秋桜』の昭和52年の秋は、
今から振り返っても歌の全盛期であり、名曲が揃った時代だった、と思う。

ピンク・レディの全盛期の中で、
岩崎宏美さんの『思秋期』、中島みゆきさんの『わかれうた』、
河島英吾さんの『酒と涙と男と女』等が想い出される。

過ぎ去った時の流れは早いが、
その時代に唄われた心に残る名曲は、
その時代のそれぞれの方の想い出を蘇(よみがえ)る力が存在する。

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ひとり身の年金青年は・・♪   《初出2005.10.15.》

2008-04-23 18:21:58 | 定年後の思い
家内がこの月曜日(10日)から昨日まで4泊5日で実家に帰っていた。

家内の母は、昨年の秋に主人を亡くし、ひとり住まいとなっている。

家内は毎月3泊か4泊で、掃除、衣料整理等で泊りがけで行なっている。

この間、家内が造り終えた10品な程度の料理を私の食事基本ベースとしている。

私は朝は日の出と共に起き、
9時前後に朝風呂に入った後、散策をする。
ときには買物をしたりしている。

日中は本を読んだり、ブログに綴ったりしているが、
昼食を2時前後にしているが、ちょっと加工して食べている。
その後、眠くなり本を読みながら昼寝をする。

夕食は夜の10時にNHKのニュースを観ながら、純米酒を呑み、
世の中の出来事を確認したりしている。

政治関連の話題を報じていると、
『どこまで真面目にやっているのかなぁ・・』
と思ったりしている。

その後、布団に本を持ち込んで、読みながら寝付く。

こうしたふしだらな生活をしてきたが、
家内が昨夜帰宅したので、日常の生活に戻った。

7時頃に夕食をし、純米酒を呑みながら、家内と語り合っていたので、
ここ4日間のペースと狂い、戸惑いながらビールに切り替えたり、
煎茶を呑んだりしていた。

この4日間は、散歩をし、見知らぬ若きママと幼児に逢えたり、
ご近所の奥様と立ち話をしたり、
『中央公論』と『文藝春秋』などを読み込んだりしたが、
それなりに楽しかったのである。

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いい日、旅立ち・・♪   《初出2005.10.14.》

2008-04-23 18:12:21 | 旅のあれこれ
6時に目覚め、窓を開けて空を観ると、青空だった。

昨夜の時点では、本日は曇りから雨の予報だったが、
嬉しい限りの誤算の秋晴れである。

雨戸を開けると金木犀の香りが漂ってきて、陽射しが居間に差し込んだ。
煎茶を入れて、カレンダーを観ると、
『鉄道の日』と書いてあった。


私は高速道路を走るバスより、鉄道の列車に乗るのが好きである。

国内旅行を旅立つ時、東京駅から東北、新潟方面にプラットフォームに立ち、
これから展観される時を予測すると、期待感でときめきを覚える。

或いは新宿駅で松本方面に行く時も同様である。

車窓が流れてくる景観は、時刻表通りに展観し、
高速道路の予測のつかない渋滞もないし、限りなく信頼が出来、
安心してその地域の風土に身を寄せることができる。

北海道、九州の場合は、時間の圧縮と思い、
止む得なく飛行機を利用しているが、
羽田空港に待機し、搭乗していても何となく落ち着かない。
機内の雰囲気が嫌いで、列車の車内の空気は開放感があり、格段違う。

最近の列車はちょっと豪華過ぎるきらいもあり、
私が好きだったのは、L特急の列車が
80年代前後に走行していたのが心身波長が合う。
程々の座席シート、車窓から観えるスピート感が
心身共にぴったりと想い出される。

新幹線のスピート感には、私の心が付いていけないようであるが、
時の流れに妥協している。

こうした想いは、昭和53年の秋に山口百恵さんの『いい日旅立ち』が
流れていた、
時が重なっているかも知れない。


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若きママの微笑み・・♪   《初出2005.10.13.》

