夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

健康寿命こそ何よりも肝要、と高齢者のぐうだらな私でも、ひたすら歩き・・。

2013-07-26 14:59:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の68歳の身であるが、
今朝、いつものように購読している読売新聞の朝刊を読んでいたら、35面の【社会】面に於いて、
《 女性寿命 2年ぶり世界一》
と大きく見出しされ、私は詳細記事を読んだりした。

《・・厚生労働省は25日、2012年の日本人の平均寿命を発表した。
女性は前年より0・51歳長い86・41歳となり、2年ぶりに長寿世界一に復帰した。

男性は同じく0・50歳延びて79・94歳で、過去最高を更新した。

女性の平均寿命は過去最高だった09年の86・44歳に次ぐ水準。
前年、東日本大震災で死者が増えたことなどから、香港に首位を譲っていた。

男性のトップは80・8歳のアイスランドで、日本は前年の8位から5位に順位を上げた。
同省は「日本人の平均寿命はまだ延びる可能性がある」としている。

平均寿命は、その年に生まれた子供が平均で何歳まで生きるかを予測した数値。
同省は、国連の人口統計年鑑に掲載されている国や地域を対象に、各国政府の最新統計などを基に、国際比較を実施している。・・》

このように掲載され、各国の男女別の平均寿命の高い国別に表も添付され、
私は見終わった後、苦笑してしまった。

私は平均寿命よりは、何よりも健康寿命こそが肝要であると、深く確信しているひとりである。
               
もとより健康寿命は、心身ともに自立し、健康的に生活できる期間、と世界保健機関が提唱して以来、
いかに健康に生活できる期間を伸ばすかに、ここ10数年関心が高まっている状況となっている。

悩ましきは平均寿命と健康寿命との差てあり、衰弱・病気・痴呆などによる介護期間であり、
もとより日常生活に制限のある期間となる。

何かしら厚生労働省の調査に於いて、《・・平成22年において、この差は男性9.13年、女性12.68年・・
今後、平均寿命が延びるにつれてこの差が拡大すれば、健康上の問題だけではなく、
医療費や介護費の増加による家計へのさらなる影響も懸念されます。
健康に配慮する一方で、こうした期間に対する備えも重要になります・・》
と私は学んだりしてきた。
               

私は民間会社の中小業に35年近く勤め2004(平成16)年の秋に定年退職した後、
私の半生は屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・と思いながら
直ちに年金生活にを始めた。

そして自主的に日常の買物担当となり、殆ど毎日のように独りでスーパーなどに行ったりしている。
こうした時に、住宅街の中の道を歩いたりし、
その後は川沿いの遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
              

私は定年の5年前に、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

もとより高齢者の方は齢を重ねれば、認知症、痴呆症、寝たきりなどの確立は増すし、
私自身は衰えた体力で日常生活のふるまいの中で、確かな言葉を発言しているうちに、
いつの日にかポックリと死ねたらと念願している。

まして自身が意識なく植物人間のようになって、
生き続けるぐらい当人はもとより、家族の人たちまでが不幸であると思っている。

そして私は寝たきりになった場合は、三ヶ月過ぎたら、
意識のあるうちに自裁する、と決意しているひとりである。

このような私自身の人生の中の健康に対する思い、そして死生観の思考があるが、
昨今の会社時代の懇親会などで、
こうした思いを少し上の先輩の方、同僚たちに一部を発言すると、
困惑する方、或いは嫌な顔をされる方が折、
私は世間からかけ離れているのかしら、と思ったりしてきた・・。
                         

このような私なりの深い思い根底にあったが、
偶然に2010年8月下旬の頃に、帯津良一(おびつ・りょういち)氏の雑誌での発言が、
新聞の出版広告で偶然に読み、
この雑誌が女性専用誌の『婦人公論』と知り、私は買い求めて精読した。

この医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)氏の発言された概要を記載させて頂く。
《・・(略)
私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」
と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、
さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのはせいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、
どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」
という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。
(略)
・・》

このような秘伝を、この後に6つばかり披露して下さったのである。
          
そして私は、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、深く感じて、
これ以降、氏に注視して、信愛を重ねている。

こうした中で2011〈平成23〉年の秋に、
帯津良一・著作の『楽々往生 ~老いを輝かせる12の心得』(ベスト新書)を読んだりした。
               
この本の帯に明記されている『楽々往生のための心得』として、
《 ◎いくつになっても、ときめきをもつ
  ◎「定年」で終わりにしない
  ◎ひとりを愉しむ
  ◎自分なりの「養成法」をもつ
  ◎敗れることも必ず想定に入れる
  ◎できるだけ身軽でいる 》

このように記載されていることを私は格言としている。
(意味合いが想像して、ご理解できない方は、この本をお読みください。)

         
私の家の最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。

こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら日々歩いている。

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