夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者たちは、「人に迷惑をかけられない」との切実な思いで生きている、75歳の私は真摯に学び、やがて涙を浮かべて・・。

2019-11-25 14:01:22 | ささやかな古稀からの思い

先程パソコンを立ち上げて、ヤフー・ジャパンのライフ記事を見ている中、
『 親の介護に疲れた高齢者が望む「私は、人に迷惑かけたくない」 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、 程ほど貯金を取り崩しながらささやかに過ごしている。

こうした中、こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。
私が2004年(平成16年)の秋に定年後する直前に、 家内の父が病死され、
家内の母は我が家より遠い地で、独り住まいとなっている。

 

☆人生100年時代、健康寿命が伴わない

ご存じのように、日本は超高齢社会を迎えています。
65歳以上の高齢者が総人口に占める割合(高齢化率)は、すでに27.7%に達し、
わずか6年後の2025年には30.3%、2035年には約33%に達すると見られています
(「平成30年版高齢社会白書内閣府)。


実に、3人に1人が高齢者である、という社会になるのです。
そのとき、数にすれば、およそ3782万人もの高齢者がいることになる。
これはカナダ一国の総人口を上回る大変な数字です。


中央年齢」と呼ばれる指標を見ても、日本の高齢化の実態が浮き彫りになります。
中央年齢というのは、上の世代と下の世代の人口が、ちょうど同じになる年齢のことですが、
日本は45.9歳。

統計のある世界183カ国のなかで第1位です。
世界平均が28.2歳であることを考えると、いかに日本の高齢化が進んでいるか、よく分かります。

高齢者が、期待する商品やサービスが大きなマーケットになって、
世の中を動かすものになることは明らかです。


では、高齢者の求めるものとは何か? 
最も切実な願いは、「元気で長生きしたい」ということです。

しかし、加齢による衰えは誰にもありますから、これは当たり前に見えて、簡単ではありません。
しかも、医療はますます発達し、今や「人生100年時代」に突入しています。

高齢者が一様に大きな不安を覚えるのは、
命を永らえても、人の世話や介護を受けるようになってしまうのではないか、
そのままずるずると「生かされる」のではないかということです。

                

実際、調査のたびに、日本人の平均寿命は延びています。

ところが「健康上の問題で、日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義される健康寿命の延びは、
これに追いついていません。

つまり、長生きにはなったけれど、
介護や人の助けを借りずに生きていける時間が、同じように延びているわけではないのです。


人に迷惑はかけたくない・・・自分自身が親の介護の大変さを身をもって体験し、
あるいは介護で苦労している人を間近に見ることで、
自分は、子どもたちに同じ思いをさせてはいけないと強く思っています。


そのため、健康には人一倍高い関心を抱き、必要な投資は惜しまないという覚悟を持っている・・・それが今の高齢者です。

                 

☆接骨院に「追い風」・・・超高齢社会で拡大するニーズ

「国民病」という言葉があります。
国民の多くが罹患し、その数の多さゆえに、社会的な影響の大きなものを指します。

戦前なら「結核」でしょう。
現代の日本では「糖尿病」や「生活習慣病」、「がん」などがそう呼ばれます。
また多くの高齢者を悩ます「腰痛」も、国民病の一つです。


自立した生活ができなくなる最大の要因は、歩けなくなることです。
転んで大腿骨を折り、寝たきりを余儀なくされ、そのまま介護を受けなければならない体になってしまった
というケースはよく耳にします。


骨折にまで至らなくても、最近特に話題になっている「脊柱管狭窄症」や「椎間板ヘルニア」などにより
腰痛や坐骨神経痛を発症、
「歩くのがつらい」、「長時間座っていられない」、「痛みで眠れない」といった悩みを抱える高齢者は少なくありません。

足腰を健全に保って元気に歩き続けることは、
健康寿命を延ばす重要なポイントです。


今、加齢によって腰や膝の痛みを発症する人は多く、
症状が悪化したときの怖さを知るがゆえに、多くの人が通うようになっているのが、
整形外科であり、鍼灸院であり、柔整師の働く接骨院(整骨院)です。

接骨院に追い風が吹いているというのは、まさにこうした意味からです。・・》

注)記事の原文に関して、あえて改行を多くした。

                 
             

日本人の平均寿命は、ここ30数年、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
過ぎし年の2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。                

こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する御方が多いと学び、
私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、 やむなく介護施設に思ったりしている。

そして要介護認定されている場合は、 特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。 

こうした深情を重ねてきた私は、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸15年を過ごしてきた。

そして私は寝たきりなどは、ささやかな日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症とか心筋梗塞などは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。

                 

こうした心情を重ねている私は、
今回の《・・高齢者たちは、「人に迷惑をかけられない」との切実な思いで生きている・・》を
改めて深く学んだりした。

もとより永らえば、身体は衰える中、《・・自分自身が親の介護の大変さを身をもって体験し、
あるいは介護で苦労している人を間近に見ることで、
自分は、子どもたちに同じ思いをさせてはいけない・・強く思っています。》

こうしたこと読みながら、やがて私は涙を浮かべてた・・。

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