
さて、出来上がった「しめ縄」の末路は、と言うよりも、
まだ、私が御幼少のみぎり、近所のお子たちは、その辺から引っ張り出した
棒切れを刀にみたて、剣術の稽古に励みました。
結果、たたき落とされることとなるのですが、怒られた記憶がありません。
今では、こういったバチあたりな子どもはいませんので、一年間、新しい
しめ縄に架けかえられるまで、この鳥居に架けられています。
こうして一年間奉納された「しめ縄」は、1月15日(小正月)の日に
『さいと焼き』で、各神社・仏閣の古いお札とともに焼かれます。
最近では、親たちも勤め人のため、15日の行事は、直近の日曜日に実施され
るようになり、今夜、集落の空き地で「さいと焼き」をしました。
「しめ縄」完結編は、さいと焼きの画像で、と思っておりましたが、少々
事情がありまして、カット。
お詫びに、今日、作業した集落の公民館(ボロッチィ)の画像を添付。
何せこの公民館、実は『十間蔵』と言いまして、何を隠そう、上杉藩の
「御備え蔵」であります。「上杉鷹山公」の善政に触発された、時の役人が
自らの俸禄を少しずつ米に換え、飢饉や藩窮状の備えとして蓄えたと
言われております。
この蔵を建てた役人は、志半ばでこの世を去り、息子が遺志を継いで、
親子二代渡って蓄え、窮乏の折、貸し出されたとされています。
昔は、とても立派なお役人が居たものです。今夜の「天地人」も良かったです。
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