「かねつきどう」…正べいさんは鐘をつく。
「道徳」と言うと、修身や愛国心といったイメージから、教科化に反対される方もいらっしゃいますが、結構授業は面白い^^;
村の『正べいさん』は、毎日決まった時間に鐘をつく。ある日、大雨の夜に村人に危険を知らせるために、定刻以外に鐘をつき村人を救ったというお話でありますが…指導要領では、日常生活の中で、人知れずコツコツと生活を支えてくれる人の努力を知り、感謝する気持ちを育むということに落ち着くのでありましょうが…。(小学校3年生)
おいおい、今時、果たして時を告げる鐘が鳴る?(明け六つ、暮れ六つなどという時刻を示しながら^^;)危険を知らせる「早鐘」…防災無線に切り替わり、早鐘をたたいた経験のある消防団員だって少ないはずですが…と、昔話にしても生活実感が伴わない。勤労を尊び、郷土愛を育むといった素材を提供する教科書にしては、お話の内容がいまひとつでありますよ。
さて、そんな教科書を放っておいて、少年たちの発言が気になった。「正べいさんは、時計も無いのにどうして毎朝起きられたのだろう?」…『オジSUN』は歳のせいか毎朝決まった時間に目が覚めてしまうのよ。君は目覚まし時計で朝起きるのかい?お父さんお母さんに起こしてもらうのかい?「先生!時計が無いのに、正べいさんはどうやって時刻を知ったのですか?」文科省が求めている方向性はそっちじゃない。が、『オジSUN』も答えられない。慌てて調べて、日本書紀に日本最初の水時計という記録があるとか、日の出から日の入りまでを分割する「不定時法」なる方法もあったと初めて知ることになるのであります。(大人でもこんなもんだよ^^;)不思議だなぁ?何でだろう?そんな疑問は調べてみよう。修身なんてことよりも、疑問が解けたときの喜びが一番…しかし、そんな生徒ばかりだと先生も大変だ。授業をボロボロにしてしまう悪い『オジSUN』の授業参観のひとコマでありましたとさ^^;
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