2008-04-23 18:00:49 | 定年後の思い
秋晴れの10時過ぎ、読書、パソコンの前に座っているより、
散歩に最適と思え、外出した。

昨日と同じように、野川沿いの遊歩道を歩く。

スポーツ・シャツで川風を受けていても、陽射しの中を歩くのは快適である。

昨日の『きたみ ふれあい広場』を散策する。
樹木が紅葉し始めて折、秋の陽射しを受けていた。
別の樹木も黄葉に色づいて折、まぎれなく秋のお訪れを受容できる。

ベンチに座って、しばらく眺めていた・・。

ベンチを離れると、幼児が私の後を付いて来て、私に纏(まと)い付く。

『駄目よ・・
小父さんに付いては・・』
と若い女性の声がした。

振り返ると、中山美穂に似た人がベビーカーを押して立っていた。

『御免なさいね・・』
とその女性が言った。

『2歳位ですか・・』
と私は言った。

『まだ、一歳半ですわ』

『可愛い盛りですね・・
親御さんに写真でも送られたら、喜びますよね・・』
と私は言った。

『そうですわね・・』
と若きママは、微笑みながら言った。

『失礼しますね・・』
と私は言った。

私が歩き出すと、幼児が私の後を付いて来る。
『ボク・・さよならね・・』
と私は言った。

『叔父さんに・・さよなら、しましょうね』
と若きママは幼児を捕まえて言った。

幼児が私に手を振った後、
若きママも可愛いしぐさで手を振った・・。


その後、スーパー・マーケットに立ち寄り、
新米の5キロが販売していたので、購入した。
自宅に戻り道は、5キロ分は重さを感じなかったのは不思議なことである。

中山美穂さんには、私の現役時代に逢った事はあるが、
中山美穂さんも若返ったなぁ、と先程の若きママを想いだしたりしている。

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揺れる秋桜(コスモス)・・♪   《初出2005.10.12.》

2008-04-23 17:39:54 | 定年後の思い
揺れる秋桜(コスモス)・・♪

11時前、散策に出かけた。

秋日和の中、野川の遊歩道を歩く。
私の家から徒歩で5分過ぎると、世田谷区に入る。

その先を歩くと、小田急の車両基地の2階部分が世田谷区の公園となっている。
ある程度広く、雑木と草花が植えられて折、
芝生の広場や数多くのベンチが置かれている。

若きママと幼児の最適な場所と思え、百組前後が観られる。

幼児達は秋の陽射しの中、芝生の上を駈けたりしていて、長閑な状況である。

少し外れた所に、コスモスの群生がある。
色とりどりのコスモスは、微風を受けて、揺れている。

私の家の庭には、コスモスは植えていない。
ちょっと少女趣味に思え、恥ずかしさが先にたち、
何より庭のバランスが崩れるからである。

こうした公園で、秋の陽射しの中、
揺れるコスモスを観るのもひとつの光景である。

最近の若きママも化粧している人が多く、個性的な服を召して、
可愛いしぐさをしていて微笑ましく、好感が出来る。

尚、女性の妖艶なしぐさ、たしなみの真価を発揮するのは、
40歳を過ぎてからである。


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雨上がりの散策、そして贅沢なひととき・・♪   《初出2005.10.11.》

2008-04-23 17:24:44 | 定年後の思い
9時過ぎに雨が止んだので、雨傘を持ちながら散歩に出かけた。

本日はコースを変えて、野川沿いの遊歩道を歩く。
数多くのご年配の方とすれ違う。
やはり、ここ1週間程雨が降り続き、ときたま止むといった、秋の長雨であった。

雨が止んでいる時に、家に閉じこもりきりは、心身ともに良くないので、
少しでも外出し、散策する気持ちは私も解るので、
微苦笑したのである。

遊歩道には桜の樹木が多く、早くも所々黄葉を見せており、
雨風で落葉しているのもある。

イトーヨーカドーが1年前頃に開業していて、
この中の大型チェーン店の本屋に寄る。
『文藝春秋』は定期購読しているので購入したが、
今回の目的は、『中央公論』の特集《団塊の老後は、バラ色か悲惨か》記事を読みたくて、
出かけてきた次第である。

昨日の読売新聞の広告で、観ていて、
この特集は見過ごせないなぁ、と思っていたのである。

本屋の隣が、音楽系の大手チェーン店の新星堂があったので、立ち寄る。
最近は音楽CDは、殆んど買わなくなった。
退職してから、2000年頃までの音楽には興味があり、
家では聴いているが、2001年以降の作品は余り知らないでいる。

