今年の2月5日に、渋谷のユーロライブで、「日本と原発」(2時間15分)というドキュメンタリー映画をみました。浜岡原発差止裁判の団長をするなど、大震災での福島の原発事故より前から、ずっと脱原発の裁判を闘い続けてきた辣腕弁護士・河合弘之が自らの裁判にも使えるかもしれないと作った映画だそうです。
東北大地震による福島の原発事故が起きてから4年。今でも、いつ爆発するかもしれない福島原発からの惨禍から逃れるために、孫2人を連れて主人のいる長崎に避難するため羽田空港を飛び立った、あの底しれない胸に淀んだ深い恐怖が蘇ります。
命、ひとりのではなく、日本国民全体の命の上にのしかかったあの大きな暗雲が忘れられません。この映画は、その時の記憶をよみがえらせてくれながら、丁寧に実際起こったことを重ねあわせてくれ、非常に分かりやすい映画です。
映画の中に出てくる元通産官僚・古賀茂明、元原発設計技師・田中三彦、浪江町・馬場町長、経済学者・大島堅一の語る話も、それぞれ非常に説得力がありました。
心のそこに残っていた、避難地域に指定された場所の被災者はどうしたのだろうか?という疑問に対する過酷な事実も知ることができました。震災や津波と言う悲劇でなく、まさに原子力と災禍によって奪われた命、故郷、人々の生活が胸に迫ってきました。
除染された土の入った黒い不気味な袋の山波が痛々しかった。山林など、除染されずに残されている自然の行くへも心配に感じました。
普通の映画館では放映されておらず、渋谷のユーロライブでの上映もすぐ終わってしまいました。ただ、いろいろな団体が各地で自主上映会をしており、今もどんどん上映する地域が拡大しています。テレビでも、新聞でもほとんど報道されていませんが、確実に見ている人の間で情報が拡大して広がっています。あなたの家のそばでも、上映会があると思います。ぜひ、ココで調べて映画を見てください。
原発は必要悪で、問題が多少あっても電気は現在の生活に必要不可欠だから仕方ないと思っているあなたも、ぜひご覧ください。
情報をしっかり捉えないで、頭だけで考えているのは、危険です。この映画をみても、上記の考えを貫けると思うなら、映画をみてぜひご意見を寄せてください!
原発は、失敗が後世に残り、取り返しがつきません。
「トイレのないマンション」と映画の中で表現されていましたが、廃棄物の処理、処理費用が目途がたたない恐ろしいこのエネルギーを今後どうしていくのか、私達一人一人が考えていかないといけないと思います。
実は、私がこの上映会を知ったのは、雑誌「AERA」を読んでいて、あの佐村河内のゴーストライター・新垣隆がこの音楽を作ったという記事からでした。原爆の広島を思い作ったと佐村河内が喧伝した「交響曲第1番」を陰で支えた新垣が、原発の福島の作曲で新たなスタートを切ったのかと、その気持ちを推し量りながら、是非聞いてみたくなったのでした。
そして、この彼の記事をきっかけに映画に出会えたことを心から感謝しています。
音楽も素晴らしかったです。
河合弁護士は震災以前から脱原発の裁判活動をしてきたけれど、敗訴してきたそうです。
でも、震災は日本人の意識を変えると信じてさらに闘い続けてきた方です。(どうして悲惨な原発被害を目の当たりにしたその日本人が、再稼働を今にいたって容認する動きを止められないのか!)と、弁護士としてやむにやまれぬ気持ちで、河合さんは、脱原発の裁判活動をしながらこの映画を作ったと映画のあとに本人が出てきて話していました。
大地震予測が政府の発表もあり現実のものとして報道もされている現在の日本で、脱原発の施策は待ったなしの大問題。再稼働どころか、「原発があること自身が、日本という国の存亡にかかわる」ことであるという認識が、まだ日本人にこの期に及んで共有できていないことが怖いことです。
傍観者的な話をしている状況に私たちは今いないのだということを、この映画を見て私は自分の身が引き締まる思いがしました。
反省して行動がとれるから進歩がある。
日本の国土に次の福島を作らないために、どんな行動をしていくかを真剣に考えないといけないと強く感じます。
まずは、この映画を見て下さい。
今 動かないと、安倍内閣は原発を推進していきます。それは、この地震国・日本ではありえない選択肢です。
映画に小泉と細川の活動が少しですが入っていて、そこを監督に突いている人もいましたが、原発と言うこれ以上事故や失敗が許されない以上、反省したものはより必死に動いていくしかないのです。いろいろなアプローチがあってもいいけれど、無関心で動かないことが脱原発では1番危ないことなのだと、映画を見て心の底から突き動かされるように感じました。
映画の中で、河合弁護士が語っているのですが、他のものは失敗して問題を解明して改良してというプロセスがとれるが、原発にはそれができない。
なぜなら、今でも放射能汚染で、事故現場の中核の部分には立ち入りさえできないでいるのです。十分な検証すらできない危険物が原発なのだということです。
そして、万が一もっと重大な事故になったら、それは改善などでおいつく話ではない被害を日本国民にもたらすものだからです。
重要な情報は、受け身でいるだけでは誰かに選択された情報しか手に入りません。それは戦争中の昔の話ではなく今もそうなのです。
待っているのでなく、自分で大切な情報を捉え、そして重要と思ったらひとりでも多くの大切な人と共有していかないといけないと思います。
この文を読んで反発を感じた人も、私には関心はないと言う方も、それでも「日本と原発」の映画を見てから同じ結論ならそれでもいいと思います。でも、ともかくこの映画は見て下さい!
私たちに、時間は十分残されているのでしょうか。答えは、歩きながら走りながら考えていくしかありません。映画を見に行けないならDVDが出てから見るのでもいいです。是非、すべての日本人にみてほしいです。
映像は、「日本と原発」の公式サイトから転載