夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

学童は『夏休み』と知り、遠い昔の小学生時代の『ラジオ体操』を思い馳せ・・。

2013-07-20 14:30:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
昨夕、テレビのニュースを視聴していたら、
小学一年生の学童が、初めての通信簿を先生から頂く情景が映しだされた・・。

そして一学期の終業式に伴い、通信簿を恥ずかしそうに開いている学童を見たりして、
明日の20日の土曜日から、『夏休み』に入った、と私は学んだりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
無念ながら孫もいない上、年金生活をしていると、ともすれば曜日の感覚も薄れ、
微苦笑させられることもある。
               
今朝、朝の6時過ぎに起床した後、ぼんやりと庭のテラスに下り立ち、
朝涼の残る小庭を眺めたりした。
そして学童が本日から『夏休み』と思いだし、
やがて私の遠い昔の小学生時代の『夏休み』は・・と思い馳せたりした。

そして夏休みの期間は、早朝にラジオ体操をしていたことが、 鮮明に思いだされて、
私は微苦笑させられた・・。

私の今住んでいる近くに生家があり、地元の小学校に入学したのは、1951(昭和26)年の春だった・・。

この当時、夏休みになると、近くのお寺の境内で『ラジオ体操』が行われていた。
集合時間は、忘れてしまったが朝の7時頃だったかしら、と思っている。
          
             1957〈昭和32〉年の当時は、このように整備されていなく、素朴な境内であった。

お寺の正面にあるお賽銭箱の横の階段に、ラジオが置かれて、
NHKの『朝のラジオ体操』が流れると、近所の30名前後の小学生の前で、
6年生の班長が少し高い台でお手本のように始め、数多くの小学生の生徒がそれに習って続く・・。
          
小学生は家を出る時は、必ず所定の出欠カードを持参し、
体操が終わった後、班長から出席のマークをカードに押して貰ったりしていた。

私の長兄、次兄は学業の成績は『5』と『4』の多い優等生であったので、6年生になると班長に選出されていた。

三男坊の私は、いじけた劣等生で『3』と『2』ばかりの成績であったので、
学期末に通信簿を頂くたびに、担当の先生から、
『お兄さんのふたりは・・優秀なのに・・』
とため息まじりに私に言われたりしていたので、
私が6年生なると、夏の『ラジオ体操』の班長に選ばれる確率は少なかった。

結果として、班長は私が選任されて、
この年から何故かしら副班長が新設されて、お寺の娘の同級生が選ばれた。

この夏、6年生の私は照れながら、俺でいいのかしら、と心の中で呟(つぶ)やいたりして、
多くの小学生の一年生から同級生までの出席マークを押したりした。
               

後年になると、私は小学生の夏休みの『ラジオ体操』を夢をみたりする時もあり、
悪夢のようなことが多く、私は目覚めるたびに苦笑したりしている。

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