結局、映画コーナーに行き、
ラッセル・クロウ主演の『マスター・アンド・コマンダー』のDVDを購入。

帰宅の途中、煎茶を求めに、近くのスーパー・マーケットに行く。
純米酒、煎茶、煙草は、自分の好みにこだわる。

こんなふうにして、散歩と買物をして帰宅した。

昼食を済ませた後は、
雑誌を読むか、映画を観るか、少し迷っている。


結果として、今日購入した映画作品は後回しにして、
『中央公論』を読むことにした。

ちょっと肌寒いので、寝室で布団にもぐる前、少し窓を開けた。
金木犀の香りが漂ってきた。

枕元に煎茶を置き、温かい布団にもぐり、『中央公論』を開く。
外気は20センチほど取り入れ、微かに金木犀の香りが寝室までする。

こうした贅沢なひとときを過せるのは、
退職後の特権のひとつである。

しばらくすると、寝付いてしまい、2時間ほど熟睡した。

目覚めた後、冷めた煎茶はのど越しに良く、ぽぉとした感じで寝室を出た。

夕暮れ時の庭先で、煙草を喫っていたら、鈴虫が元気で鳴いていた・・。

鈴虫もここ1週間、雨の降ったりした中で、
草葉の陰でやっと鳴いて窮屈な時を過しており、
落ち着いて鳴くことも出来なかったと思ったりしたのである。



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黒髪の美しさは・・♪   《初出2005.10.9.》

2008-04-23 17:10:37 | 時事【社会】
6時に目覚め、庭に下りたが、雨が降っていた。
昨夜の7時過ぎから、飽きることなく降り続いている秋の長雨である。

昨夜、NHKで『宮廷女官 チャングムの誓い』を途中から観た。

朝鮮王朝の宮廷料理を主軸としたドラマであることは知っていたが、
この頃の時代に秘められた歴史、文化、風土が私には新鮮に観えた。

私はここ5、6年に不思議に思っていることがある。
何故、日本の女性は、黒髪をわざわざ茶色系に染めている人が、
多くなってきたかである・・。

黒髪の美しさを知らない程度の低い女性が増えたのか、
或いは一時期のミニ・スカートのブームが一昔あったが、
あの状況と一緒なのか、と思い続けていた。

NHKのテレビでニュースを観ることが多いが、
女性のアナウンサーも茶色系に染めている人が多い。

二十歳前の女性が一過性と染めるのは、
何となく理解はできるが、
大人の女性のすることではないと、思っている。
欧米の数多くの知識人が、せせら笑っているのが明白に見え、
私の方が恥ずかしいとさえ思っているのである。

一体、女性の一部の方たちは、ご自分の美しさを本当に知ってる、
と疑いたくなる。
私はご自分の容姿を粗末にした茶色系に染めた日本女性には、
魅了されたことはない。

こんなことを思って、庭先に佇(たたず)んでいた。

雨の静かに降り続ける中、
紫式部の枝にたわわに付けた紫の実が、微風に受けて、揺れいる。
女性の耳飾りのように感じた。




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秋、純米酒・・♪   《初出2005.10.7.》

2008-04-23 16:55:34 | 食べ物、お酒
私は純米酒の辛口を呑んでいる。

夏の時は、弐合弱の瓶を冷蔵庫に入れ、
冷酒にして呑む。
猛暑の日中、夜になっても熱気が残っている中、
ぐい呑みに冷酒を注(そそ)ぎ、呑むと陶然となる。

秋分の日を過ぎた頃、常温で弐合徳利に注いで、
その日に感じた弐合徳利、ぐい呑みを使う。

秋が深まると、弐合徳利にお燗して呑む。
やはり、人肌の温かさにする。

冬の寒い時、お燗をしているのを待ちきれず、
ぐい呑みに常温酒を一杯呑みながら、
人肌になるお燗を待ちわびる・・。

このように1年中、純米酒を呑み始めたのは、
40なかばの齢になってからである。

若い頃、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロック、
ワイン、ビールと呑んでいたが、
ある程度の齢を重ねると、日本酒の比重が多くなった。
それにしても、日本酒は冷酒、常温、お燗にして温める、
自在になる不思議なお酒である。


昨今、ある銘柄の純米酒の辛口を呑んでいるが、
旅行先ではその地の地酒を呑むようにしている。

その地域の文化は、まぎれなくその地にある地酒が、
文化形成の一端をなしている。


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義父の命日・・。   《初出2005.10.7.》

2008-04-23 16:49:39 | 定年後の思い
昨年の今日、家内の父が亡くなった。

8年前頃、腎臓に初期ガンが見つかり、
義父の性格を配慮して肉親のみの秘密とし、
義父を悪性の腫瘍だ、と納得させて切開した。

退院の前、5年を無事に過ぎれば大丈夫です、と担当医師から言われた。

義父はこの5年を過ぎた頃から、転移していて入退院を繰り返した。

最も義父は、この間の定期健診を受けなかった事もときたまあり、
容態の優れない時は、他の病院で代用した事もあった。

昨年の5月から入院をした後、8月のなかばに危篤になったり、
ときおり回復したりしていた。
家内の母と家内は、一晩交代で夜間の看護の付き添いをしていた。

私は10月20日が定年退職日であったが、
付き添う二人の身体が心配となり、
9月に入ると、会社に有給休暇の申請をした。

家内は早朝に遠方にある病院に向かい、
日中に母と話し合い、その夜間に父に付き添い、翌日の日中に母と交代、
と48時間のうち、35時間前後は病院にいたりした。

こうして、義父は個室の部屋で、ご自分の妻と娘に擁護されいた。

昨年の今日、私が近所で買物を済ませ帰宅した直後、電話が鳴った。

『お父さん、駄目だったわ・・
先程、亡くなったわ・・』
と家内の声が聴こえた。


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ホテルの手入れ・・♪   《初出2005.10.4.》.

2008-04-23 13:54:59 | 定年後の思い
今、ホテルの前方にある庭園を庭師の方が、
昼前から手入れをしている。

ホテルの手入れは、我々のお客に知らない間、
或いは目立たない間に済ませることが多い。

以前、ハワイのホテルに泊まっていた時、
観光ツアーがホテル出発が朝6時の時、気を張り詰めて寝ていたので、
3時過ぎに目覚めた。

4時頃、ホテルの庭園を散策していた時、
歩道の手すり、設置してある置物を手入れをしていたのに、
少し驚いたりしていた。
夜明け前の薄暗い中、担当の方が汗をうっすらと浮かべて、
手入れをされていたのである。

我々のお客の大半は、ホテルの庭園散策としては、
朝の6時から夜は10時頃までであろう・・。

目立つことなく従事している方に、思わず頭が下がる思いである。


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昼の露天風呂・・♪   《初出2005.10.4.》

2008-04-23 13:52:39 | 旅のあれこれ
温泉のあるホテルに滞在すると、
日中において、大浴場や露天風呂にひとり占めになることがある。

雪の季節の頃、露天風呂に入っていると、
空から雪が舞い降りて、露天風呂にも入ってくる。
私の髪の毛も、ちょっと雪にまみれる。

5月の頃、遅い春がやってくる地方で、
露天風呂の周囲にある新緑の枝葉が微風で揺れ、
露天風呂に反射して水紋が揺らいだりしていた。

紅葉の頃は、露天風呂につかっていると、
紅葉、黄葉が風に吹かれて、舞い降りてきたりした。

たったひとり露天風呂に浸れるのは、
滞在型の特典でもある。

私はこうして季節のうつろいを知ることが好きである。


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南房総・白浜温泉滞在記【2005.10.2 ~ 10.7.】

2008-04-23 13:17:53 | 
   序章  明日は、義父の一周忌

昨年の10月の初旬、家内の父が亡くなり、家族葬を済ませ、
私自身の方は定年退職の該当月であったので、
何かと慌しい時節を送った。

家内の母が、千葉県の八千代市に住んでいるが、
木更津のはずれに墓地を求めてあったので、
11月の下旬に通称49日の77日忌で納骨を済ませた。

その後、家内と家内の母と3人で、
房総半島のほぼ中央部にある亀山温泉に3泊4日で滞在した。

亀山温泉は、付近に亀山湖の人造湖があり、
日本で1番遅いと云われている紅葉を観たりして、晩秋のひとときを過した。

明日は早朝から、木更津のはずれのお寺に行く。


   第一章  明日から温泉地に滞在

明日、家内の父の1周忌の法要を済ませた後、
家内の母と家内と私の3人で、房総・白浜温泉に4泊5日で滞在する。

家内の母は、独り住まいとなったので、
ときたま3人で温泉滞在の旅行をしている。

私は気楽な身分であるが、どのような光景が観られるか、
私の心身にかかっている。


   第二章  安房・白浜温泉

昨日より、家内の母と家内との3人で、来ているが、
昨日は早朝から自宅を出て、家内の父の
1周忌の法要を済ませた後、この地に滞在することとなった。

昨夜は、夜の8時過ぎに寝てしまったので、
夜明け前の海を眺めながら、こうして発信している。
ときおり遠方の灯台の灯りが見えたりしている。


家内たちは、この周辺の観光めぐりに出かけるが、
ご当地観光めぐりに興味のない私は、
高台の部屋から海と空のうつろいを眺めたり、
ロビーに近いコーヒー・ラウンジを行ったりしている。

コーヒー・ラウンジの近くにパソコンあり、
ブログの発信も可能となり、便利な世の中になった、
と実感しているのである。


昼寝をした後、3時過ぎの海上は薄曇であったが、やはり光る海だった。

夜の海を観ている時、幻想感がある。
日中にあれほど、明確な輪郭を彩った海上も、
ひっそりと明日への呼吸を整えているかようだった。

早朝のひとときは、ホテルのロビーは、静寂で、
5時半過ぎると、入浴の時が始まる前、
それまでの静寂なひとときである。

海辺は、夜明け前で薄暗く、漁船の灯りが、
ぽっかりと浮いているように観えたりしている。

ホテルのコーヒー・ラウンジの片隅で綴っているが、
曇り空から陽が射してきました。
前方に見ある岬に立っている白い灯台は、
夜の役目を終えて、ひっそりと朝の陽を受けている。


日中のひととき、海岸に沿った遊歩道を散歩してきた。
海岸に出ると、磯の香りにつつまれて、
岬にある灯台が身近に観えた。
晴わたった穏やかな天気であるが、
この広い公園の遊歩道は、ご年配の男性が、
歩行訓練のリハビリで歩いているだけだった。

季節がちょっとずれた10月の初旬の海辺は、
閑散とした中で、微風が私の身体を通り抜けて、
陽射しも秋めいていた・・。


ホテルに戻り、メイン・ロビーは閑散として折、
ここコーヒー・ラウンジも数組のお客さんがいる程度で、
静かなひとときである。

前方の海原は、曇り空でひっそりしていて、
岬の白い灯台も昨夜中働いていたせいか、
今は疲れているように眠っているように観える。

どの風景も昼前のひっそりと静けさを保っている。


   第三章  旅から帰って

房総・白浜温泉に4泊5日の観光ホテルに滞在していた。
ホテルを昼前の11時45分にチェック・アウトをし、
館山駅に出た。

特急を乗り、家内の母と家内は、軽食を食べていたが、
私は地酒と駅弁で昼食とした。

途中で、家内の母と別れ、私共は自宅に急いだ。

結局、4時半過ぎの帰宅になった。

雨戸を空けると、金木犀の香りがした。

温泉滞在の時に、気がかりなひとつであった。

和室の近くにある金木犀は、4月に大幅に刈り込んでいたので、
香(こう)ばしい香りの実は例年の半分ほどであった。

庭先に出て、煙草を喫っていたら、
金木犀の香りが微風にながされ、漂(ただよ)ってきた。

秋を告げる香りに旅の疲れもほぐされ、心が充たされてきた・・。

そして鈴虫の鳴き声が聴こえて来た。


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赤い羽根の想いで・・♪   《初出2005.10.1.》

2008-04-23 13:10:12 | 現役サラリーマン時代の想いで
朝のNHKのニュースを観ていたら、男性アナウンサーのスーツの胸元に、
赤い羽根が付けられていた。

今日は『都民の日』か、と思い出した。

東京都は、この日に共同募金の一環として、
駅前等で【赤い羽根】を寄付活動をしている。


今から20年前頃、私は出勤で成城学園前に行くと、
駅の改札に近い所で、
『お願いしま~す・・
ご協力下さ~い』
と左右でそれぞれ一列に並んで、ご婦人と小学生の男女がいた。

私はご婦人のひとりに近づき、
百円玉を2つ募金箱に入れて、スーツの胸元に付けてもらった。
芳(かぐわ)しい香りが40歳前後の女性から漂い、
ちょっとときめきを感じた。
やはり女性は、40過ぎてからだなぁ、
と余計なことを思ったりしたのである。

その翌年だったか、この日何時ものように並んでいた。
小学生の女の子に目があってしまったのて、
近づき財布を見たら、五百円玉しかなく、募金箱にいれたが、
女の子にたどたどしく赤い羽根を付けてもらった。

『有難うございまし~た・・
気を付けて、行ってらしゃい』
と女の子は溌剌(はつらつ)と、私が立ち去る時に言った。
ちょっと茶目化あるお利口さんの子でだった。

プラットフォームで胸元を見ると、
赤い羽根はちょっと曲がって付けられ、私は微苦笑したのである。

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